江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2019年12月29日説教(ヨハネ1:1-18、キリストの言葉に従う生きかた)

投稿日:2019年12月28日 更新日:

1.世は言によって創造された

 

・クリスマス礼拝を終え、今年最後の主日を迎えました。今日、私たちに与えられました聖書箇所はヨハネ1:1-18、ヨハネ福音書の序文です。この序文は初代教会の賛歌でした。短い言葉の中にヨハネの伝える福音が凝縮されています。最初にヨハネは語ります「言は神であった」(1:1)。そして、「言は肉となって私たちの間に宿られた」(1:14)。ヨハネ福音書序文はヨハネのクリスマス讃歌です。ヨハネは、クリスマスの本質とは神が人となって私たちの所へ来られた、その一点にあると考えています。

・ヨハネ福音書は「初めに=エン・アルケー」と言う言葉で始まります。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(1:1)。ヨハネが福音書を書き始めた時、彼は創世記1章を念頭に置きながら書いています。ヨハネが読んでいた聖書はギリシャ語訳聖書(70人訳)で、その第一巻、創世記も「初めに=エン・アルケー」で始まります。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた“光あれ”。こうして、光があった」(創世記1:1-3)。「神が光あれと言われると光があった」、私たちの神は言葉で天地を創造された。その創造の時に、言=キリストはそこにおられた、その言こそナザレのイエスとして世に来られた方だとヨハネは信仰を告白しているのです。

・「天地は神の言で創造された」、言は出来事を起こすのです。それを信じるから、私たちは聖書を読み、その解き明しである説教を聴きます。そして神の言葉は人を回心に導きます。言葉は力、命を持つ。だからヨハネは言います「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(1:4-5)。「暗闇は光を理解しなかった」、神は一人子イエスを世に送られたが、世はイエスを神の子と認めなかったとヨハネは語ります。ヨハネ福音書は紀元90年ごろに書かれました。イエスが十字架で死なれてから60年の時が経過し、初代使徒たちの多くは迫害の中で殺されて行きました。そしてヨハネの教会もまた迫害の中にあります。ヨハネの時代、ユダヤ教会はキリスト教を異端とし、会堂から追放することを決議していました。当時の社会で異端、邪教とされることは、共同体から追放され、場合によっては投獄や処刑を意味していました。ヨハネは彼らに向かって叫びます「何故、イエスこそキリストであると信仰告白することによって、異端とされ、殺されねばならないのか」。「暗闇は光を理解しなかった」、自分たちは今、闇の中にあるとヨハネは認識しています。

・ヨハネは続けます「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受入れなかった」(1:10-11)。イエスを十字架につけたのは、ユダヤ教の祭司たちでした。祭司は神の言葉を人々に伝える役割を担った人々でしたが、その彼らが神から送られたキリストを殺しました。何故なのでしょうか。祭司は、「神殿に礼拝し、献げ物をすれば救われる」と人々に教えました。しかし、その献げ物は祭司が生活を立てるために用いられ、彼らは宗教貴族として贅沢三昧の暮らをしていました。祭司は神のためではなく、自分のための献げ物を人々に要求していたのです。祭司たちは、自分たちは神に仕え、光の中にあると思っていましが、実は彼ら自身は闇の中にいた。そのことをイエスが批判されると、彼らはイエスを憎み、殺しました。
・イエスの弟子として残された人々もまた、迫害の中で苦しんでいます。「世は言を認めなかった」、「民は受入れなかった」、ヨハネの教会員たちは行き場のない苦難の中にいます。しかし、彼らは希望をなくしてはいません。多くの人はイエスを拒絶しましたが、小数の者は信じました。そして「言は、自分を受入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(1:12)。神の子が人となられたことによって、人が神の子とされる道が開けたとヨハネは言っているのです。その人々は「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」(1:13)。

・私たちは肉の目で見れば、それぞれの両親から生まれてきましたが、霊の目で見れば、「神によって生まれた」。私たち人間は「在る」のではなく、「創造された」。ですから命は自分のものではなく、神のものです。命は神のものである故に、胎児として宿った子を中絶して殺すことは罪であり、自分の命を殺す自殺もまた罪なのだとヨハネは語ります。全ての人は神の祝福を受けてこの世に生を受けます。全ての人、身体や心に障害を持って生まれた人も、悪人としか思えないような人もまた神の祝福の中にあります。だから「兄弟を愛し、敵を愛しなさい」と命じられています。神の言葉は、それが自分に与えられた言葉であると受け止めた時に出来事になっていきます。

 

2.言は肉となって私たちの間に宿られた

 

・ヨハネは続けます「言は肉となって私たちの間に宿られた」(1:14)。言葉が出来事になった、神が人となられた。肉体は限界をもつもの、不完全なもの、弱いものです。しかしこの過ぎ行く世に神が来られた、そのことによって私たちが救われる道が開けたとヨハネは語ります。ヨハネの語る救いとは、死んで天国に行くことではなく、この世で幸せになることでもありません。そうではなく、肉体と精神を持った一個の人間としての私たちが、神によって受入れられ、使命を与えられて、生きることを許されることです。今日の招詞としてヨハネ3:16-17を選びました。次のような言葉です「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」。

