江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2012年7月1日説教(マルコ5:1−20、私たちと関わられるイエス)

投稿日:2012年7月1日 更新日:

1.ゲラサの悪霊つきの物語

・マルコ福音書を読んでいます。舟で向こう岸に渡られたイエスはガリラヤ湖の対岸、ゲラサの地に来られました。当時のデカポリス、十の町と呼ばれたローマ帝国の直轄領とされた土地でした。今日のヨルダン地方になりますが、ユダヤ人にとっては、異邦人の地、汚れた地、律法が不浄とみなす豚を飼っている地でした。イエスはその地で一人の男に出会われました。この出会いから物語が始まります。
・マルコは語り始めます「一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た」(5:1-2)。「汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た」、異様な書き出しです。マルコはこの男の様子を詳しく叙述します「この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかった・・・彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」。男は精神の病にかかり、暴れるためか鎖や足かせで身を繋がれ、町に住むことを許されずに墓場(洞窟)に追いやられ、彼は絶望のあまり、夜昼叫び、石で自分の体を傷つけていました。家族から捨てられ、共同体からも追放され、呻いていたのです。当時の人々は、このような状態を「汚れた霊に取りつかれた」と呼んでいました。
・「(男は)イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい』」(5:6-7)。ゲラサの男はイエスの方に「走りよってひれ伏しながら」、それなのに「かまわないでくれ」と叫びます。彼は「何とかして助けて欲しい」という思いからイエスに近づき、「どうせ何も出来ない」という諦めから「かまわないでくれ」と叫んでいるのです。私たちであれば、汚い格好をした薄気味悪い男に出会い、「かまわないでくれ」と言われれば、放置して通り過ぎるでしょう。しかしイエスはそうされず、男の名を聞かれました。
・男は答えます「名はレギオン、大勢だから」(5:9)。この言葉は象徴的です。レギオンはローマの軍団(6000人隊)の呼び名で、当時のデカポリスはローマ帝国シリア州総督の管理下にあり、シリア州には四個の軍団(レギオン)が配置されていました。軍隊-戦争-殺戮-狂気、その中でこの人は精神を病んだのかもしれません。戦争がいかに狂気を呼び起こすのか、今日の私たちは戦争神経症(あるいは戦闘ストレス障害)という病気を知っています。アメリカ国防省の調査によれば、イラクやアフガンの戦争に従事した兵士の19%がPTSD(心的外傷性ストレス障害)等の精神疾患を負い、これら帰還兵の犯罪や自殺が大きな社会問題になっています。マルコ福音書のこの人も、ローマ軍の残虐行為を経験して狂気に陥った可能性があります。
・イエスは悪霊たちに「この男から出ていけ」と言われました。悪霊たちは豚の中に入らせて欲しいと願います。やがて、悪霊たちが乗り移った豚は狂気に駆られて暴走し、2000匹の豚が湖に沈んで死にます。何が起こったのか、私たちにはわかりません。ある注解者は「行けと言うイエスの許しを得たこの人は、最後的な発作を起こして奇声を発して豚の群れに飛び込み、走り回った。これに驚いた豚の群れが急に動揺し、崖から湖に雪崩落ちたのではないか」と解釈します(石原兵衛「マルコ福音書注解」)。豚の番をしていた豚飼いたちは驚いて町の人々を呼びに行き、人々は自分たちの豚が湖に沈み、男が正気になっているのを見ました。人々にとって男が正気になったのは何の喜びでもありませんでした。既に棄てていたからです。しかし、人々にとって豚2000匹は貴重な財産でした。ゲラサの人々にとって、イエスは自分たちの大事な財産を犠牲にしても一人の男を救おうとされた得体のしれない男、だから出て行って欲しいと頼みます。現代でもアルコール依存症や精神障害者のリハビリ施設を造ろうとすると、地域住民の激しい反対運動に出会います。そのような施設が出来ると町の雰囲気が悪くなる、治安が心配だ、土地の値が下がる等がその理由です。ゲラサの町の人々は私たち自身なのです。

