2015年4月19日説教(使徒言行録11:19-26、キリスト者として生きる)
1.アンティオキア教会の誕生
・先週、私たちは、エルサレム教会に迫害が起こり、ギリシア語を話す信徒たち(ヘレニスタイ)がエルサレムを追放された記事を読みました。彼らは「ユダヤとサマリアの地方に散っていった」(8:1)とルカは記します。散らされていった信徒たちの一部はシリア州の都アンティオキアにまで行きます。そこでの宣教は当初はユダヤ人に限られていましたが、次第に異邦人たちも教会の輪の中に加えられていき、その地で彼らが初めて「キリスト者」(クリスティアノス)と呼ばれるようになります。ユダヤ教の枠を超えたキリスト教会がここに誕生します。その記事が私たちの人生にどのように関わってくるのかを今日は共に学びたいと思います。
・ルカは記します「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」(11:20)。紀元33年頃、イエスの十字架死の3年後の出来事です。アンティオキアはシリア州の州都で当時はローマ、アレキサンドリアに次ぐ大都市で、人口80万人を超えていたと言われています。人口の中心はシリア人ですが、他にもギリシア人、ローマ人等がおり、ユダヤ人の共同体もあったと言います。そこではギリシア語が共通語として話されています。エルサレムを追われた人々は、母国語のギリシア語を用いて、最初はユダヤ人に、次第に異邦人への宣教を行いました。ルカは「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」(11:21)と記します。原語を直訳すると、「主のみ手が彼らと共にあったので」、大勢の人々が教会に集められ、信仰者が生まれて行きました。もちろん、教会と言っても会堂があるわけではなく、個人の家に集まる「家の教会」です。
・この知らせが母教会のエルサレム教会にも伝えられ、教会は支援のためにバルナバを派遣します。ルカは記します「このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた」(11:22-24)。バルナバはキプロス出身のユダヤ人で、かつてパウロがエルサレムを訪問した折、パウロをエルサレム教会に紹介する労をとった人であり、「慰めの子」と呼ばれた(4:36)、柔軟な考え方を持つ人でした。彼は今後の異邦人伝道のためには、既にダマスコやタルソスでの豊富な体験を持つパウロが必要だと考え、故郷のタルソスで伝道していたパウロをアンティオキアに招きます(11:25-26)。ここで、将来の大伝道者パウロが初めて歴史の舞台に登場します。
・このアンティオキアで、教会の人々は初めて「クリスティアノス」と呼ばれるようになります(11:26)。クリスティアノス、クリストス(キリスト)に属する人々、キリスト派、あるいはキリスト党の意味のあだ名です。彼らはもはやユダヤ教の枠内に留まる集会ではなく、キリストの教会へとなっていったのです。エルサレム教会の中心になったのは、ペテロやヨハネ等ガリラヤ以来の弟子たちで、彼らは復活のイエスに出会ってその存在を変えられた人々ですが、信仰的には「律法を守り、神殿を尊ぶ」ユダヤ教徒でした。ですからユダヤ教中核の人々も彼らの存在を容認し、彼らはユダヤ教イエス派として活動していました。彼らはあくまでも「ユダイオン」(ユダヤ教徒)であり、誰も彼らを「クリスティアノス」とは呼びませんでした。
・一方、アンティオキア教会を形成したのはギリシア語を話すユダヤ人たち(ヘレニスタイ)で、彼らは「人はイエスの十字架を通して救われる、律法や割礼は不要だ」と説き、「神は人が造った神殿には住まわれない」と公言します(7:49-50)。体制の枠内でイエスの言葉を聞き続ける限り、迫害はありませんが、同時に進歩もありません。イエスはユダヤ教の枠組みを大きく超えたために殺されたのです。人々がそのイエスの言葉に文字通り従い始めた時、その集団は体制を超え、体制側からの迫害が始まります。しかしその迫害を通して良きものが生まれてきます。後のキリスト教会を形成したのはエルサレム教会等の体制派の人々ではなく、迫害されて追放されていった反体制の人々です。そして彼らこそ「キリスト者=クリスティアノス」と呼ばれた人々でした。
2.アンティオキア教会の働き
・そのアンティオキア教会はどのような教会だったのでしょうか。使徒言行録13:1に教会の主な指導者たちの紹介があります「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた」。「バルナバ」はキプロス島出身です。「シメオン」はニゲル=ニグロと呼ばれていますので、おそらくはアフリカ出身の黒人です。「キレネ人のルキオ」、北アフリカ・クレネ(今のリビア)の出身です。「領主ヘロデと一緒に育ったマナエン」、ガリラヤ出身の身分の高いユダヤ人です。最後に「パウロ」、キリキア州タルソス出身のユダヤ人です。アンティオキアそのものも、シリア人、ギリシア人、ローマ人、ユダヤ人等が混在する国際都市でした。それを反映して、教会に集まっていた人たちも様々な出身の人々が集う国際教会でした。それぞれが違う伝統、異なる国民性を持っている教会で、そこではユダヤ教徒としての割礼を受けなければ救われないとか、エルサレム神殿の犠牲奉献により罪が赦される等の教理は何の力も持っていません。ですからそこに、「イエス・キリストのみに従う」信仰者の集団が生まれたのです。
