江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年5月10日説教(使徒言行録2:1-13、言葉の奇跡が起きた)

投稿日:2020年5月9日 更新日:

1.待つ群れへの聖霊降臨

 

・聖霊降臨の時を迎えました。ペンテコステ(五旬節)は、元来は過越し祭りから50日目の小麦の収穫感謝祭(刈入れの祭り)でしたが、この日に、イエスの弟子たちに聖霊が下り、弟子たちの宣教を通して多くの人が回心し、教会が生まれた日としてお祝いするようになりました。具体的には弟子たちが「異なる言葉」で話始め、その結果、エルサレムで生まれた福音「キリストの教え」が言葉の壁、民族の壁を超えて伝わり始める、という出来事が起こりました。使徒言行録2章はその日に起こった出来事を記しています。

・使徒言行録は、十字架で死なれたイエスが3日目に甦り、その後40日間弟子たちと共にいて、聖霊が与えられるまでエルサレムに留まるように指示されたと伝えます「エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」(使徒1:4-5)。40日後、イエスは昇天されました。残された弟子たちは、一同に集まり、聖霊を与えてくれるように祈り続けます。その祈りに答えて、神の力、聖霊が与えられたとルカは記します。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(使徒2:1-3)。「一緒に(ホモ―)」、「一つになって(エピ・ト・アウトウ)」という二つの副詞が畳みかけるように重ねて出てきます。聖霊は個人ではなく、「教会に与えられた」ことが強調されています。

・ルカは聖霊降臨の出来事を、「激しい風が吹いてきたような音が聞こえた」と表現します。神の霊が体で感じられるように激しい現象を伴って下ってきたと。そして「炎のような舌が一人一人の上に留まった」と記します。風は見えないが感じることが出来る、見えない聖霊が風のように弟子たちに下り、その霊によって弟子たちに舌が(語る言葉が)与えられた。ルカは続けます「一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」(2:4)。「ほかの国々の言葉」とは、「異なる言葉」で、の意味です。

・エルサレムには外国生まれのユダヤ人たちや、ユダヤ教に改宗した異邦人たちが数多く住んでいました。ユダは何度も国を滅ぼされ、その度に人々は外国に散らされ、その子孫たちが祭りにエルサレム神殿に参拝するため、故国に帰っていた。彼等はヘレニスタイと呼ばれ(6:1)、コイネーと呼ばれるギリシャ語を話していました。大きな物音にびっくりして弟子たちのいた家の周りに集まった人々は、ガリラヤ出身の弟子たちが自分たちの国の言葉で(すなわちギリシャ語で)、語っているのを聞き、驚いて言います「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうして私たちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」(2:7-8)。ルカは続けて報告します「私たちの中には・・・ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」(2:9-11)。人々は驚き、とまどいました。

 

2.弟子たちが伝わる言葉で語り始めた

 

・ルカの報告を通して、私たちは二つのことを知ることができます。その一つは臆病だった弟子たちに、語る力が与えられたことです。弟子たちはイエスが捕らえられた時、その場から逃げ出しました。弟子の一人ペテロは心配になってイエスの後をついて行き、大祭司の屋敷まで行きましたが、そこで女中に見とがめられます「あなたもイエスの仲間だ」(ルカ22:56)。ペテロは激しく否定します「そんな人は知らない」。他の人もペテロを仲間だと言いましたが、ペテロは否定します。そして三度目に否定した時、鶏が鳴きました。ペテロは「この人こそメシア」と慕っていたイエスを裏切りました。ほんの50日前、夜の闇の中で女中にさえ語ることの出来なかったペテロが、群集を前にイエスのことを語り始めたという奇跡が起きたのです。神の霊はちりに命の息吹を吹き込み、人間を創造しましたが(創世記2:7)、今また、神の霊は臆病であった弟子に命を吹き入れ、大胆に語る新しい人間を創造しました。語ることの出来なかった人々が、語るための舌を与えられた。それがペンテコステの日に起こった出来事の意味の一つです。

