2019年8月25日説教(創世記45:1-15、悪を善に変えられる神)

投稿日:2019年8月24日 更新日:

2019年8月25日説教(創世記45:1-15、悪を善に変えられる神)

 

1.兄弟の和解

 

・ヨセフ物語を読んでいます。激しい飢饉が世界各地に発生し、多くの国から人々が穀物を買うためにエジプトを目指しました。カナン地方でも食糧が不足し、ヤコブは子供たちにエジプトに行って穀物を購入してくるように命じます。こうしてエジプトに下ったヨセフの兄弟たちは、ヨセフが宰相になったとは知らずに彼に拝謁します。兄弟たちと面談したヨセフは、彼らに犯した罪を認めさせるために無理難題を押し付けます。兄弟たちは次男シメオンを人質に残してカナンに帰りますが、次に来る時は末の弟ベニヤミンを連れてくることを命じられます。飢饉は激しくなり、買い求めた食糧もなくなり、ヤコブの息子たちは再度エジプトに食糧を求めて、行くことになりました。

・「次に来る時は末弟ベニヤミンを連れてくる」ことが条件でした。ユダはベニヤミンを連れて行くことを渋る父に、「弟を命にかけて守るから一緒に行かせて欲しい」との説得し、ヤコブも折れます。兄弟たちはベニヤミンを連れて再びエジプトに下り、ヨセフと再会します。ヨセフは兄弟たちに食糧を売ってカナンに戻す時、ベニヤミンの袋に銀の杯を忍ばせ、兄弟たちが戻ってくるように企みます。ヨセフは「杯を盗んだベニヤミンだけを残して、残りは故郷に帰ってもよい」と兄弟たちに告げます。それに対してユダは、「弟を残して帰れば父ヤコブは悲しみのあまり死ぬ、それは出来ない」と抗弁し、ベニヤミンの代わりに、自分を奴隷にしてくれと要求します。このユダこそ、ヨセフを妬んでエジプトに奴隷として売った張本人でした。そのユダが今は弟ベニヤミンのために命を投げ出そうとしています。

・ヨセフはユダの言葉に心動かされ、自分の身を明かします。そこから創世記45章が始まります。ヨセフは語ります「私はヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか」(45:3)。ヨセフはもう兄弟たちの犯した過去の罪を責めません。神の導きで、兄弟たちと再会することが出来たと信じる故です。「私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです」(45:4-5)。「あなた方が私を奴隷に売った」という罪の行為が、「神が私をこの地に遣わされた」という神の働きに昇華されています。人間の目には「忌まわしい肉親間の争い」であったが、神の側からは「それは救済行為であった」とヨセフは語ります。「神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」(45:7-8)。

 

2.イスラエルのエジプト移住

 

・ヨセフは父ヤコブにもエジプトに来て、一緒に住むように勧めます。「息子のヨセフがこう言っています。神が、私を全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、私のところへおいでください。そして、ゴシェンの地域に住んでください。そうすればあなたも、息子も孫も、羊や牛の群れも、そのほかすべてのものも、私の近くで暮らすことができます。そこでのお世話は、私がお引き受けいたします」(45:9-10)。こうしてイスラエル一族はカナンを離れ、エジプトの国に住むようになりました。

・父ヤコブは天寿を全うしてエジプトの地で死にますが、兄弟たちは父がいなくなった今、ヨセフが過去の罪の報復をするのではないかと恐れます。その兄弟たちにヨセフが語った言葉が今日の招詞、創世記50:19-20です。「恐れることはありません。私が神に代わることができましょうか。あなたがたは私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」。神は「悪を善に変える力をお持ちだ」というのが、聖書の信仰です。ヨセフ物語が示すことは、神は私たちを愛されますが、その愛は人間の歴史に直接介入される方法ではなく、人の行為を通じてその目的を果たされるという真理です。ユダの悔い改めを通じてヨセフの告白が生まれ、それがイスラエル民族のエジプトでの養いにつながっていきます。

 

  1. 神の前で、神と共に、神なしに生きる

 

・ですから私たちは奇跡に期待するのではなく、「神の御心が私たちを通して成る」という信仰を持つ必要があります。毎年の8月15日に私たちは思います「神は何故戦争の惨禍を放置されたのか」。第二次大戦中のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)後、多くのユダヤ人は「なぜ神は天上から介入して我々を救わなかったのか」と叫び、生き残ったユダヤ人の中には信仰を棄てる人たちも出て来ました。その時、ユダヤ教のラビ、エマニュエル・レヴィナスは、それは「大人の信仰ではなく、幼児の信仰だ」と語ります。「人間が人間に対して行った罪の償いを神に求めてはならない。社会的正義の実現は人間の仕事である。わが身の不幸ゆえに神を信じることを止めるものは宗教的幼児にすぎない。成人の信仰は、神の支援抜きで、地上に公正な社会を作り上げるという形をとるはずである」(レヴィナス「困難な自由」内田樹訳)。ヨセフは先に語りました「神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです」(45:7-8)。「残りの者」、ヘブライ語「セエリート」です。大惨事の後の生存者を指します。ホロコーストで生き残った者には死んだ者たちに対する責任があるとレヴィナスは語っています。神はどのような時にも「残りの者」を残され、そこから新しい命が生まれていきます。

・イエスは伝道活動を故郷ガリラヤで始められ、病人をいやし、教えをわかりやすく説かれ、イエスが行かれる所には多くの群集が集まりました。ヨハネ福音書によりますと、イエスがガリラヤ湖のほとりで5千人にパンを与えられた時、人々はイエスを王にしようとします(ヨハネ6:15)が、イエスはそれを拒絶され、人々はイエスから離れていきます。「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」(6:66)とヨハネは記します。イエスは残った12人に問われます「あなた方も離れて行きたいのか」(6:67)。それに対して、ペテロが答えます「主よ、私たちは誰のところに行きましょう。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」(ヨハネ6:68)。人々はイエスから何かを得るために、いやしや救いや栄光を得るために来ました。イエスがそれらのものを与えてくれないことがわかると、多くの人びとはイエスから離れていきます。しかし、この12人はイエスのもとに留まりました。

・イエス亡き後の教会を形成し、福音を伝えたのは、この12人の残りの者たちでした。彼らはイエスが処刑された時に逃げましたが、復活のイエスとの出会いを通して、イエスのために死ぬ者と変えられていきます。私たちも同じように、復活のイエスに出会った。だから少数者である私たちが、イエスの教会を形成していくのです。現実の教会では意見が対立し、分裂することがあります。その時、大勢の人が教会を離れ、少数者が残されることもあります。私たちの教会もそのつらい経験をしたことがあります。しかし「残りの者」から新しい教会が再生していきます。ヨセフ物語が私たちに示しますことは、「人は思いのままに行動するが、その行為を導かれるのは神である」ということです。その神はどのような時にも残りの者を残される、ある時にはヨセフを残され、別な時には12弟子を残され、そして今私たちを残されています。

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