・現代日本の教会も世の中の動きを受けて国際化しています。日本には213万人の外国人が住んでおられます。彼らの多くはキリスト教徒で、カトリックでは既に構成員の半分は外国人になっています(統計によればカトリックの日本人信徒44万人、外国人信徒も同数で、多くはブラジル・ペルー・フィリッピンからの移住者)。そのため、カトリック教会では既に英語・スペイン語・タガログ語の礼拝が持たれるようになっています。プロテスタント教会は従前どおり日本人中心ですが、それでも信徒の中に中国系、韓国系、フィリッピン系等の人々も増えています。この国際化にどう対応するかは、アンティオキア教会の課題でしたが、日本の教会の課題にもなりつつあります。将来、私たちの教会も午後から英語礼拝を行うようになるかもしれません。
3.キリスト者として生きる
・今日の招詞に第一ペテロ4:16を選びました。次のような言葉です「しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい」。新約聖書の中にキリスト者(クリスティアノス)という言葉は三回出てきます。第一が今日の使徒11:26,次が使徒26:28,最後がこの第一ペテロ4:16です。このクリスティアノスという外部からつけられたあだ名が、やがて教会の中での自己呼称キリスト者、あるいはクリスチャンになっていきます。第一ペテロはドミティアヌス皇帝のキリスト教徒迫害下に書かれた手紙で、年代的には紀元90年代頃に書かれたと言われています(ペテロは64年に殉教しているためペテロの後継者が書いたものです)。著者は手紙の中で、「キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じるな」と励ましています。イエスが十字架で殺されたように、キリスト者であることはこの世では苦難を受けることと繋がります。しかし、「それを避けるな」と著者は言います。
・日本に戦国時代にキリスト教(キリシタン)が入ってきた時には、わずか50年間のうちに50万人以上の日本人が入信したと言われています。当時の日本人の人口は2500万人程度とみられていますので、50年間でたちまち人口の2%が入信したわけです。しかも、信念をもった確固としたキリスト教信者が大勢いましたので、迫害下では殉教者が輩出しました(5万人近い信徒が殉教したと伝えられています)。そんな実績があるのに、なぜ、今の日本でキリスト教は普遍化しないのでしょうか。
・それに関連して、経済学者であり、同時に熱心な信徒であった隅谷三喜男は「日本の信徒の神学」の中で次のように述べます「日本において神学者(牧師)は2階にいて、勉強している。信徒は日曜日だけ2階に行って、後は1階で生活している。両者がこの辺の問題点を互いに指摘し、生活様式にまで踏み込み、問いかけながら、時には戦っていかなくては、展開はないのではないか」。この文章はドイツの哲学者レーヴィットの日本知識人批判(2階に欧米の思想、1階に日本的心情、両者を結ぶ階段がない)を日本の教会の現状に当てはめたものです。すなわち牧師宅の2階にはバルトやテーリッヒ等の神学書が並んでおり、説教は2階で準備され、意味不明の難しい教理が語られる。他方、1階には信徒が主の言葉を生活の中で聞きたいと集まるが、語られるのは神学者の言葉であり、生活の中の信仰ではない。その結果、信徒における信仰と生活の分離、牧師における説教や教えの生活からの分離が生じていると批判します。まさにその通りだと思います。
・ヘンドリック・クレーマーは1958年「信徒の神学」を書きましたが、その中で述べます「神は世と関わりを持たれる方であるゆえに、教会もまた世のために存在する。しかし、現実には、教会の関心は、それ自身の増大と福祉に注がれてきた。教会は自己中心的に思考し、世に対する関心は二次的であった。信徒は世にあり、世のもろもろの組織・企業・職業の中にくまなく存在する。その場所こそ彼らの宣教の場所だ。世にあるキリスト者、それが信徒であり、教会はその信徒を助け支える役割を持つ。教会は信徒を通じて、この世にキリストのメッセージを伝えていく。信徒こそが世に離散した教会である」。ある人は語りました「クリスチャンに成ることは良いことだ。クリスチャンで有ることはさらに良い。クリスチャンで在り続けることは最良である」。皆さんの一人一人が自分はキリスト者(クリスティアノス)であるという自覚を持つ時、教会は世に仕える共同体になります。