1.たといそうでなくとも
・ダニエル書を読み続けています。ダニエル書は紀元前2世紀のシリア王アンティオコス・エピファネスによるユダヤ教徒弾圧の中で書かれました。ユダヤを支配したアンティオコス王は支配を徹底するために、人々が大事にする安息日や割礼を禁じ、エルサレム神殿にギリシャの神ゼウス像を置いて礼拝を強制しました。この迫害の中で、著者は時代を紀元前6世紀の捕囚時代に遡らせ、ダニエルという人物に託して、迫害からの救済を記します。ダニエル書3章にある金の像の礼拝強制も、エルサレム神殿にゼウス像を置いて、これを拝ませたアンティオコス王を念頭に語られています「ネブカドネツァル王は一つの金の像を造った。高さは六十アンマ、幅は六アンマで、これをバビロン州のドラという平野に建てた。ネブカドネツァル王は・・・高官たちを集め、自分の建てた像の除幕式に参列させることにした・・・高官たちはその王の建てた像の除幕式に集まり、像の前に立ち並んだ。伝令は力を込めて叫んだ『諸国、諸族、諸言語の人々よ、あなたたちに告げる・・・ネブカドネツァル王の建てられた金の像の前にひれ伏して拝め。ひれ伏して拝まない者は、直ちに燃え盛る炉に投げ込まれる』」(3:1-6)。
・シリア統治下、ユダヤ人の多くはシリア王の命令に従い、神殿のゼウス像を拝みました。同じように、バビロンに捕らえられた捕囚民の多くも、バビロン王の命令に従い、金の像を拝みました(3:7)。権力の脅迫の前では個人は弱いからです。しかし三人のユダヤの若者たち(シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ)は金の像を拝もうとはせず、彼らは告発されます(3:8-12)。三人はバビロン王のもとに呼び出され、「拝まなければ燃える炉に投げ入れる」と脅迫されます。「もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちを私の手から救い出す神があろうか」(3:15)と権力者は脅迫します。
・三人は答えます「私たちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私たちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。(たとい)そうでなくとも、御承知ください。私たちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません」(3:17-18)。「たといそうでなくとも」、「仮に神が助けてくれなくとも」の意味です。
・戦前の韓国で神社参拝を拒否した安利淑(アン・イースク)姉は、「たといそうでなくとも」という手記を書きました。1930年代、日本による皇民化政策の一環として朝鮮に1000の神社が建てられ、神社参拝の強制が実施されました。しかし、朝鮮人クリスチャンたちは参拝を拒否し、投獄された人の数は2000名、獄死した人の数は50名を超えたと言います。その時の日本官憲との問答が手記の中に記録されています。警視「君の話によれば、国家も、個人も、みなイエスを信じて、聖書の神以外には絶対に他の神を拝むべきでないということになるが、天皇陛下は生きていられる神であるのに、陛下もイエスを信じなければならなないというのか」。安女史「聖書の神さま以外に神はありません。他の神はすべて偶像なのですから」。警視「イエスは死んだ神だが、天皇陛下は生き神さまだ」。安女史「それは人間がそのように作り上げているだけです」(「たといそうでなくとも」p240」)。靖国神社参拝問題に中国や韓国が批判的なのは、このような歴史的背景があることを理解すべきです。
2.行為される神
・シリア時代のユダヤにおいてもゼウス像を拝むことを拒んだ人々は、生きながら火あぶりの刑にされたと外典・マカバイ記は伝えます(第二マカバイ記7:3-9)。ダニエルの物語でも、三人の拒否者は火の燃え盛る炉に投げ入れられます。しかし、不思議なことに三人は炉の中を自由に歩き回り、主の使いが彼らと共にいました「間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた『あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか・・・だが、私には四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている』」(3:24-25)。旧約外典・ダニエル書補遺には、この時三人の一人アベド・ネゴ(アザリヤ)が祈ったとされる伝承が残されています。次のような言葉です「あなたの御名のゆえに、我らを決して見捨てることなく、あなたの契約を取り消さないでください・・・焼き尽くす献げ物も生贄も供え物も香もなく、憐れみを得るために献げ物を御前に供える所もありません。ただ、砕かれた魂とへりくだる心をもつ我らを受け入れてください・・・驚くべき御業をもって、我らを救い、主よ、御名の栄光を輝かせてください』」(ダニエル書補遺1:2-20)。
・三人は救いだされ、ネブカドネザル王はこの奇跡を見て、ひれ伏します。この時のネブカドネザルの言葉こそ、ダニエル書の著者が読者に伝えたかった言葉です「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。私は命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない」(3:28-29)。
