江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年5月5日(イザヤ2:1-5、神の平和)

投稿日:2013年5月5日 更新日:

1.戦争に明け暮れた時代の預言

・今週から私たちは4回にわたってイザヤ書を読んでいきます。イザヤは紀元前700年頃、ユダ王国が国家存亡の危機にさらされている時に立てられた預言者です。同盟国北イスラエル王国は既にアッシリアにより滅ぼされ(紀元前722年)、ユダ王国自体もアッシリアに軍事支配され、いつ国が滅ぼされてもおかしくない、そのような時代の中でイザヤは預言しました。そしてイザヤの預言の言葉は新約聖書に最も多く引用されています。初代教会の人々は自分たちの置かれた状況を聖書、特にイザヤ書を通じて理解しようとしたと言われています。
・イエスの弟子たちは「ナザレのイエスこそ世を救うために遣わされた神からの使者メシアである」と信じ、従って来ましたが、そのイエスはローマに対する反逆者として十字架で殺されました。弟子たちは絶望しました「この人は世を救うメシアではなかったのか、そのメシアが何故世から殺されるのか」。メシアの受難は彼等の理解を超えていました。彼等は必死で聖書を読み、イザヤ53章の預言の中にイエス受難の意味を見出しました。次のような言葉です「私たちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。その私たちの罪をすべて主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた」(イザヤ53:6-8)。この預言を通して、弟子たちは、イエスが「私たちのために死なれた」、つまりイエスの死は弟子たちの罪を贖うためであったと理解しました。
・今日私たちはイザヤ書2:1-5を読みます。中心的な言葉は2章4節です「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。人類は有史以来、戦争ばかりして来ました。殺し合いを止めようとしても止められませんでした。それは人間の中にある根源的な罪のためであり、その罪を贖い、殺し合いを止めさせ、真の平和を打ち立てるのは人間には不可能であり、だから神の平和を待ち望むとの信仰告白です。このイザヤ2章4節はニューヨークの国連ビルの土台石に、言葉が刻み込まれていることでも有名です。二度の世界大戦を通して、世界は苦しみ、血を流しました。「もう、戦争は止めよう、武器を捨てよう。剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌としよう」と言う理想を掲げて、国連は設立されました。しかし、現実の世界では、その後もイスラエルや朝鮮やベトナムで戦争が相次ぎ、ユーゴでも殺し合いがなされ、現在でもアフリカやアフガン、イラクで戦火は続いています。
・イザヤが預言した紀元前700年ごろ、中東ではアッシリアが世界帝国の道を歩んでいました。彼らはシリアを占領し、北イスラエルを滅ぼし、今は圧倒的な軍馬をもってユダ王国に迫っています。人々はアッシリアに対抗するためにエジプトの援助を求めますが、イザヤはこれに反対します「エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない」(31: 3)。エジプトもアッシリアも神の支配下にある人間に過ぎない。何故「鼻で息をしているだけの者に頼るのか」(2:22)。しかし人々はイザヤの言葉を聴かず、国内は混乱します。イザヤは現実の世界政治の中に主の働きを見ました。世界の統治は武力を誇るアッシリアやエジプトによってなされるのではなく、世界を支配される主によって為される。アッシリアも「神の怒りの鞭」(10:5)に過ぎない。だから神の国が地上に成就する終わりの日に諸国民は、こぞってエルサレムに集い、主の平和を求めるだろうとイザヤは預言します。その預言が今日の聖書箇所です。「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る」(2:2-3)。

2.剣を鋤に打ち直せ

・「終わりの日には」、終末預言は現実に対する絶望から来ます。イザヤがこの預言をした時、ユダ王国はアッシリア軍によって国土の大半を焼かれ、占領され、莫大な賠償金を払って降伏することによって、かろうじてエルサレムだけが残されました。その状況が1:7-9に記述されています「お前たちの地は荒廃し、町々は焼き払われ、田畑の実りは、お前たちの目の前で、異国の民が食い尽くし、異国の民に覆されて、荒廃している。そして、娘シオンが残った・・・もし、万軍の主が私たちのために、わずかでも生存者を残されなかったなら、私たちはソドムのようになり、ゴモラに似たものとなっていたであろう」。イザヤの平和の預言は戦争に負け、国土が焼け野原になった状況の中で歌われているのです。その状況は1945年の日本に酷似しています。
・日本は戦争に負け、国土は焼け野原になりました。もう兵器はいらなくなり、砲弾や武器を作るために兵器工場に集められた鉄が鋳られ、釜や鍬が作られました。そして新しい憲法が発布されます。新憲法は9条1項において「戦争の放棄」を宣言し、9条2項で「いかなる軍隊も武力も保持しない」と宣言します。世界で初めての非武装中立の平和憲法が作られました。これはイザヤがまさに夢見た出来事です。イザヤは歌いました「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。もちろん、この憲法は日本人の発意によって出来たものではなく、占領軍の中の理想主義的キリスト者たちによって起草されたものです。しかし、戦争の悲惨さを、身をもって知った多くの日本国民は、この憲法を歓迎し、今日まで自分たちの憲法として守って来ました。

