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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2017年8月13日説教(創世記8:1-22、洪水を恵みとするために)

投稿日:2017年8月13日 更新日:

2017年8月13日説教(創世記8:1-22、洪水を恵みとするために)

 

1.洪水の始まりと水の氾濫

 

・ノアの洪水の二回目です。創世記は6章から9章が洪水物語であり、6章で洪水の始まりを、7章で洪水の出来事を、8章で洪水の終わりを描きます。前回私たちは、ノアが作れと命じられた「箱舟」がエルサレム神殿と全く同じ大きさであることを学びました。ノアの洪水を描いた記者たちは、国が滅ぼされ、神殿も破壊されて、異国の地に捕囚となっている祭司たちだと考えられています。記者は洪水という惨事の中で箱舟の8人を残してくださった神の行為に、自分たちの将来の救済を叫んでいたのです。今日は8章を中心に「洪水の私たちへのメッセージ」を聖書から聞いていきます。最初に洪水の経緯を7章までさかのぼって見てみます。7章4節から洪水が予告されます「七日の後、私は四十日四十夜地上に雨を降らせ、私が造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした」(7:4-5)。

・洪水が始まります「ノアが六百歳の時、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられた通りに、雄と雌であった。七日が過ぎて、洪水が地上に起こった・・・この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」(7:6-11)。雨は降り続き、地には水が満ち、箱舟は水の上を漂流します。創世記は記します「洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った」(7:17-20)。その結果、大地の生き物はすべて息絶えます(7:21-24)。

・しかし、洪水も終わりの時を迎えます。創世記は「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた」と記します(8:1)。水が減るとノアは最初に烏を、次に鳩を放って、水の減り具合を確かめます(8:6-9)。しかし、烏も鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来ました。さらに7日待って鳩を放すと、鳩はオリーブの木の葉をくわえて戻りました(8:11)。水が引き始めて木の枝が現れて来たのです。「鳩とオリーブ」は象徴的な光景です。鳩がオリーブの枝を嘴にくわえてきたことから、この姿が平和のシンボルとなり 「オリーブの枝を差し出す」ことが和解のしるしとされていきます(1949年、パリ国際会議で、ピカソがデザインしたポスターが作られ世界中に浸透した。ピカソもまたスペイン内戦という惨事を経験している)。さらに7日後に鳩を放つともう戻らなかった、水が完全に引いたのです(8:12-14)。

 

2.洪水の終わり

 

・洪水が終わり、地も乾き、ノアと家族は箱舟を出ます(8:15-19)。下船したノアが最初に行ったのは礼拝でした。彼は祭壇を築き、清い家畜と鳥を、焼き尽くす献げものとして捧げます(8:20)。自分たちの罪を悔い、その中で命を残してくださった神に感謝するためです。焼き尽くす捧げものの「宥めの香りをかいだ」神は、次のように言われます。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ。私はこの度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも寒さも暑さも、夏も冬も昼も夜も、やむことはない」。(8:21-22)。「人が心に思うことは、幼い時から悪い」、人間の悪自体は変わらない。しかしそうであっても「私はそれを受け入れる」との神の宣言がここにあります。

・人は罪を重ねますが、神は滅ぼし尽くすことはされません。必ず残りの者を残され、彼らから新しい共同体が形成されます。そのことに捕囚の民は希望を見ています。捕囚地の預言者と言われる第二イザヤは、バビロン捕囚からの解放をノアの洪水を通して聞いています「これは、私にとってノアの洪水に等しい。再び地上にノアの洪水を起こすことはないとあの時誓い、今また私は誓う。再びあなたを怒り、責めることはないと」(イザヤ54:9)。「神は私たちを赦してくださった」との喜びの声です。洪水の後で変化したのは人間ではなく、神でした。神は「人間の悪を耐え忍び、受け入れられた」と創世記記者は語ります。

 

3.人間を罪のままに受け入れられる神

 

・今日の招詞として第一ペテロ3:20-21を選びました。次のような言葉です「この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです」。洪水の後、神は人を再び滅ぼすことはしないと約束されました。どのような苦難も有限なものになりました。バビロンの地で絶望の中に沈む民は、ノアに語られた神の言葉に、自分たちの生存の希望を見出していきました。洪水物語は新約聖書記者にも大きな影響を与えました。ペテロは洪水の意味をバプテスマの中に見ています。私たちはバプテスマによって葬られ、水から上がって復活の命に生きます。人は救われるために一度死なねばならない。洪水を通してこそ救いがあるとペテロは言っています。

