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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年9月20日説教(コヘレト10:1-20、世の愚かさにどう対応するか)

投稿日:2015年9月20日 更新日:

2015年9月20日説教(コヘレト10:1-20、世の愚かさにどう対応するか)

 

1.世に行われる愚かな事々

 

・コヘレト書を読み続けています。コヘレトは古代ユダヤの知恵の教師です。ですから、彼は世の人々の愚かさ、智恵の欠如に我慢ができません。彼は語ります「どんなに値の高い香油も死んだ蝿が混入すれば無価値になる」(10:1)、悪臭が芳香を台無しにするように、賢者の知恵も愚か者の行為により、損なわれます。「賢者の心は右へ、愚者の心は左へ。愚者は道行くときすら愚かで、だれにでも自分は愚者だと言いふらす」(10:2-3)。聖書で右は聖なる方向、左は邪悪を示します。

・愚者の悪影響が最も出やすい場面は、国の指導者が愚かな時です。為政者が愚かな国は政治が乱れます。コヘレトは語ります「いかに不幸なことか、王が召し使いのようで、役人らが朝から食い散らしている国よ。いかに幸いなことか、王が高貴な生まれで、役人らがしかるべき時に食事をし、決して酔わず、力に満ちている国よ」(10:16-17)。聖書にある愚かな王の代表はレハブアムです。イスラエルはダビデ・ソロモン時代には統一王国として栄えましたが、ソロモンの後継者レハブアム王(前930―913年在位)時代に、国は分裂します(北イスラエル、南ユダ)。その原因はソロモン時代の重税ですが、同時に若き王レハブアムの愚かさでした。彼は北部の指導者たちから受けた租税軽減の要請に対して答えます「父がお前たちに重い軛を負わせたのだから、私は更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、私はさそりで懲らしめる」(列王記上12:11)。分裂した王国は力をなくし、北イスラエルはアッシリアに、南ユダはバビロニアに国を滅ぼされていきます。

・為政者が何を第一に求めるのかで、政治は異なってきます。父ソロモンは王に即位する時、人々を治める知恵を祈り求めました。ソロモンの祈りが残されています。「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、私は取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません・・・どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう」(列王記上3:7-9))。それに対して子のレハベアムは力の支配を目指しました。国の指導者が愚かな時に、私たちはどう対応すべきかが今日の主題です。

 

2.権力にどう向き合うのか

 

・旧約における知恵の伝統は、王宮に仕える官僚たちにより継承されて来ました。コヘレトもその官僚の一人として、王との関係断絶を避けよと説きます「主人の気持があなたに対してたかぶっても、その場を離れるな。落ち着けば、大きな過ちも見逃してもらえる」(10:4)。箴言も同じ知恵を語ります(箴言16:14「王の怒りは死の使い。それをなだめるのは知恵ある人」)。たとえ王が愚かであっても逆らうな、逆らえばあなたが滅ぼされるだけだとコヘレトは語ります。彼は支配者の愚かさを知っています「太陽の下に、災難なことがあるのを見た。君主の誤りで、愚者が甚だしく高められるかと思えば、金持ちが身を低くして座す。奴隷が馬に乗って行くかと思えば、君侯が奴隷のように徒歩で行く」(10:5-7)。「愚かな王でも従え」、ここで求められている知恵は「平静」(Serenity)です。

・ラインホルド・ニーバーの祈りが「平静の祈り」として知られています。中村佐知訳では次のようになります「神よ、私にお与えください、変えることのできないものを受け入れる平静な心を。変えることのできるものは変える勇気を、そしてそれらを見分ける知恵を。一日、一日を生き、一瞬、一瞬を楽しみ、苦しみも、平安へ続く道として受け入れ、この罪深い世を、自分の願うようにではなく、そのままに受けとめる。あの方がそうなさったように。神の御心に自らを明け渡すのならば、神は全てを善いように変えてくださると信頼しつつ、それによって私がこの世での人生もそれなりに幸せに生き、来るべき次の世ではとこしえに、神と共に最上の幸せを得るように。アーメン」。コヘレトの心と最も近い表現だと思います。

・世の中には愚者が多く、愚者はわかりもしない未来について、たわ言を語ります「賢者の口の言葉は恵み。愚者の唇は彼自身を呑み込む。愚者はたわ言をもって口を開き、うわ言をもって口を閉ざす。愚者は口数が多い。未来のことはだれにも分からない。死後どうなるのか、誰が教えてくれよう。愚者は労苦してみたところで疲れるだけだ。都に行く道さえ知らないのだから」(10:12-15)。他方、賢者は口を慎み、役に立つ知恵の言葉を語ります。日常の出来事も知恵を働かすことによって改善します「落とし穴を掘る者は自らそこに落ち、石垣を破る者は蛇にかまれる。石を切り出す者は石に傷つき、木を割る者は木の難に遭う。なまった斧を研いでおけば力が要らない。知恵を備えておけば利益がある」(10:8-10)。