3.力の平和か、神の平和か

・イザヤの時代、多くの人びとは、イザヤの預言は非現実的であると考えて来ました。北には強大な軍事力を誇るアッシリア帝国があり、南には豊かな穀倉地帯を基盤とするエジプト帝国があります。その中で小国イスラエルが生き残るためには、両帝国のパワーバランスの中で外交政策を考えるしかなく、イスラエルも相応の武力を持って自衛すべきだとの考え方です。現実の政治はその方向で動いていました。人々は馬や戦車を用意し、アッシリアに貢物を捧げながら、エジプトとの軍事同盟も模索し、城壁も強固にして来ました(2:7)。日本も平和憲法を制定した後、武力を持たない不安に耐えられず、1954年に自衛隊を発足させ、今日では世界有数の陸・海・空軍を保持しています。今日私たちはイザヤ2章の預言を学んでいますが、ヨエル4:9-10には全く別の預言もあります。ヨエルは言います「諸国の民にこう呼ばわり、戦いを布告せよ。勇士を奮い立たせ、兵士をことごとく集めて上らせよ。お前たちの鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ。弱い者も、私は勇士だと言え」。
・ヨエル書は紀元前400年頃に書かれた預言書です。ユダ王国はアッシリア時代にはかろうじてその国を保つことが出来ましたが、次の支配者バビロンによって国を滅ぼされ(前587年)、以降50年間、バビロン捕囚という苦しい時を過ごします。そしてバビロンがペルシャに滅ぼされた時に帰国を許され、国の再建にかかります。かつてのイスラエル統一王国はダンからベエルシェバまでの領土を持つ国でしたが、捕囚後には、北のガリラヤやサマリアは失われ、南のエドムやモアブは独立し、領土はエルサレムとその周辺だけになってしまいます。現在の日本に例えれば、第二次大戦の敗北によって北海道と東北がロシアに占領され、九州・四国・中国・近畿が中国の領土になったと仮定すれば、ヨエルの置かれた状況と同じになります。領土の大半が失われた時、愛国者たちは領土の回復を求めて活動します。その時ヨエルが立ち上がり、「神は諸国から軍勢を集め、領土の回復をして下さる。だからおまえたちも鋤を剣に、鎌を槍に打ち直して、戦いの準備をせよ」と励ましたのです。
・ヨエル書の考え方が現実に即していると多くの人は思うでしょう。しかし、イザヤはこれを否定します。ユダヤの国はアッシリアが強くなるとアッシリアになびき、エジプトが強くなるとエジプトになびきました。その結果、国は滅びました。それは軍備を強化することによって国民に誤った安心感が生まれ、また小国がいくら軍備を強化してもそれは世界帝国の軍隊の前では意味がないのです。イザヤの信仰は単なる理想ではなく、世界情勢の現実認識の上に立てられたものでした。だから彼は言います「ヤコブの家よ、主の光の中を歩こう」(2:5)。武力に武力で対抗するやり方では、平和は来ない。武器を捨てること以外、国が生き残る道はない。だから「主により頼んで武器を捨てよう」とイザヤは言いました。
・このイザヤの心を継承されたのがイエスです。今日の招詞にマタイ5:5を選びました「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」。「柔和な人々」とは、腕力や政治権力、経済力や軍事力を使って無理やり人に言うことを聞かせようとしない人のことです。今の世界には、結局ものを言うのは「力」だという信仰が根強くあります。「大人しくしていたらやられる、武器をより多く持つ者が勝つ」、この考えが抜き難くあるために、世界には攻撃と反撃、テロと報復の悪循環が絶えません。「やられたらやり返せ」、多くの「現実主義者」は、この世界では「軍馬の思想」のみが有効な行き方だといいます。しかし、歴史上、軍馬の思想で本当の平和が達成されたことはありません。軍馬の思想を極限まで推し進めた強国アッシリアはバビロンに滅ぼされ、バビロンもペルシャに、ペルシャもギリシャに、ギリシャもローマに滅ぼされます。ローマも今では遺跡が残るだけです。他方、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とせよ」と語ったイザヤの言葉を受け入れてきたイスラエル民族は今日まで生かされています。「やられてもやり返さない、一方的に争いを止める、そういう方法でなければ本当の平和は来ない」、聖書が私たちに教えるのはそうであり、それが最も現実的なあり方なのだと思います。柔和なイエスがこの世界の歴史の中に誕生したということは、新しい世界が始まったということです。「殴られても殴り返さない。踏まれても踏み返さない」、それこそが平和を生む唯一の方法であり、それを体現するイザヤ2章の預言は2700年後の今日も真理であり、日本国憲法9条の「戦争放棄」の考え方は、イザヤ2章に基づいて制定された条文だと知る時、私たちはそこに神に摂理を見ます。

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