2015年8月16日説教(コヘレト4:17-5:8、神は天にいまし、あなたは地にいる)
1.神は天にいまし、あなたは地にいる
・コヘレト書を読んでいます。コヘレトは紀元前3世紀に生きたユダヤの知恵の教師です。彼はニヒリストですが、決して無神論者ではありません。むしろ真剣に神を求める探究者です。そのため世の人々の安易な信仰の在り方には批判的です。人々は神信仰の中にご利益を持ち込みます。4章の終わりでコヘレトは語ります「神殿に通う足を慎むがよい。悪いことをしても自覚しないような愚か者は供え物をするよりも、聞き従う方がよい」(4:17)。人々は神殿に供え物を捧げれば神が喜んでくださり、恵みを与えて下さるだろうと信じています。しかしコヘレトは考えます「神が動物の犠牲を必要とされるだろうか。初穂を捧げて、それを食されるだろうか。そんな馬鹿なことはない」と。彼は言います「焦って口を開き、心せいて、神の前に言葉を出そうとするな。神は天にいまし、あなたは地にいる。言葉数を少なくせよ。夢を見るのは悩みごとが多いから。愚者の声と知れるのは口数が多いから」(5:1)。
・「神は天にいまし、あなたは地にいる」、「人間は死ねば塵に帰る存在に過ぎない、だから分をわきまえるべきだ」とコヘレトは語ります。現代人は科学技術の進歩により、人間は万能であり、自然は人間に奉仕するためにあるとさえ思い込んで来ました。その手痛いしっぺ返しが2011年3月11日に起こった福島原発事故だと思います。原子力発電所の爆発により膨大な放射性物質が飛散し、原発周辺は人が住めない危険地帯となり、数十万の人々が避難を余儀なくされました。なぜこのような事故が起きたのか、政府も国会も事故調査を行いました。政府事故調の結論は「この事故は原発安全神話に依存し、推進してきた政策の破綻であり、当事者は事故が起こることを想定すらしていなかった」と批判しました。また国会事故調は「これは明らかに人災であり、当事者たちは自らの行動を正当化し、責任回避を最優先にしていた」と批判しました。
・聖書的に言えば、原子力発電所は壮大なバベルの塔に譬えられると思えます。創世記は「有限な人間が神になろうとして天にも届くバベルの塔を立てようとしたが、神がそれを崩された」(創世記11:1-10)と記述しますが、まさに福島でその出来事が起こったのではないかと思われます。発電のための核燃料は冷却電源が喪失するだけでメルトダウン(炉心溶融)し、やがて原子炉が爆発し、誰も制御できない事態を引き起こします。また仮に事故が起きないとしても放射性廃棄物は完全無害化まで10万年の時が必要だと言われています。100年の寿命しかない人間が10万年先の危険性を管理することは無理なのです。それを福島の体験から学んだのに、事故から4年後の今年2015年、鹿児島・川内原発の再稼働が断行されました。今後も原発再稼働が続く見通しです。この原発再稼働問題について、教会が取り組むべき、あるいは語るべき課題なのか、様々な意見がありうると思います。しかし福島から避難している人が今なお10万人もいることを考えれば、無関心ではおれません。今野順夫(としお)福島大元学長は再稼働反対のシンポジウムで語られました「原因究明もなく福島をないがしろにしたままの再稼働は、被災者の心を逆なでするものだ」(2015.8.14朝日新聞)。コヘレトも、「バベルは崩壊したのに、また新しいバベルを作ろうというのか」と冷笑するでしょう。「神は天にいまし、あなたは地にいる」ことが、まだわからないのかと。
・コヘレトは「神が求められるのは犠牲を奉げることではなく、神の言葉を聴くことだ」と語ります。しかし人間は聞こうとはせず、願望を満たすためにあれこれと要求します。私たちの祈りは神への願い事で満ち、家内安全、無病息災、商売繁盛、等を祈り、見返りとして神に誓約します。それは「祈りではなく、取引ではないか」とコヘレトは皮肉ります。しかも人はその誓約を守ることさえできない。彼は語ります「神に願をかけたら、誓いを果たすのを遅らせてはならない。愚か者は神に喜ばれない。願をかけたら、誓いを果たせ。願をかけておきながら誓いを果たさないなら、願をかけないほうがよい。口が身を滅ぼすことにならないように。使者に『あれは間違いでした』などと言うな。神はその声を聞いて怒り、あなたの手の業を滅ぼされるであろう」(5:3-5)。
- 不平等や不正な出来事にどう対応するのか
・コヘレトは4章で、「貧しい者が虐げられても救済する者は誰もいない」と嘆きました(4:1-3)。何故そのようなことが起こるのか。コヘレトは、この世では「強い者が更に強くなる」社会の構造的悪があるからだと理解しています。人間の原罪です。コヘレトは語ります「貧しい人が虐げられていることや、不正な裁き、正義の欠如などがこの国にあるのを見ても、驚くな。なぜなら身分の高い者が、身分の高い者をかばい、更に身分の高い者が両者をかばうのだから」(5:7)。福島原発事故においても誰も責任を取りませんでした。一人の役人が他の役人をかばい、さらには身分の高い政府高官が両者をかばったからです。