・1980年代、日本はバブル景気に沸き、株価は4万円をつけ、土地資産総額は2456兆円まで上りました。当時のアメリカの地価総額の4倍にもなる信じられない金額です。「土地価格は永遠に上がり続ける」という土地神話がバブルをもたらしましたが、そのバブルもやがて崩壊し、土地価格は半値まで低下し(2006年)、多くの金融機関や企業が破綻し、その後20年間経済は停滞しました。その失われた20年間を取り戻すために、安倍政権はインフレ刺激政策を行い、日銀に国債を買わせ、年金ファンドに株を買わせて、新しいバブルを起こし、表面的な景気は回復しました。長期金利は0.5%まで低下し、株価は2万円を超えました。日銀は今では年間80兆円の国債を買い(発行額の90%)、保有残高は269兆円と全体の25%を超えています(2015年)。国債の日銀引受を原則禁止する財政法5条(中央銀行による財政の穴埋めの禁止)下で、異常事態が進展しています。常識的にはどこかの時点でバブルは崩壊し、日銀が将来、国債購入を中止すれば、国債価格が急落し(金利は急騰し)、株価は大暴落するでしょう。同じ過ちを犯しつつある、愚かな政策は持続できない。日本の国債格付けはA+(S&P)であり、中国や韓国(AA-)より低い、危機的な状況の中にあります。「愚者は口数が多い。未来のことは誰にも分からない。死後どうなるのか、誰が教えてくれよう」(10:14)とコヘレトが語る通りです。

 

3.愚かな善人になるな

 

・今日の招詞にルカ16:8を選びました。次のような言葉です「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」。ルカ16章にあります「不正な管理人の譬え」の1節です。主人の資産運用を任された管理人が、資産の一部を着服し、またずさんな運用で損失を出します。事実を知った主人は管理人に「会計報告」を出すよう求めます。解雇を覚悟した管理人はまだ権限がある間に、解雇後に自分を家に迎えてくれるような味方を作ろうとして、主人に借りのある一人一人を呼んで、証書にある負債額を半分や三分の一に書き直させます。負債者たちは大きな利益を得ることになり、管理人に恩義を感じます。この管理人のやり方は、国の資産管理の権限をもつ官僚や、会社の運営を任されている役員が、定年退職後に自分を迎え入れてくれる就職先を確保するために、権限があるうちにそれを利用して、取引先に恩を売っておく姿を思い起こさせます。

・ところがイエスはこの不正な管理人をほめられます。管理人のやり方は不正ですが、「主人はこの不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」。イエスは弟子たちに、この管理人のように残された僅かの時を有効に用いて、危機に備えた「賢い」行動をとれと求められているのです。私たちもこの人生を神から委ねられています。決算日に報告書を神に提出しなければなりません。神から、「お前はどのように生きたのか」、「私が委ねたお金や能力をどのように用いたのか」と問われるならば、それに答えなければならない責任があります。この「責任」(英語responsibility)の言葉の語源は、「respondere(レースポンデレ)」(ラテン語、「応答する」)です。「責任」とは、「答えなければならない」という意味です。

・イエスが、そしてコヘレトが私たちに教えるのは「愚かな善人になってはいけない。この社会で善を為すためには知恵が必要だ」ということです。マルティン・ニーメラーという牧師がいます。第二次大戦時代に活躍したドイツの牧師で反ナチ抵抗運動に参加し、1937年以降、強制収容所に収監され、戦争終了まで出獄が許されなかった闘士です。その彼が戦後、「反ナチ運動を始めるのが遅すぎた」と語っています。「ナチ党が共産主義者を攻撃した時、私は多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した、しかし、それは遅すぎた」(マルティン・ニーメラーの告白から)。

・現在の日本を取り巻く状況はこの戦前のドイツに似ています。愚かな指導者の下で愚かな金融政策がなされ、必要のない安保法制が強行採決され、国民の反対を押し切って原発の再稼働が為されています。この状況にどう対応するのか、「賢い光の子」とはどうあるべきか。そもそも支配者の不正あるいは愚かさにどのように立ち向かえば良いのか。不正を正すには二つの方法があることを歴史は教えます。一つは暴力的に現状変革を求める道、「目には目を、歯には歯を」の道、多くの革命家が取った道です。もう一つは聖書の教える道です。イエスは言われました「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)。また使徒たちは迫害に際して語りました「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください」(使徒4:19)。両者を勘案すれば、「敵を愛せ、しかし不正には従うな」という、あり方になります。私たちが今、為すべきことは「祈り、考える」ことです。そして「変えることのできないものを受け入れる平静な心、変えることのできるものを変える勇気、それらを見分ける知恵」を求めて行きます。それぞれの人が決断し、選んだ道を歩み、その先は神に委ねていく、そのような生き方ではないかと思います。

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