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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2016年4月24日説教(ヨハネ黙示録7:9-17、神の刻印を押された者)

投稿日:2016年4月24日 更新日:

2016年4月24日説教(ヨハネ黙示録7:9-17、神の刻印を押された者)

 

1.地上の迫害と天上での準備

・ヨハネ黙示録を読み続けています。この黙示録は迫害に苦しむ教会に宛てて書かれた手紙です。紀元95年ごろ、アジア州の諸教会はローマ帝国の迫害に苦しんでいました。皇帝ドミティアヌスは自身の巨大な像を作って帝国各地に配置し、「神として拝め、拝まない者は殺す」という政策を取りました。国の統一のために皇帝礼拝を強制し、従わない者を排除していく国策を取ったのです。キリスト者たちはこれを拒否したため、多くの者が投獄され、ある者は殺され、黙示録の著者ヨハネもパトモス島に流されています。キリスト者たちは「神は何をしておられるのか。何故私たちを助けてくれないのか」と叫び、信仰が揺らぎ始めていました。その時、ヨハネは神の幻に接し、見た幻を手紙に書き記し、迫害にあえぐ諸教会に送りました。それがヨハネ黙示録です。幻を描いていますから、一見わかりにくいように見えますが、当時の人々にはすぐに意味がわかりました。私たちも、時代背景や記号の意味を丁寧に読んでいけば、手紙の意味するところは明らかになってきます。
・4章から、幻の内容が語られていきます。ヨハネは天に引き上げられ、神が玉座に座っておられるのを見ます。神の手元には計画を記した巻物があり、キリストがその封印を解いていくと、不思議な出来事が起こります。最初の封印を解くと、白い馬に乗った騎士が現れます(6:2)。白馬はローマ帝国の宿敵パルティアを意味し、ローマが外敵の侵入により困難に陥ることが預言されます。次に赤い馬に乗った騎士が現れます(6:4)。赤は流血であり、ローマを襲う戦争や内乱を意味しています。三番目に黒い馬に乗った騎士が現れます(6:5)。彼の登場と共に、穀物の値段が高騰し、ローマが飢饉に襲われることを意味します。第四の封印が解かれると、青白い馬に乗った騎士が現れます(6:8)。彼はローマを襲う疫病です。ローマ帝国はこれから、外敵の侵入で内乱状態になり、飢饉に苦しめられ、疫病が蔓延して、やがて滅ぶという未来を見せられました。今は勢威を振るい、暴虐の限りを尽くしていても、天では既にローマの支配を終わらせるための諸準備が為されていることをヨハネは示されました。

・第五の封印が開かれますと、殺された殉教者たちの声が響きます「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか」(6:10)。それに対して「僕たちの数が満ちるまで待て」と言う声が聞こえます(6:11)。今しばらくは迫害により殺される者が出る、それが神のご計画だと言うのです。第六の封印が開かれると、大地震が起こり、太陽と月は光を失い、星が天から落ちます。古い天地の滅亡です。その時、讃美の声が聞こえてきます。それが第7章です。キリストに従って死んでいった者たちが、神の僕の刻印を押されて、天の礼拝堂に集まり、讃美しています「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ『救いは、玉座に座っておられる私たちの神と、小羊とのものである』」(7:9-10)。殉教者たちが白い衣を着て神と御子の前に集い讃美し、それに呼応して天使たちが「然り、アーメン」と歌います。
・地上では迫害の嵐が吹き荒れていますが、天上では神を讃美する声がこだましています。人々のまとう白い衣はキリストの血で洗い清められています。集まった者たちは地上でそれぞれ苦難を背負い、天に召されましたが、今は天上で休息を許されています。天使たちは歌います「彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない・・・小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである」(7:16-17)。地上では彼らは飢え渇きに苦しみ、涙を流して来ましたが、ここではもう飢えも渇きも涙もありません。ヨハネは地上の教会に書き送ります「今あなたたちは迫害の中で、飢え渇き、涙を流している。しかし、天上ではそのような不義を裁くための軍勢が既に地上に派遣され、苦しみの末に天に召された民が集まり讃美している。殉教を恐れるな、彼らは肉の命を奪うことは出来るかも知れないが、私たちは永遠の命が神により与えられているのだ」と。

2.神の刻印を受けた者

・黙示録のキリスト者たちはローマ帝国の迫害を受けました。皇帝を神として拝むことを拒否したからです。それは国家反逆の行為であり、キリスト者たちはローマの権力者から憎まれました。拝めば迫害はなかったでしょう。しかし、拝めばキリスト者でなくなります。まさにイエスが預言された通りです「あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。私があなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである」(ヨハネ15:19)。

・黙示録7章によりますと、大地は四人の天使に支えられ、大地の四隅から吹く風が抑えられています(7:1)。そして「神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない」と命じられています(7:3)。救われるべき人々にしるしがつけ終わるまで、裁きの日は来ずに、天地は支えられているというのです。そして神の僕の額には「刻印」(スフラギス)が押されています。パウロは同じ言葉をバプテスマの意味で用い(キリストの証印=スフラギス、2コリント1:22)、別の個所では「イエスの焼き印(スティグマタ)を身に受けている」(ガラテヤ6:17)と語ります。バプテスマを受けた私たちの額には既に神の刻印が押されている、私たちは神の所有物であり、世に属さない、私たちの本国は天にある、それが聖書の示すところです。私たちは天国の市民権を持って、この地上で暮らしています。そこからいろいろな困難が生まれて来ます。