・「ノアの洪水」の記事は、私たちには2011年に起こった「東日本大震災」の出来事と重なります。千年に一度といわれた東北沿岸部で発生した巨大地震は大津波(大洪水)を引き起こし、地上の家や自動車を破壊し、多くの人命を奪いました。私たちはその映像を見て大きな衝撃を受けました。同じく洪水を目撃したノアとノアの家族も、大きな衝撃をうけたはずです。東日本大震災の死者は2万人を超えましたが、ノアの洪水では、ノアとその家族、選ばれた動物以外、息あるものはすべて絶えてしまいました。洪水により、ノアの時代まで続いた世界は一旦、終止しました。神は苦悩と忍耐を持って、被造物が悔い改めるのを待っておられたがそうはならなかった、故に一旦滅ぼすことを決意された。しかし、悪に満ちた人間の中でノアだけが神に従う者であることを見出され、ノアとその家族を残されました。洪水は滅びではなく、より良き未来のための再創造だったのです。洪水の後、神は言われます。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい・・・生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」(8:21)。

・神は「もう人を滅ぼすことはしない」と誓われました。バビロン捕囚も天罰ではありませんでした。捕囚期の預言者エレミヤは語りました「剣を免れた者は荒れ野で恵みを受ける」(31:2)、荒野(捕囚)は単なる苦難の場ではなく、人がそれを受けいれる時、恵みの場になるという意味です。古代に活躍した民族のほとんどは死に絶えましたが、その中でユダヤ民族だけは生き残りました。バビロン捕囚を経験し、悔い改め、その結果「神の言葉を聞きながら歩む」民として再生したからです。同じように、3.11の洪水も裁きではあっても、天罰ではありません。3.11の大洪水を神が与えられた裁きとして受け止めた時、新しい時代を開くものになります。

・今回の震災による最大の衝撃は、大洪水による福島での原発事故でした。私たちは事故を通して、首都圏の電力が域外の東北で作られていることを知りました。福島や新潟に原発を建設したのは、人口密集地では事故時の被害が大きく、過疎地にしか原発立地が認められないからです(原子炉立地審査指針)。事故の危険性を福島や新潟に押し付けることを通して首都圏の繁栄があった。これは正義ではありません。私たちは洪水を通してそれを教えられました。また今回の事故を通して核廃棄物を現代の技術では無害化できないことを改めて知りました。核廃棄物の無害化には最大10万年かかると言われていますが、70年か80年しか生きることのできない人間にとって、10万年は予測できる範囲をはるかに超えています。それを知った上でなお原子力発電を継続することは不誠実です。さらに日本に原発が導入された契機は核爆弾に転用しうるプルトニウム生産のためであったことも知りました。日本はこのたび国連で取り決められた核兵器禁止条約に参加しませんでしたが、それは将来的には核保有国になりたいとの願望があるためだと考えられています。広島や福島を体験した国として、節度を破壊する行為です。

・東北は首都圏住民に電力を供給するための原子力発電所を引き受けてきました。それは原発交付金や、原発関連企業の雇用と引換に原発のリスクを背負わされたものでした。そのリスクは想定を超えるもので、そのために東北の地は汚されました。このような現実の中で、私たちは「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」(アモス5:24)という神の声をどのように聞くのでしょうか。神は「もう人を滅ぼすことはしない」と誓われました。神は今回の洪水を通して、私たちが新しい世界を築くことを待っておられます。イスラエルの民はバビロン捕囚という裁きを通して、創世記という信仰の書を書き上げました。戦後の日本は戦災と広島・長崎の原爆被害という苦渋を経て、戦後の平和・民主主義国家へ転換しました。同じように神は洪水後の新しい世界が、「正義と公平」に満ち溢れることを期待されておられるのではないでしょうか。それができるのは、神のみ旨を求めていく教会だけなのです。そこに教会の役割があります。どうすれば「洪水が恵みになりうるのか」を考え、求め、告げ知らせる役割が私たちにあることを、ノアの物語は示します。

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