1.ヘロデ王の生き方
・今日から暫くマルコ福音書を読んでいきます。今日のテキストはマルコ6章14節からで、洗礼者ヨハネの死が語られています。ヨハネは紀元28年頃にヨルダン渓谷に現れ、「終末が近づいた。救われるために悔い改めて洗礼を受けよ」として、洗礼運動を行った預言者です(ルカ3:3)。当時ユダヤはローマによって支配され、全国各地でローマの植民地支配に対する叛乱が続き、多くの血が流れ、世情は騒然とし、人々は「世の終りが近づいている」と思い始めていました。そのためユダヤ全土から多くの人々がヨハネの元に集まり、洗礼を受け、ナザレのイエスもヨハネの呼びかけに応じてユダヤに赴き、受洗し、ヨハネの弟子となられました。その洗礼者ヨハネがガリラヤとペレアの領主だったヘロデ・アンティパスによって殺されるという出来事が起きたのです。
・ヨハネがヘロデに逮捕された後、イエスはヨハネ教団を離れて伝道活動を始められ、その評判が次第に高くなっていきました。民衆のある者はイエスを「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている」と評し、別の人は「イエスは預言者エリヤだ」と言い、さらには「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいたとマルコは記します。しかしガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスはイエスのそのような評判を聞いた時、「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ」と恐れました(6:16)。そしてマルコはヨハネの死の経緯を物語風に語り始める、それが今日のテキストです。
・このヘロデはヘロデ大王(在位前37-前4年)の子、ヘロデ・アンテイパス(在位前4-後39年)で、彼は自分の結婚のことをヨハネから批判された為、ヨハネを捕えて獄に入れたとマルコは記します「ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、『自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない』とヘロデに言ったからである」(6:17-18)。ヘロデ・アンティパスはアラビア王ナバテヤの娘を妻としていましたが、妻を離婚し、異母弟ポエトスから妻ヘロディアを奪い、これと結婚しました。兄弟の妻を娶ることは律法で禁止されており(レビ記20:21他)、そのためヨハネがこれを姦淫の行為として批判したのです。
・歴史家ヨセフスは洗礼者ヨハネの人気が高まり、それが将来の叛乱の種になりかねないと懸念した領主ヘロデ・アンティパスが、政治的な理由でヨハネを捕らえて殺したと、「古代誌」の中で述べており、ヨハネが殺された場所は死海沿岸のマルケス要塞であり、そこにはヘロディアやサロメは登場しません。史実的には、ユセフスの記述のほうが正しく、マルコの記事は民間伝承に基づく物語でしょう。しかしマルコの記事はヘロデ一族の生き方を知る上で貴重な情報に満ちています。マルコは記します「ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、『お前が願うなら、この国の半分でもやろう』と固く誓ったのである」(6:21-23)。ヘロデ・アンティパスは王ではなく、ローマから任命された領主に過ぎません。領土の決定権はローマが握っており、ヘロデにはないのに、人前ではあたかも王のように振る舞っています。彼の見栄と虚勢が物語の中に見えます。イエスはこのヘロデを「狐」と呼んでいます(ルカ13:32)。狐のように狡賢く、権勢欲に満ち、しかも小心者だったようです。
・マルコはヘロディアの娘サロメが踊りの褒美にヨハネの首を求め、ヘロデはこれを拒否できずにヨハネを殺したと記します「少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、『洗礼者ヨハネの首を』と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、『今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます』と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した」(6:24-28)。この物語は有名で、絵画の題材として多くの画家が取り上げ、音楽ではR・シュトラウスのオペラ「サロメ」は有名で、またオスカー・ワイルドも物語を戯曲に描いています。また繰り返し映画化されています。
・マルコの記事の中に、ヘロデの妻ヘロディアの生き方が如実に現れています。ヘロディアはヘロデ大王の孫で、大王の子ポエトス(アンティパスの異母弟)と結婚しましたが、無能な夫に愛想がつき、権力を求めてアンティパスに近づき、妻を離婚させて自分が後釜に座りました。邪魔な者は殺しても自分の願いを叶える権力志向の女性で、ある人は物語の中に、夫アハブ王をそそのかして預言者エリヤの命を狙ったイゼベルの記事(列王記上16:31以下)の影響を見ています。
2.ヨハネとヘロデ
・洗礼者ヨハネは時の権力者を批判したために捕らえられ、処刑されていきました。ヨハネは預言者であり、神を畏れる人でした。神を畏れる人は人を畏れません。だから彼はヘロデの姦淫を聞いて、ためらうことなく批判し、そのため殺されていきました。マタイ福音書はイエスがヨハネとヘロデを指して言われた言葉を伝えています「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である・・・およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった・・・彼は現れるはずのエリヤである」(11:7-14)。イエスはヨハネを預言者以上の者と評価しておられます。