・もう一つの出来事の意味は、「神が為された偉大な業」(2:11)を、人々にわかる言葉で伝えることができたということです。ルカは「"霊"が語らせるままに、(弟子たちが)ほかの国々の言葉で話しだした」と記しますが、おそらく弟子たちは、外国生まれのユダヤ人や異邦人改宗者も理解できる当時の共通語であるギリシャ語で語り始めたのでと思えます。イエスや弟子たちが日常に用いていた言葉は、アラム語です。他方、帰国したユダヤ人たちは、ヘブル語を理解せず、ギリシャ・ローマ世界の共通語であるギリシャ語しか話せませんでした。その彼等に福音を伝えるにはギリシャ語で話すしかない。弟子たちの出身はガリラヤですが、その地は「異邦人のガリラヤ」と呼ばれたほど、ギリシャ化が進み、弟子たちの何人かはギリシャ語を話すことが出来たのでしょう。弟子たちがイエスの受難と復活をギリシャ語で語った結果、その言葉は人々に伝わり、その日に3千人が洗礼を受けたとルカは記します(2:41)。

・イエスも弟子たちもヘブライ語の方言であるアラム語で語っていました。アラム語で語られた出来事が、やがてギリシャ語という当時の共通語で新約聖書として書き記されることを通して、福音が世界に伝えられていきました。その出発点がペンテコステの日に起こった「異なる言葉」の奇跡でした。その後キリスト教がローマ帝国の公認宗教になると、帝国の言葉ラテン語に翻訳され、ラテン語聖書(ウルガタ)が権威を持つようになりますが、その壁を破ったのが、宗教改革であり、宗教改革は「言葉の革命」でした。イギリスではウィクリフが聖書を初めて英語に翻訳し、ドイツではルターによりドイツ語聖書が生まれ、それらがグーテンベルクの発明した印刷術によって、世界各地に伝えられていきます。福音を伝達したのは各国語に翻訳された聖書の力でした。

 

3.教会の誕生

 

・今日の招詞に、使徒言行録2:38を選びました。次のような言葉です「すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます』」。聖霊を受けたペテロは人々に語りました「神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です。そして、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです」。ペテロの説教には力がありました。何故ならば、語る出来事を彼自身が経験していたからです。イエスが捕らえられた時、ペテロはイエスを見捨てて逃げました。そのペテロに復活のイエスが現れ、残された群れを委ねられ、そして今、ペテロは説教者として立たされています。十字架と復活の出来事は、まさにペテロ自身が経験した出来事でした。説教者はイエスの「復活の喜び」を語りますが、そのためには一度十字架で死ななければいけない。その死から起こされた者だけが、説教を自分の出来事として語ることが出来ます。説教の基本は証し、自分の上に起こった神の驚くべき出来事の解き明かしなのです。

・ペテロは自分の体験したことを語るゆえにその説教には力があり、民衆は心を動かされ、ペテロに尋ねます「私たちはどうしたら良いですか」。真実の説教は会衆に悔い改めを迫ります。新しく生まれるためには一度死ななければいけない。救いとは神の前に自分の罪を認めることから始まります。故にペトロは会衆に、「悔改めてバプテスマを受けなさい」と勧めます。ペトロの説教を通して、イエスを神の子と信じた人々による信仰共同体(エクレシア、呼び集められた者たちの群れ)が誕生しました。彼らは「すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて、皆がそれを分けあった。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美した」と使徒言行録2:44-47は記します。ここにありますように、「教え、交わり、パン裂き、祈り」こそが教会の本質です。

・初代教会は毎日集まり、礼拝を捧げ、食卓を共にし、兄弟姉妹へのとりなしを祈りました。このような活動を通して、彼らは一つになって行きます。現代の私たちは、週1日か2日しか、共に集まることが出来ません。現在はコロナウィルスの感染拡大のために、会堂礼拝さえもできない教会が増えています。その中で、私たちの教会が、主日の礼拝と水曜日、木曜日の祈祷会を守ることが出来るのは本当に幸いなことです。共に集まって聖書を読み、今この場に来ることの出来ない人々のために祈ることこそ、主にある交わりであり、この交わりなしには、信仰の成長はありません。キリスト教信仰は「交わりの信仰」です。従って会堂に共に集まることこそが、何よりも必要なのです。聖霊は個々人ではなく、教会に与えられた。私たちの信仰は、自分一人が救われて、「良し」とする信仰ではなく、共に救われる信仰なのです。ルカは初代教会の成長の様子を、「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた」と記します。教会が健全かどうかの一つの指標は、「新しい兄弟姉妹が群れに加えられているか、教会が外に対して開かれているか」にあるのではないかと思います。

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