1.ユダヤの苦悩
・クリスマスイブ礼拝の今夜、ルカ福音書からクリスマスの出来事を聞いていきます。ルカは記します「そのころ、皇帝アウグストウスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」(2:1)。この記事でルカはイエス誕生の頃の時代背景を、まず伝えようとしています。当時のユダヤはロ−マ帝国のシリア属州の一部でした。皇帝アウグストウスはロ−マ帝国初代皇帝です。アウグストウス以前のローマは、地中海世界を制覇した大国でしたが、国内では内戦が果てしなく続く「内乱の一世紀」でした。ロ−マは外国を次々攻略し、力が外へ向かっていたぶん、内政に秩序が欠け、紛争が続き、国内を統一できなかったのです。アウグストウスはその内戦を終わらせて帝国を統一し、「パックス・ロマ−ナ(ロ−マの平和)」を打ち立て、初代皇帝となり、全領土の住民に、登録の勅令を出しました。
・登録の目的は全領土の住民を把握し、収税と兵役を漏れなく行うことにありました。当時のユダヤは、ロ−マの属州の一つで、地理的にはエジプトへ向かう陸路の中継地でしたから、軍事的にも重要でした。皇帝アウグストウスは勅令を発し、住民登録によって、ユダヤの民のすべてを把握し、税を取り、兵を集めようと目論でいたのです。「ヨセフはダビデの家に属し、その血筋でしたので、ガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムのダビデの町へ上って行った。」(2:4)住民登録は出身地で行う義務を課せられていたので、ダビデの末裔であるヨセフは、ダビデの町ベツレヘムで登録しなければなりませんでした。しかし、すでに身ごもっていたマリアにとって旅は厳しいものでした。
・ヨセフとマリアが住民登録の旅をした頃、イスラエルの人々は救い主を待ち望んでいました。ユダヤの民の上に、ロ−マの圧制が覆い被さっていたからです。ロ−マ帝国はユダヤの自治組織サンへドリン(最高法院)の宗教的権威を認めながらも、政治的権威は与えない政策をとり、加えてロ−マから派遣された総督たちがユダヤの宗教と文化を軽蔑し、無視する態度をとり続けていたのです。圧政の重い空気がただよう中、ユダヤの民は救い主を待ち望んでいました。しかし、1500年前のモ−セ以来、多くの預言者が現れたものの、400年前のマラキの後は、預言者が途絶えたままでした。そのような救い主待望の中、イエスは誕生したのです。しかし、誰もイエスの誕生に気づきませんでした。
2.民に与えられた救いのしるし
・アゥグストウスの勅令に従い、ヨセフとマリアはナザレからベツレヘムまで旅しました。ナザレからベツレヘムまでは、およそ120キロの距離です。徒歩の旅ですから一週間以上はかかります。身重のマリアの旅は苦しかったはずですが、ルカは旅の途中は省略しています。ベツレヘムへ着くと、町は住民登録の人々で溢れ、二人の泊る場所はありません。やむなく泊った馬小屋でマリアは産気づきイエスを生みました。この光景はクリスマスのページェントではロマンチックに描かれますが、現実はきれいなものではありません。
・それを偲ばせる遺跡がベツレヘムの聖誕教会の地下にあります。と言うより、その馬小屋と思われた所に教会を建てたのです。ただし、その馬小屋は絵物語に見るような木造の馬小屋ではありません。木の感触とはほど遠い、うす暗くごつごつした岩の洞窟です。ベツレヘムの町には洞窟がたくさんあり、昔は洞窟を住まいにし、その奥で羊や馬などの家畜を飼っていたのです。うす暗い洞窟の内部は天井も壁も床も、岩肌がむき出しです。イエスが布にくるまれ、寝かされたという飼い葉桶は、大きな長方形の石をくり抜いたものです。日本で見るような丸い木の桶ではありません。もちろん、今見られるのは、イエスの誕生のとき、使われたそのものではありせんが、イエスの時代の昔の馬小屋の様子を今に伝えているのです。わたしはその岩屋と石の飼い葉桶を目の当たりにして、讃美歌176番を思い出しました。「飼い葉桶の中に眠るイエスよ。あなたは貧しさの中に生まれてこられた。主は豊かであったのに、貧しくなられた。わたしたちが、主によって豊かになるために。」