・私たち現代人は「神は死んだ」として、人間の知性・理性に究極の信頼を置く生き方をしてきました。それを象徴する言葉がデカルトの「我思う、故に我あり」です。「我思うから我あり」、私の存在に神は関与していないという宣言です。現代の私たちは、生活から神や宗教的なものを排除して来ました。その結果、私たちは神を、自分を越える存在を見失いました。自分を越える存在を持たない世界では、相対存在である人間が絶対化され、個人崇拝や独裁が生まれてきます。人は他者よりも優位に立つことを求め、能力の劣る者を障害者、敗者として排除するようになり、その結果この世は弱肉強食の苛烈な社会になってきました。その中で人間は争い合い、殺し合い、世界大戦という全世界的な殺し合いまでするようになりました。二度の世界大戦を経験した人間は、自分が有限な存在であることを、「我思う、故に我あり」と誇るほどの存在でないことを認識するようになってきました。今、私たちはもう一度神に帰ることが必要な時に来ています。

 

3.言葉に従って生きた人々

 

・しかし少数の人は神を受け入れ、神の言葉に従って生きました。マザー・テレサ、本名アグネス・ゴンジャ・ホヤジュは、1910年、オスマン帝国コソボ州で生まれました。1914年第一次世界大戦が勃発しオスマン帝国は崩壊、それぞれの民族が独立をめぐって激しく争います。マザーの父ニコラはアルバニア独立運動に身を投じ、1919年マザー9歳の時に殺されます。人間の憎しみが愛する父を奪った、それは幼いマザーの心に深い傷を残しました。マザーは救いを求めて教会に通い続け、ある日、アッシジのフランシスの生涯を描いた一冊の本に出会います。フランシスは祈りました「主よ、私を平和の器とならせてください。憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに赦しを」。争い、憎しみ合う人々の姿に絶望していたマザーに、この祈りは一つの道を示しました。修道女となった彼女はインドに行きます。そこで見たのは、第二次大戦後の混乱の中で引き起こされた民族紛争でした。ヒンズー教徒とイスラム教徒が争い合い、殺し合い、街には死体が散乱していました。彼女は修道院を出て、道端で死んでいく人々を救済する活動を始めます。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためだ。そのために自分はインドへ遣わされた」、キリストの十字架を受入れない故に悲しみが続き、労苦が続いている。私たちは光を認めない故に闇の中にいる。私たちはもう一度神に帰ることが必要だ。マザーは自分が出来ることを始めました。

・同じく神に召されてその生涯を捧げて行った人が中村哲さんです。中村哲さんは1984に日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から、パキスタン・アフガニスタン国境の町ペシャワールの「クリスチャン・ホスピタル」にハンセン病治療のために派遣された医師でした。しかし、いくら治療しても患者は減らない。彼は今必要なことは医療よりも、病気の原因である飢餓と不衛生な水の問題を解決することだと思い、まず井戸を掘って衛生的な水を供給し、次に水路建設を行って砂漠を農地にすることを自らの使命とし、以来30年実行してきました。彼は1000を超える井戸を掘り、また15年間をかけてインダス川支流から水路を引き、かつて「死の谷」と呼ばれた砂漠が、今では緑の地に変っています。彼は殺されましたが、彼の遺志を継ぐ人々が次から次に生まれています。神の言葉は受入れた人には出来事となり、光を証しする者となります。

・クリスマスは光の祭典です。私たちはろうそくの光を灯してそのことを象徴します。「光は暗闇の中で輝いている」からです。教会は伝統的に12月25日をイエス・キリストの誕生日として祝ってきましたが、歴史的には、12月25日をイエスの誕生日として祝うようになったのは4世紀頃からで、当時行われていた冬至の祭りを、教会がキリストの誕生日に制定してからです。ローマ暦の冬至は12月25日、冬至は夜が一番長い時、闇が一番深まる時です。しかしまた、それ以上に闇は深まらず次第に光が長くなる時です。人々はこの冬至の日こそ、光である救い主の誕生日に最もふさわしいと考えるようになりました。「言は、自分の民のところへ来たが、民は受入れなかった。しかし、言は、自分を受入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(1:11-12)。私たちはマザー・テレサでもないし、中村哲氏でもありません。しかし私たちは彼らと同じキリスト者です。彼らと同じように洗礼を受け、この世に死んだ者です。私たちは人生の岐路に立った時、その選択をキリスト者の魂を基準に行う者です。暗闇の中で神の言を聞き、そこに希望と慰めを思う存在です。だから良い知らせを伝えるために働くことを決意する。それが私たちのクリスマスです。

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