3.死を超えた命を信じる
・これは物語です。現実の歴史では、人が火の中に投げ込まれれば焼き殺されてしまいます。シリア王支配下でゼウス礼拝を拒否した人々は殺されて行きました。ダニエル書の著者もその事実を承知しています。その上でなお、「たといそうでなくとも」の信仰を持てと読者に伝えます。20世紀のアウシュヴィッツではユダヤ人たちはガスかまどで焼き殺されて行きました。アウシュヴィッツを生き残ったエリ・ヴィーゼルはその著書「夜」の中で書きます「アウシュヴィッツに着いた時、ほど遠からぬ所で穴から焔が立ち上っていた。そこで何かを燃やしていた。トラックが一台、穴に近づいて積荷を中に落とした。幼児たちであった。赤ん坊、そう、私はそれを見た・・・収容所でのこの最初の夜のことを決して私は忘れないだろう。私の信仰を永久に焼き尽くしてしまったこれらの焔を」。ユダヤ人神学者マルティン・ブーバーも言いました「アウシュヴィッツの生存者たち、ガスかまどに入れられたヨブに向かって、われわれは、“主なる神に感謝せよ、主は憐れみ深く、世々にわたり豊かに恵みたもう”と祈ることを勧めることができるだろうか」。「たといそうでなくとも」、重い言葉です。
・今日の招詞に使徒言行録4:29を選びました。次のような言葉です「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」。イエスの十字架刑で散らされた弟子たちが、復活のイエスと出会い、集められ、エルサレム神殿の中庭で、「イエスは復活された」と宣教を始めます。イエスを十字架につけた祭司長たちは、彼らを黙らせようと脅しをかけますが、弟子たちは語り続けます「神に従わないであなた方に従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。私たちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(使徒4:19-20)。権力者たちはイエスを黙らせようとしてイエスを十字架で殺しました。しかし、今、イエスの弟子たちが立って彼らに不服を唱えます。権力者たちは彼らをも殺そうとするでしょう。しかし死を持って脅しても、彼らの口を封じることは出来ませんでした。
・釈放された二人は仲間のところに帰りました。仲間の信徒たちは、一つの家に集まり、二人の無事を祈りながら待っていました。二人を迎えて、人々は感謝の祈りをささげます。その祈りが今日の招詞です。よく見ると、それは二人を無事に帰してくれたことへの感謝の祈りではありません。そうではなく、二人が権力者の前で恐れることなく証しすることが出来たことへの感謝の祈りです。人々はユダヤ当局の迫害がこれで終わるとは考えていません。むしろ、十字架で殺されたイエスを救い主であると宣教すれば、さらなる迫害が来ると思っています。彼らが祈るのは「迫害を遠ざけて下さい」と神の加護を求める祈りではなく、「迫害があるかもしれませんが、その中で大胆に御言葉を語る力を与えて下さい」との祈りです。
・これが教会の祈りです。「迫害を止めて下さい、私たちを災いから守って下さい」と祈るではなく、「あなたは迫害を通して導こうとされていますから、私たちがその導きに応えて、臆することなく言葉を語っていくことが出来ますように」と祈ります。迫害や災いも神が下さるものであれば、それを通じて私たちを導こうとしておられるのであれば、弱い私たちを強めて下さいとの祈りです。教会は金や銀を持っていません。しかし、イエスの名による力を持っています。その力は死を乗り越えることも可能とするものです。初代教会の使徒たちの多くは殉教して死んで行きました。この殉教が人々の心を動かし、入信する人が増えていきます。
・ユダヤ人たちはバビロンに国を滅ぼされても生き残りました。シリアによる迫害も生き残りました。ローマ時代にはエルサレムから追放され、中世時代の度重なるユダヤ人迫害も生き残りました。そして彼らはアウシュヴィッツも生き残り、やがて祖先の地パレスチナに帰還し、イスラエル共和国を再建します。ある人は「ユダヤ人が2000年間信仰を捨てずに生き残ったことこそ、彼らの信じる神が生きておられる証明だ」と言いました。先に紹介したエリ・ヴィーゼルは一旦信仰を捨てましたが、やがて立ち直り、ホロコースト(犠牲死)の意味を問い続け、1986年ノーベル平和賞を受賞しています。ナチスの迫害下にあるユダヤ人のために働き、処刑されたD.ボンヘッファーも死を超えた神の救いを信じました。彼の祈りが残されています「生きようと死のうと、私はあなたと共にあります。そして汝、わが神は、私と共にあります。主よ、私はあなたの救いを待ち望みます。そしてあなたの御国を待ち望みます」。私たちにも多くの苦難や病が与えられます。その中で私たちは苦難からの解放を祈りますが、取り除かれないことも多くあります。その時私たちに、「たといそうでなくとも」という言葉が響きます。その時に私たちが、「生きようと死のうと、私はあなたと共にあります」と祈れた時、神の平安が私たちを包みます。「たといそうでなくとも」という言葉は2000年の歴史を生き抜いてきた言葉なのです。