・責任の所在がどこにもない、無責任体制が今日の課題です。今回の原発再稼働に国民の57%は反対しており(2015.8.10毎日新聞調査)、また電力需給は原発再稼働を必要としていません。それにも関わらず再稼働がなされます。なぜ再稼働が必要か、万一の事故の時にどう対応するのかの説明もないままに、再稼働という事態だけが進行しています。人間は必ずミスを犯します。水力発電や火力発電ではミスは限定的ですが、原子力発電ではミスが地域を死の町にしてしまいます。創世記4章ではカインが弟アベルを殺し、その流された血が大地を不毛にし、人の生存を脅かすようになったと記述されています。古代では気候不順があれば飢饉が生じ、大地の不毛が人々をその住む所から追い立てた現実が、物語の背景にあります。古代の人々は、大地の不毛を「人の罪により地が呪われた」と理解したのです。今日、チエルノヴィリ原発事故によりウクライナの農地は汚染され、福島原発事故により福島の村や町が廃墟になりつつあります。「地はあなたの故に呪われる」、「人間の罪が地を汚している」、状況は現在も続いているのではないかと思われます。
・コヘレトの時代も同じ状況にありました。箴言は語ります「王が正しい裁きによって国を安定させても、貢ぎ物を取り立てる者がこれを滅ぼす」(箴言29:4)。官僚制度の弊害である無責任体制や、弱者からの搾取は昔からあったのです。また預言者イザヤは当時の社会の腐敗を「災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでに、この地を独り占めにしている」(イザヤ5:8)と批判しています。権力者による土地独占により、本来は耕作地として豊かな実りをもたらすべき土地が、耕作放棄地として捨てられている。だからコヘレトは語ります「何にもまして、国の利益は農地を耕させる王である」(5:8)。今日的に言えば貧富の格差が国を荒廃させています。
・福島事故があったのに、原発再稼働が進められているのは、経済性が優先されているからです。原発停止によって原油や天然ガスの輸入コストが嵩み、電力会社はどこも赤字になりました。事業会社はこれ以上の電気料金値上げは避けたいし、国は原油輸入拡大による貿易赤字の拡大を防ぎたいとしています。その結果、安全性は確保されていないが、経済的に優位な会計制度である(事故処理費用は前提にしない、使用済み核燃料は再使用を前提に資産計上等)原発再稼働が進行しています。コヘレトは語ります「銀を愛する者は銀に飽くことなく、富を愛する者は収益に満足しない。これまた空しいことだ」(5:9)。命よりもお金を優先する姿勢が原発再稼働を招いているとしたら、それは聖書的にはマモン(金銭の神、マタイ6:24)の行為です。
- 人として与えられた生を生きよ
・今日の招詞にコヘレト5:14-15を選びました。次のような言葉です「人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。これまた、大いに不幸なことだ。来た時と同じように、行かざるをえない。風を追って労苦して、何になろうか」。人は裸で生まれ、裸で死んでいきます。それなのに地上での栄達を求めてあくせくするのは、「風を追って労苦する」ことではないかとコヘレトは語ります。アップル社を創業し、この世の栄華を極めたスティーブ・ジョブズは、56歳で膵臓癌のために亡くなりますが、生前このような言葉を残しています「墓場で一番の金持ちになるなんて何の意味がある。今日は最高だったといって眠りにつく。私にはこっちのほうが重要なのだ」。
・コヘレトの結論もジョブズと同じです。「生かされている今をあるがままに楽しめ」、「労苦の中に幸せを見出せ」というものです。彼は語ります「見よ、私の見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ」(5:17)。人生の喜びは、「労働」し、「休息」し、「毎日を充実」して生きることです。土地を耕す農夫は収穫が、神が太陽と雨を恵んでくださったからこそ可能であることを知り、感謝します。この感謝の人生こそ、コヘレトが見出した人生の意味です。彼は語ります「神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを与えられるのだから」(5:18-19)。
・「神は天におられるが、あなたは地にいる」、あなたは神ではなく、人なのだ。あなたにとって一番大事なことは、「神になろうとする」ことではなく、「神から与えられた恵みを感謝して生きる」ことなのだとコヘレトは語ります。コヘレト書は2300年前に書かれた知恵の書ですが、現代の事柄を考える指針になりうる書です。世には多くの不正や利得があります。私たちは「神の知恵」を用いて、その現実を知るべきです。カール・バルトは「片手に聖書を、他の手に新聞を持って神学する」と繰り返し語りました。聖書と新聞を通して、現代の出来事の神学的な意味を探求する、それが教会の大事な役割だと思います。原発問題は単なる政治課題としてではなく、私たちの生き方の問題として、教会の考えるべき課題なのだと思います。