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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年2月22日説教(第二コリント11:16-30、弱さを誇る)

投稿日:2015年2月22日 更新日:

2015年2月22日説教(第二コリント11:16-30、弱さを誇る)

 

1.コリント教会の離反に苦しむパウロ

 

・第二コリント書を読み続けています。第二コリント書では、前半の1-9章と後半の10-13章は大きく様相が異なります。10章以下の部分には、これが聖書かと疑うような、激しい言葉が用いられています。例えば11章13節でパウロは、コリント教会を混乱させているエルサレムからの伝道者たちを、「偽使徒」、「ずる賢い働き手」、「サタン」と呼んでいます。第二コリント書後半は、パウロの感情の起伏がそのまま現れている極めて人間的な書簡なのです。今日はテキストとして、その第二コリント書から11章が与えられました。ご一緒に読んでいきます。
・11章の冒頭でパウロは語ります「私の少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。いや、あなたがたは我慢してくれています」(11:1)。パウロはこれからコリント教会の反対者に対して反論しようとしています。その反論が愚かであることをパウロは承知しています。しかし、人として反論せざるを得ません。それは彼がコリント教会を自分の娘のように愛しているからです。パウロはコリント教会を生み、教会をキリストに捧げる花嫁として育てて来ました。その花嫁が誘惑者の言葉に乗って道を踏み外そうとしている、そのような教会に対してパウロは無関心でいることは出来ないからです。彼は語ります「あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いを私も抱いています。なぜなら、私はあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。ただ、エバが蛇の悪巧みで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています」(11:2-3)。

・「エバが蛇の悪巧みで欺かれた」、教会があるべき方向からそれてしまう、それは教会に対して牧会の責任を持つ者には耐えられない出来事です。パウロが伝えたのは十字架の福音、人はキリストの苦しみを通して神に出会い、救われるというものでした。しかし、コリント教会では、ユダヤ的福音主義者の誘いに乗って、教会の信仰が、「異なったイエス」、「異なった霊」、「異なった福音」になり始めていたのです(11:4)。具体的には行いの信仰(律法を守れば救われる)、秘蹟の信仰(割礼を受けることにより救われる)への堕落です。律法を守れば救われる、割礼を受ければ救われるとすれば、キリストの十字架は何の意味も持ちません。パウロはガラテヤ書の中で述べます「人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます」(ガラテヤ2:21)。

・また、コリント教会の反対者たちは「パウロが教会からお金をかすめている」と非難していたようです。パウロは、コリント教会からの献金を受けずに、自分で働いて生活の糧を得ていました。それを反対派の人々は、胡散臭いと考えたのです。パウロは言います「あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、私は罪を犯したことになるでしょうか。私は、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました」(11:7-8)。伝道者が働きの報酬を受けるのは当然ですが、報酬を受けることによって言うべきことが言えなくなる恐れがあります。だからパウロは自給伝道の道を選びました。その一方で、パウロはエルサレム教会への献金運動を熱心に勧めていました。不和の目立つユダヤ人教会と異邦人教会の和解のために、経済的に逼迫していたエルサレム教会を支援しようとしたのです。この献金活動について反対者たちは「パウロは私腹を肥やしている」と非難しました(12:16-18)。

2.愚者の誇りから、キリストにある弱さへ

 

・16節からパウロの本格的な反論が始まります。パウロは反論のために自己を誇り始めます。「誇る」という動詞(ギリシャ語=カウカオマイ)は新約聖書に37回使われていますが、そのうち20回は第二コリント書、その大半は10-12章の「涙の手紙」の中で用いられています。11章の主題は「誇る」ことに関連しています。パウロの反対者たちは「肉に従って誇っていた」、だから「私も誇ることにしよう」とパウロは語ります(11:18)。パウロは誇ることが愚かであることは承知していました。彼は語ります「だれも私を愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、私を愚か者と見なすがよい。そうすれば、私も少しは誇ることができる。私がこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者のように誇れると確信して話すのです」(11:16-17)。しかし、パウロは誇らざるを得ない。何とかしてコリント教会に自分を知ってほしい、彼は教会をサタンの手から取り戻すためならば何でもするつもりなのです。「言うのも恥ずかしいことですが、私たちの態度は弱すぎたのです。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、私もあえて誇ろう」(11:21)。