 

3.神の民として生きる

 

・今日の招詞としてピリピ3:20を選びました。次のような言葉です「私たちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストの来られるのを、私たちは待ち望んでいる」。ヨハネ黙示録の信仰者たちは神の約束を信じて生きました。彼らは約束の実現がまだ見えていない時も、約束は成就すると信じていました。彼らにとって地上の人生とは神の国を目指す旅であり、自身は寄留者で国籍は天にあると信じていました。国籍が天にあるとすれば、地上での私たちの生き方は変わって来ます。皇帝の像を拝めば命は助かるとしても拝みません。

・「黙示録の歴史的分析」という論文のなかで福嶋裕子氏(青山学院大学)は語ります「黙示文学は破局的状況の中から誕生した。著者ヨハネは66-70年のユダヤ戦争によってパレスチナから小アジア地方に避難し、90年代にエフェソ市内で建築中の皇帝ウェスパシアヌス、その子ティトス、弟ドミティアヌスの巨大な像を見た。このティトスこそエルサレムを陥落させ神殿に火を放ったローマ軍を指揮した人物である。ユダヤ人としてキリストを信じるヨハネと彼の周りのキリスト者共同体の視点に立つ時、皇帝崇拝は宗教的にも政治的にも唾棄すべきものである。エルサレムの壊滅とユダヤ人に加えられた蹂躙を記憶するヨハネの目には、小アジア地方の滅亡は深刻な速度で進んでいるように映り、世界の終わりさえ念頭にあったであろう。ユダヤ戦争が勃発した時、パレスチナ各国で非ユダヤ人の住民によるユダヤ人への殺戮行為が始まった、ユダヤ人と疑われただけで殺されかねない混乱状態が続いた。黙示録の著者ヨハネも日常がもろくも崩れ去る記憶は生々しく残っていた。ヨハネ黙示録は戦争文学であり、神の啓示を歴史の中で語る預言者の書でもある。黙示録は、戦争の余波の中、死者の記憶を保持しながら書かれている」(ヨハネ黙示録の修辞的・歴史的分析、「3.11以降の世界と聖書」、p170-174)。

・ローマ皇帝は「自分を神として拝め」と強制しました。大日本帝国は天皇を神として拝むことを強制し、ナチス・ドイツはヒトラーを絶対的指導者として拝むことを求めました。国家が偶像礼拝を強制した時、神はこれを裁かれる。黙示録の中に偶像礼拝への戦いを読み込むことは、歴史的文脈の中での理解です。支配者あるいは国家がサタン化した時、国民はどのようにすべきなのでしょうか。ドイツでナチスが政権を取った1933年、教会の多くはナチス政権を神が与えた器として受け入れていきます。しかしカール・バルトを中心とした告白教会の人々は「為政者が神の委託を超えて悪を行う時、キリスト者はそれに従うべきではない」と主張しました。

・ナチスがドイツで政権を掌握した時、大学でもヒトラー総統への敬礼をもって授業を始めることが決められました。当時ボン大学神学部教授だったカール・バルトはそれを拒否し、1934年4月30日に、バルトはボン市警察局に召還されて尋問されます。その後一時的に監禁されますが、バルトは屈せず、5月末に告白教会会議を招集することを提案し、第1回会議がバルメンで開催され、バルトが起草した宣言が採択されます(バルメン宣言)。バルメン宣言は語ります「国家がその特別な委託を超えて、人間生活の唯一にして全体的な秩序となり、従って教会の使命をも果すべきであるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを、われわれは斥ける」。

・このバルメン宣言は「ヒトラーを神と同列に崇拝することを拒否した」宣言ですが、今、日本国内で改めて注目を集めています。 日本で強まる外国人排斥の動きや民族主義の流れ、憲法9条の解釈改憲の動き等がナチス時代のドイツと同じ状況を示し始めているからです。宮田光雄氏(東北大学名誉教授)は「バルメン宣言の政治学」という講演の中で語りました「ナチスが当時のワイマール憲法を明文改正したことは一度もなく、特別立法の積み重ねで骨抜きにした歴史があり、それに対抗し、個人の信仰や良心を守ろうとしたのがバルメン宣言だった。世の中の不安が増し、歴史に目を向けない反知性主義が幅をきかせ始めた今こそ、時の権力に価値判断を委ねず、個人が世界市民として普遍的原則を持つことが求められている」(2014年4月26日)。

・先の福嶋裕子氏は続けます「黙示録に描写されるのは天の軍勢であり(7:1-8)、復讐を叫ぶ死者の声であり(6:9-11)、天上での戦争の開始である(12:7)。だが真の勝利はあらゆる暴力的力と権力を放棄したイエスの犠牲の死のみにあると黙示録は宣言する。黙示録は真の権威を持つ神に恭順を示す礼拝共同体に人間の成長を見出している。しかもその神は毅然として武力闘争を放棄したイエスの姿に共同体の基礎を置く」。日本にも黙示録の時代が来つつあるのではないかという危機感を持って、現在を見ることが求められています。私たちは天国の市民権を持つものであり、額に神の刻印を押されているものであることを、今日改めて確認したいと思います。

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