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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年4月4日受難日礼拝説教(ルカ23:39‐56、イエスは十字架で死なれた)水口仁平

投稿日:2015年4月4日 更新日:

2015年4月4日受難日礼拝説教(ルカ23:39‐56、イエスは十字架で死なれた)水口仁平

 

・イエスの十字架の死は、イエスの処刑を担当したロ-マ軍の百人隊長を感動させました。百人隊長というのは、ロ-マ軍、一軍団六百人の六分の一、百人の兵士から成る百人隊の指揮官です。百人隊は戦場では最前線に立ち勇敢に戦ったと言われています。百人隊長はイエスを処刑場に護送し、十字架に付け処刑しました。最初から最後まで、イエスの処刑に関わった、イエスを処刑した側の人物です。イエスは、その百人隊長に、「本当にこの人は正しい人だった。」と言わせました。何が彼をそう言わせたのでしょうか。

・イエスの処刑では、百人隊長のそれまでの経験にないようなことが、次々起こりました。まず、イエスの両側に架けられた犯罪人の一人が「お前がメシアなら自分を救ってみろ」と、イエスを激しく罵りました。すると反対側に架けられたもう一人犯罪人が、罵った犯罪人を戒めて、「我々は自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことはしていない。」とイエスをかばい、イエスに向かって、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」と願いました。

・彼は十字架に架けられ死ぬ間際に、イエスを信じ、悔い改めたのです。彼の信仰告白を聞いたイエスは、それに答えて「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる。」と約束されました。百人隊長はこれまで、犯罪人が死ぬ間際に罵り、喚いたり、泣き叫ぶのを聞いたことはありますが、犯罪人が犯罪人を戒め、さらにその犯罪人が罪を悔いて、もう一人の犯罪人に天国で自分を思い出してくれと頼み、それが聞き入れられるなど、それまで見たことも聞いたこともありませんでした。

・そして天候が急に変わったことも驚きでした。昼の十二時ごろになると、昼間なのに太陽が光を失い、カルバリの丘が薄暗くなりました。しかし、日食ではありません。日食ならすぐ明るくなりますが、その薄闇は午後三時頃まで続きました。その間に地震もありました。その薄闇が刑場の群衆を驚かせ、闇が濃くなるにしたがい、刑場の喧騒は治まり、静まり返りました。

・そのとき、十字架の上からイエスの声が聞こえました。「父よ、私の霊を御手にゆだねます。」と叫ぶイエスの声が、刑場に居た人達にはっきり聞こえました。そしてイエスは息を引き取られました。すると、再び太陽が光を取り戻し刑場が明るくなりました。すべてが終わったとき、処刑場特有の陰惨な空気が消え失せ、いつの間にか厳粛な雰囲気に変わっていました。なぜでしょうか。それはこの世のすべてを支配するのが死だと思い、恐れていたのが、死をも恐れない、それ以上の存在があるのが、誰にも分かったからです。

・百人隊長は感動して思わず、「本当に、この人は正しい人だった。」と言って神を賛美しました。その日の処刑は、今まで百人隊長が経験したことがないことでした。なぜか、それは処刑される側が、処刑する側を感動させ、陰惨なものを厳粛なものに変えたからです。処刑の見物に集まった群衆も、感動に胸を打たれて帰りました。イエスを知る人々と、ガリラヤから従ってきた女性たちも遠くから、その一部始終を見ていました。

・イエスの遺体は世の罪人のように、ヒノムの谷に投げ捨てられ獣の餌食になることなく、ユダヤの最高議会の一員であるヨセフらにより、新しい墓に丁重に葬られました。イエスは最後に「父よ、私の霊を御手にゆだねます」と叫びました。イエスの霊は父なる神の元へ行かれたのです。ユダヤ人はイエスの肉体を滅ぼすことができても、イエスの霊まで滅ぼすことはできなかったのです。そしてイエスは死に勝ち三日後に復活しました。イエスは神の国の福音を述べ伝え、その類ない高潔な生涯の終わりに、最も残酷で恥辱の極みの十字架刑に処せられました。

・しかし、この十字架は、後に人類の救いの象徴となりました。パウロはそれを「十字架の言葉」と言っています。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です。それはこう書いてあるからです。『私は知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味ないものとする。それは、世の知恵では神を知ることができなかったからです』(第一コリント1:18)。

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