1.エゼキエルの召命
・5月以降、旧約聖書の預言書を読んできました。5月はイザヤ書、6月はエレミヤ書を読みました。今月からエゼキエル書を読み始めます。エゼキエルはイスラエルが国を滅ぼされたバビロン捕囚の時代に、捕囚地バビロニアに立てられた預言者です。同じ時代、先輩格の預言者エレミヤはエルサレムの地で預言活動を続けています。紀元前597年、イスラエルはバビロニアに国を征服され、王や貴族、軍人、祭司等1万数千人の人々が捕囚として敵地バビロニアに連行されました(列王記下24:14−16)。その捕囚民の中に、若き祭司エゼキエルがいました。その時から5年目、30歳の時に、彼は捕囚地で召命を受けます。紀元前593年のことです。エルサレムではゼデキヤがエホヤキン王の後を継いで王となり、バビロニアの支配から逃れるために、エジプトの支援を得て反バビロニア同盟を結成し、捕囚地バビロニアでもそれに呼応する動きが出ていた時です。
・そのエゼキエルが召された時の記事が1章にあります「私はケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、そのとき天が開かれ、私は神の顕現に接した。それは、ヨヤキン王が捕囚となって第五年の、その月の五日のことであった」(1:1-2)。捕囚民はバビロニアの南方、ニップルに住まされ、そこで農耕地の開拓にあたっていたとの記録が当時のバビロニア文書に残されています。エゼキエルは祭司でしたが、おそらく捕囚地での礼拝式中に突如、雷雲が現れ、彼は幻の中に神を見ます。これはエゼキエルにとっては驚きでした。イスラエルの人々にとって、神はエルサレム神殿に鎮座される神でした。その神がこのバビロニアの地にも現れた。神顕現の幻を通して、エゼキエルは神がイスラエルのみの神ではなく、天地を支配される神であることを知らされました。
・そのエゼキエルに神は命じられます「人の子よ、自分の足で立て。私はあなたに命じる」(2:1)。主の栄光に接して顔を伏せていたエゼキエルに神が語りかけ、彼は立ち上がります。その時に、エゼキエルは神の霊が自分の中に入ったことを感じます(2:2)。エゼキエルは神の語りかけに耳を傾けました「人の子よ、私はあなたを、イスラエルの人々、私に逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様私に背いて、今日この日に至っている。恥知らずで、強情な人々のもとに、私はあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう」(2:3-5)。
・エゼキエルは他の捕囚民とともに、捕囚地にいます。国が戦争に負けたからです。しかしこの第一次捕囚時には、ダビデ王家はゼデキヤにより継承され、神殿も無傷で残されました。王と神殿がある限り人々は国の回復を期待することが出来ます。だからエルサレムではバビロニアからの解放運動が盛り上がり、捕囚地の人々もまもなくエルサレムに帰れるのではないかと期待していました。「捕囚はまもなく終わる。神が私たちを見捨てるはずはない」との期待が捕囚地で支配的でした。それは正しい歴史認識に基づいたものではなく、「そうあってほしい」という人々の希望の現れでした。
・エゼキエルに与えられた使命は難しいものでした。「捕囚はまもなく終わり、エルサレムへ帰れる」と期待する民に、「それはあり得ない、現実を見つめよ」と語るのです。人々は反発します。ですから、「彼らが聞き入れようと、また拒もうとも語れ」と命じられます。預言者の任務は神から預かった言葉を語ることであり、人々が喜ばなくとも語る務めを持ちます。しかしエゼキエルの預言は歓迎されません。だから「あなたはあざみと茨に押しつけられ、蠍の上に座らされても、彼らを恐れてはならない」と言われ(2:6)、「たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたは私の言葉を語らなければならない。彼らは反逆の家なのだ」(2:7)と言われます。
2.御言葉を食べる