・クリスマスは、日本中で祝われ、世界中で祝われています。飾り立てたクリスマスケ−キやプレゼントの交換なども盛んです。それらを売るクリスマス商戦はもっと盛んです。クリスチャンでなくても祝います。しかし、最初のクリスマスはごく少ない数人で静かに祝われたのです。「その地方で羊飼いが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(2:8-12)。最初に御子を礼拝したのは王や貴族ではなく、名もない羊飼いたちでした。
・イエスは私たち人間に、救いを約束するしるしとして与えられましたが,そのイエスは馬小屋の中で生まれ,お祝いに駆けつけたのは貧しい羊飼いだけであったことを、私たちは胸に刻むべきであります。私たちが主と仰ぐキリストは栄光のメシアではなく,苦難のメシアなのです。天使たちは「いと高きところには、栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。神には栄光、地には平和」と歌いますが、この平和もまたアゥグストウスの「力による平和」ではなく、「愛と和解による平和」なのです。
3.ローマ帝国がキリスト教を公認する
・ローマの属州イスラエルで生まれたキリスト教は徐々に信徒を増やし、2世紀末にはロ−マ帝国全土に教勢を拡大していました。そして、313年皇帝コンスタンティヌスはミラノ勅令を公布してキリスト教を公認しました。その後もさらにキリスト教の影響力は増し続け、392年テオドシュウス一世のときにキリスト教は、国教に公認されました。
・その後394年、フオノ・ロマ−ノにあった、ロ−マ建国時より火を絶やすことの無かった、ウエスタ神殿に燃えていた「ウエスタの聖なる火」が消されました。馬小屋で生まれられたイエス・キリストがローマの偶像神を倒したのです。その後、かつてのキリスト教の迫害者ロ−マ帝国は滅亡しますが、信仰の火は燃え広がり、現在では世界中に22億人の信徒がいます(2009年ブリタニカ年報、ちなみにイスラム15億人、ヒンズー9億人,仏教4億人)。
・イエスがユダヤの人々に伝道された公生涯はわずか2年でしたが、そのわずか2年が世界を変えてしまいました。イエスの昇天から現代まで2000年、イエスの残された足跡と、その言葉は聖書に記録され、世界中の人々の心の中に生き続けています。その影響力の大きさを考えると、まるで今もイエスがそのまま生きておられるようです。皆さんの心の中のイエスはどのように生きておられるでしょうか。
・クリスマスの過ごし方について、ドイツの神学校に留学された方から聞いた話があります。日本では考えられないほど、ドイツのクリスマスは、静かだそうです。そしてドイツのプロテスタント教会の信徒は、教会でのクリスマス礼拝以外に、家庭でクリスマスを大切にするそうです。祝いの食事会が終わった後、わたしたちが今夜イヴ礼拝でしたように電灯を消し、ロウソクを灯して話し合います。ドイツ人はロウソクの火を好むそうです。
・その火を囲んで、長い時間、三時間も四時間も、ときには徹夜で家族が語り合います。それは雑談ではありません。家族の一人一人が自分自身と信仰の関係を、飾らず率直に語り合うのです。例えば、父親は自分のこれまでの生涯と信仰が、どう関わりあったか。母親は信仰が結婚生活の支えであったことを語り、子供たちは自分の将来の夢や、人生の課題を語り合うのです。わたしたちが教会で信仰の証をする、そのように語り合いです。彼はそのようなクリスマスの経験はなかったので、まず驚き、そして深く心に沁み実行しょうと心に誓いました。わたしは夫婦で同じような語り合いをしておますので、とても深い共感を覚えました。
・聖書に戻ります。わたしは信仰に入った最初にこの聖句を覚えました。ヨハネ3:16-17です。「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が独り子を世に遣わされのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」この聖句はクリスマスの意義を語っています。短く深く正確に語っています。この聖句の意味を心に深く刻んで今夜の家路に着きたいと思っています。(協力牧師、水口仁平)