・このヨハネをヘロデ・アンティパスは殺しました。ヘロデはこの世では権力を持っていました。しかし、群衆を恐れ、ローマを恐れていました。彼はローマから任命された分権王で、民衆の支持がなくなるとローマから更迭される危険性があったのです。ヘロデの最後は惨めなものでした。彼はローマ皇帝から失政を咎められてガリヤに流刑となり、流刑地で処刑されたと言われています。ヘロデ・アンティパスのようにうまく世渡りをしているようであっても、人を畏れる人はいつか失敗し、惨めな最後を送ります。ギボン・「ローマ帝国衰亡史」によれば、歴代のローマ皇帝の65%以上が自然死以外の死因で死んでいます。死因トップは暗殺、次が自殺です。イエスは私たちに、「あなたたちも暗殺や自殺で終わるような人生を歩みたいのか、この世で第一人者、大いなる者になるとはそういう生涯なのだ。だから仕える者になりなさい」と言われています(10:42-44)。
3.ヨハネの死を通して始まった新しい時代
・マルコは洗礼者ヨハネについて、「(彼は)荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」(1:4-5)と記します。イエスもヨハネの呼びかけを耳にされ、「神がイスラエルを救うために行為を始められた」との思いに駆り立てられ、ヨルダン川で洗礼を受けられました。その洗礼を通して、イエスはご自分が神の子として召されたことを自覚されます。ヨハネはイエスを世に出すための器として立てられたのです。人びとは力強い言葉で神の言葉を語るヨハネこそが、メシア=救い主ではないかと思いましたが、ヨハネは人々の思惑を否定し、「私よりも優れた方が、後から来られる。私は、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。私は水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」(1:7-8)と言ったと伝えます。
・今日の招詞にマルコ1:14−15を選びました。次のような言葉です「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」。イエスが独立して宣教を始められた契機は洗礼者ヨハネの逮捕でした。ヨハネの逮捕を通じて、自分も同じような危険の中に立つことを自覚し、残された時は少ないことを悟られ、宣教を始められたのです。イエスの宣教の言葉「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」はヨハネの言葉を継承しています。ヨハネは「悔い改めよ。天の国(神の国)は近づいた」(マタイ3:2)と宣教しています。イエスはヨハネの後継者として活動を始められ、やがてヨハネを超える者として活動を継続されます。
・ヨハネが宣べ伝えた宣教は、「悔い改めよ、そうしなければお前たちは滅ぼされるだろう」というものです。ヨハネは語ります「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ・・・斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(ルカ3:7-9)。ヨハネの宣教は審判の説教です。「今こそ神が世界を裁かれる時が来た」と彼は告知し、荒野で、預言者の衣を着て、悔い改めを人々に迫ったのです。それに対してイエスは荒野を出てガリラヤに行かれ、神の国の福音を説かれました。
・マタイは獄中のヨハネがイエスの評判を聞いて弟子をイエスの下に派遣した出来事を伝えています。イエスは「貧しい人々は幸いである」と説かれ、盲人やらい病者を癒されていましたが、そのイエスの言動にヨハネは違和感を覚えました。「メシアは世の罪を裁き、神の支配をもたらすために来られるのではないか。世を変えることこそ、メシアの使命ではないか」。ヨハネはメシアが来れば、世界は一変すると考えていました。しかし、イエスの活動は世界変革のためとは思えない。ローマは相変わらずユダヤを支配し、ローマから任命されたヘロデは領主としての権力を誇っています。自分が世に紹介したイエスは本当にメシアなのかという疑問が彼の内に起こり、ヨハネはイエスに尋ねます。「来るべき方はあなたなのでしょうか。それとも他の方を待たなければなりませんか」(11:3)。それに対してイエスは答えられました。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き・・・貧しい人は福音を告げ知らされている」(11:5)。イエスは罪人を断罪するよりも、彼らを招かれました。イエスは人々に悔い改めを求めるよりも、天の父が彼らを愛し、養い、導いて下さることを告げ知らせました。その喜ばしい知らせのしるしとして、病や悪霊に苦しんでいる者を癒されました。しかし、ヨハネには理解できません。ヨハネは悪に満ちた社会を裁き、正義と公平を実現されるメシアを求めていたからです。
・イエスはヨハネを超えた存在であられたのです。ですから私たちもヨハネを超えることが求められています。教会は多くの場合、イエスではなく、ヨハネの宣教を宣べ伝えています。「罪を認めなさい。悔い改めなければ救いはない」とか、「信じなさい。信じない者は地獄に行く」とか、私たちが言う時に、それはイエスの伝えられた良い知らせ=福音ではなく、ヨハネの伝えた審判の言葉です。イエスは言われました「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」(マタイ11:11)。「天の国で最も小さな者でも、ヨハネよりは偉大である」、イエスは信じない者のために活動された、イエスは「罪は既に赦されている」と宣教された。そこに「良い知らせ」があるのです。