・22節から具体的な誇りが展開されます。巡回伝道者たちは自分たちがイスラエルの民であり、アブラハムの子孫であることを誇っていました。そしてパウロはユダヤ教の律法を守らないから「真のイスラエルではない」と批判していました。その彼らに対して、パウロは、「あなた方以上に私はイスラエル人である」と誇ります(11:22)。巡回伝道者たちは「自分たちはキリストに仕えて来た」と誇りますが、パウロは、「私は彼ら以上にそうだ」として、自分の受けてきた苦難を語り始めます「キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした」(11:23)。しかし、自分を誇ることを始めたパウロが、次第に自分の強さや功績ではなく、自分の弱さを誇るようになります。諸教会の悩みはパウロの悩みであり、諸教会の悲しみはパウロの悲しみです。パウロはその悩みや悲しみを受けて、自分は弱められたと語ります。「日々私に迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、私は弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、私が心を燃やさないでいられるでしょうか。誇る必要があるなら、私の弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(11:28-30)。パウロは諸教会のために自分が弱められたことを誇ります。

 

3.弱さを誇る

 

・パウロは肉によって自分を誇り始めましたが、今は「弱さ」を誇ります。キリスト者は自分の弱さを認める事ができます。何故ならば、キリストも弱さの故に十字架にかけられましたが、神がその弱さを「復活」という手段を用いて逆転され、その結果キリストが今も生きておられることを知るからです。今日の招詞に第二コリント13:4を選びました。次のような言葉です「キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。私たちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています」。パウロ行伝によれば、パウロは「背が低く、頭ははげ、足は曲がっていた」そうです。外見は良くなかった、しかも病気がちで,説教も下手だったと言われています(10:10)。彼は伝道者に向かなかった、弱かった、だから彼は「使徒の中の使徒」と呼ばれるほどの偉大な仕事をすることが出来たのです。自分の弱さを認める、受け入れる、その時キリストの力が働いて、私たちは能力以上の仕事が出来るようになります。私たちに必要なものは強さではなく、弱さです。召命を受ける、神から召されて働くとは、キリストの力をいただいて、弱さの中に働くのです。

・三浦綾子さんもそうです。彼女は普通の主婦でしたが、朝日新聞の懸賞小説に応募するために「氷点」を書きました。人の心の真ん中に「氷点」、溶かされない暗い闇=聖書でいう「原罪」があることを、物語化しました。これが入選し、その後彼女は多くのベストセラー小説を書くようになり、彼女の本を読んで、多くの人が教会の門をたたくようになりました。三浦綾子さんが何故このような働きが出来たのか、彼女が弱かったからです。彼女は病気のデパートと呼ばれるほどの多くの闘病体験をしています。人生の三分の一は病気のために入院しています。この弱さ故に彼女はキリストを求め、病気は彼女に人生とは何かを教え、彼女を偉大な作家にしました。
・人は苦難を通して弱さを教えられ、その弱さが神を求める叫びになり、その叫びに応じて、神は人に力を与えるのです。コリント教会はかたくなでした。このかたくなさがパウロにコリント第二の手紙を書かせました。パウロは怒りのままに手紙を書き進め、その怒りが、「神の力は弱さの中で働く」と言う真理を見出させました。ここに福音があります。神が私たちを愛し、救ってくださる事を信じていく時に、弱い存在が強くなっていくのです。教会は弱さを誇れる唯一の場所です。ですから教会には、男性はあまり来ません。多くの男性は自分の弱さを認めることが出来ない、弱さを認めることは負けだと教育されているからです。2012年度の日本の自殺者は27,000人ですが、自殺者の70%、19,000人は男性です。この男女比率は毎年変わらず、男性の自殺者は概ね女性の2倍~2.5倍です。弱さを認めない人は実は強くないのです。まさにパウロが見出したとおり「神の力は弱さの中で働く」のです。

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