・「人が聞き入れようが聞き入れまいが語る」のは辛い職務です。語る者は、その言葉が「聞かれる」ことを予想して語ります。しかしエゼキエルは「言葉が聞かれないこと」を予見して語れと命じられます。求められているのは聴衆の聞きたいことではなく、神の言葉を正しく語ることです。バビロニアの捕囚民は、自分たちはやがて帰国できると期待していました。それに対して、エゼキエルは「国が占領され、自分たちが捕えられたのは、自分たちが神に逆らった故であり、そのことを悔い改めなければこの苦難は去らない」と語らなければいけないのです。何故なら、彼に与えられた言葉は審判の言葉(哀歌と呻きと嘆き)でした。エゼキエルは神からの言葉を伝えます「『人の子よ、私があなたに語ることを聞きなさい。あなたは反逆の家のように背いてはならない。口を開いて、私が与えるものを食べなさい』。私が見ていると、手が私に差し伸べられており、その手に巻物があるではないか。彼がそれを私の前に開くと、表にも裏にも文字が記されていた。それは哀歌と、呻きと、嘆きの言葉であった」(2:8-10)。
・エゼキエルは審判の言葉を書いた巻物を食べよと命じられます「人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい」(3:1)。そして巻物を食べると、それは蜜のように甘かったとエゼキエルは語ります「私が口を開くと、主はこの巻物を私に食べさせて、言われた『人の子よ、私が与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ』。私がそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった」(3:2-3)。もちろん、これは象徴的な行為であり、エゼキエルが巻物を細かく砕いて口に入れたということではないでしょう。この巻物はエレミヤが預言し、弟子バルクに書き取らせて捕囚地に送った手紙の一部だったかもしれません。そこにはこれから来る困難が、先の第一次捕囚時とは比べものにならないほどの大きな苦難が来ると預言されていたのでしょう。
・「哀歌と、呻きと、嘆きの言葉」は苦い食べ物です。しかし、この苦難を通してイスラエルは救われていくとの希望もそこに含まれていました。ですから食べてみると「蜜のように甘かった」。捕囚地で神に出会ったエゼキエルが知ったのは、「イスラエルを滅亡に追いやる神こそが、この民を救済に導く神である」との真理でした。だから神はこの捕囚地で彼を預言者として立てられた。エゼキエルの心の中で、苦い裁きの言葉が、蜜のように甘い救済の言葉となったのです。
3.真摯な言葉は甘い
・今日の招詞にエゼキエル13:10-12を選びました。次のような言葉です「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言って私の民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ。漆喰を上塗りする者に言いなさい『それは、はがれ落ちる』と。豪雨が襲えば、雹よ、お前たちも石のように落ちてくるし、暴風も突如として起こる。壁が崩れ落ちれば、『先に施した上塗りはどこに行ったのか』とお前たちは言われるに違いない」。
・人々は聞きたいことを聞こうとします。エゼキエルの時代、人々はバビロニア捕囚から一刻も早く、解放されたいと願っていました。人々が願う時、それを語る預言者が現れます。エルサレムに立った預言者ハナンヤがそうでした。ハナンヤは預言します「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。私はバビロンの王の軛を打ち砕く。二年のうちに・・・バビロンへ連行されたユダの王、ヨヤキムの子エコンヤおよびバビロンへ行ったユダの捕囚の民をすべて、私はこの場所へ連れ帰る、と主は言われる。なぜなら、私がバビロンの王の軛を打ち砕くからである」(エレミヤ28:2-4)。捕囚地でも同じような楽観論を預言する者たちがいました。それに対してエゼキエルは痛烈に批判します。その言葉が今日の招詞の言葉です。
・カール・バルトはかつて「人々を満足させる牧師」という説教を通して、エゼキエルの預言を語りました「偽りの預言者とは、人々に満足を与える牧師のことである。彼は福音の説教者、牧会者、奉仕者と呼ばれるが、しかし彼は人間たちの被用者にすぎない。彼は自分が神の名において語っていると夢想しているが、彼は世論の名において、立派な人々の名において語っているに過ぎない。キリスト教はあなた方にとって好ましく重要なものである。あなた方は生活の美しい飾りとしてそれを好む。しかし、神の霊とこの世の霊との間には平和はない。神の意志と人間の意志との間の平和を説教し、現在の生と新しい生を穏やかに賢く結び付け、民が築く隙間の多い壁に宗教と言う漆喰を上塗りし、人々を満足させようとする、そのようなことには何の意味もない」(カール・バルト説教選集6巻)。このような説教をすれば会衆は怒ってしまうでしょう。事実、バルトはその後教会の牧師を辞任しており、また後にこの説教を説教集に入れる時に、後輩の牧師たちに「雄々しくあれ、しかし私に習うな」と書き送っています。しかし、この説教は、それでも真理を含んでいます。預言者あるいは牧師の役割は、神から聞いた言葉を聴衆に伝えることであり、それがどのように厳しい言葉であっても伝えなければいけない。それこそが「城壁の破れ口に上り」、「イスラエルの家を守る石垣を築く」ことです。しかし偽預言者は不愉快な言葉を話そうとせず、そのことによって人々を真剣な悔い改めに導かず、事態は悪化して行きます。
・前にパール・バックの「母よ、嘆くなかれ」という著作をご紹介したことがあります。彼女は中国を舞台にした小説で有名ですが、同時に重度知的障害児の母親でもあります。彼女は中国派遣宣教師夫妻の子どもとして生まれ、1917年同じ宣教師の男性と結婚し、女児が与えられます。しかし、やがて子どもの様子がおかしいことに気がつき、彼女は子どもを連れて病院を訪れますが、原因も治療法もわかりません。母国アメリカに帰って医療を受けさせたいと願ったパールは娘を連れて帰国し、主だった小児科病院を次々に訪れますが、どこでも原因を突き止めることが出来ません。
・病院遍歴の末、彼女と娘はミネソタ州のメイヨー病院を訪れます。アメリカ有数の小児科病院で、多くの検査を受け、彼女は病院の小児科部長と話します。医師は言います「原因はわかりませんが、発育が止まってしまっているのは事実です」。パールは聞きます「望みはあるのでしょうか」。医師は答えました「私はあきらめずにやってみるつもりです」。その時、病院のもう一人の医師が彼女に話したいと別室に導きます。彼はパールに言います「お嬢さんの病気は決して治りません。あなたは望みを捨て、真実を受け入れなければいけません」。パールは絶望の中に放り込まれますが、この言葉が真実であることはわかっていました。今までは、治るかもしれないという幻想に頼って、真実を見つめる勇気が無かっただけなのです。彼女は書きます「これは私にとって生きている限り感謝しなければならない出来事でした」。この時、パール・バックはエゼキエルと同じように「巻物を食べた」のです。見たくない現実から逃げないと決意したのです。
・これを契機に、パールは娘を託すことの出来る施設を探し始め、娘を施設に預けます。1930年のことでした。10年間の苦悩がパール・バックに現実を見つめることの大事さを教えました。娘の介護から解放された彼女は、堰を切るように小説を書き始め、中国を舞台にして「大地」、「息子たち」、「分裂せる家」等を次々に発表し、作品は高く評価され、ノーベル文学賞を受けます。戦後、彼女は、賞金や印税のほとんどをつぎ込んで、「ウェルカムハウス」を設立します。戦時中、アメリカ軍は世界各地に進駐し、その結果、アジア人の母親との間に多くの混血児が生まれました。彼らはアジア人でもアメリカ人でもないために、多くは捨てられて孤児になっていました。そのことを知ったパールは次々と混血児の里親を引き受けます。彼女は現実を見つめることによって、実の子との生活を失いますが、その代わりに多くの子どもたちの母親になりました。パール・バックは言いました「なんと私はたくさんの子宝に恵まれているのでしょう」。この物語が示すことは、救いは現実を見つめ、これを受け入れることなしには来ないということです。真摯な御言葉はどのように苦くてもやがて蜜のように甘くなります。みなさんがこの牧師の不愉快な説教を聞くのもそうです。語る者自身がエゼキエルと同じように「巻物を食べる経験をした、それは当初は苦かったがやがて甘くなった」、だからこそ、この預言者の言葉を語る。その時、この不愉快な説教が、ある人に神の言葉との出会いになりうると信じています。