2.この物語は私たちの物語ではないか

・現代においても悪霊は存在するのでしょうか。今から10数年前にユーゴスラヴィアで内戦が起こり、連邦を形成する各民族が独立を目指して10年間に渡って内戦状態になりました。ユーゴでは、違う民族が長い間、共に暮らしていました。しかしソ連崩壊に伴う民族主義の高まりの中で、ある日、指導者たちが「私たちは誇り高いセルビア人で、隣は憎むべきイスラム教徒である」と叫び始めると、その声に踊らされて人々が殺し合いを始めました。同じような出来事がルワンダでもインドネシアでも起ました。何故、人々は隣人と殺しあうのでしょうか。何が人間を狂おしいほど残虐にするのでしょうか。聖書はそれを悪霊、レギオンの故と言います。この悪霊の力を打ち破るためにイエスは来られたとマルコは述べます。
・ドストエフスキーは「悪霊」という小説を書きましたが、それは組織の結束を図るため転向者を殺害した「ネチャーエフ事件」を素材にしています。彼は小説の冒頭にルカ8:32-36を掲げます。今日の私たちのテキストのルカ版です。ドストエフスキーは、無政府主義や無神論に走り、秘密結社を組織した青年たちが革命を企てながら自らを滅ぼして行くさまを、悪霊にとりつかれて湖に飛びこみ溺死したという豚の群の中に見たのです。マルコの描く世界、ドストエフスキーの小説の世界は現在の物語なのです。
・悪霊につかれたゲラサの男、この人は現代では統合失調症(精神分裂)と言われるかもしれません。この病気の発症率は120人に1人とかなり多く、妄想・幻覚・幻聴が生じ、現代医学でも治癒は難しい病気です。今日でも精神を病む人が自分を傷つけたり他人を傷つけたりする恐れがあれば、法律により強制入院させられます。その精神病院の大半は閉鎖病棟であり、治療と言うよりも隔離に近い状態です。日本で精神の病に苦しむ人々は100万人おり、その内30万人は入院しています。体の病気の場合、患者も家族も、早く治って社会復帰したいと願いますが、精神の病気の場合、患者も家族も、もうだめだ、治らないと諦めています。5年、10年、さらには20年も入院する人がいます。治っても帰るところがないからです。30万人の入院患者の内30%の人は在院帰還が10年を越えるといいます。ゲラサの男は夜昼叫んで、体を傷つけていました。希望がないからです。同じ状況が今日にもあることを私たちは認識する必要があります。

3.イエスに従う

・ゲラサの男は墓場に住み、イエスに言いました「私にかまわないでくれ、私と何の関わりがあるのか」と。それでもイエスはこの男と関わりを持たれました。かまわないでくれという人に神は関わりを持たれるのです。今日の招詞にイザヤ65:1-2を選びました。次のような言葉です「私に尋ねようとしない者にも私は尋ね出される者となり、私を求めようとしない者にも見いだされる者となった。私の名を呼ばない民にも、私はここにいる、ここにいると言った」。イザヤは、神は苦しむ者に進んで関わられ、求めなかった者にも、尋ねなかった者にも「私はここにいる、私はここにいる」と言われる方だと証言します。
・イエスは来る必要のない異邦人の地に来られ、声をかける必要のないこの男に声をかけられました。イエスは土地の人から疎まれる危険を冒して男を憐れまれました。イザヤは預言を続けます「彼らが呼びかけるより先に、私は答え、まだ語りかけている間に、聞き届ける。狼と小羊は共に草をはみ、獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし、私の聖なる山のどこにおいても害することも滅ぼすこともない、と主は言われる」(65:24―25)。神は自ら進んで私たちと関わりを持たれ、その結果交わりが回復します。狼と子羊が共に草を食べ、獅子と牛が共にわらを食べ、蛇も人を襲うことはない社会が成立します。ゲラサの男は、イエスが関わりを持たれることで、人間社会に復帰し、その交わりなかから神の国が生まれていきます。
・しかし、私たちの現実の中では、精神病院から退院できるのに行き先がないため病院に留まる多くの人がおり、仮に自宅に戻っても職業に就けないために自立出来ない人もいます。神の国はイエスがゲラサの男と関わりを持たれた故に生じたように、私たちが苦しむ人たちと関わりを持つ時生まれます。ゲラサの男はイエスが進んで関わりをもたれ、悪霊を追い出されたことにより、隣人との交わりを回復しました。癒された男はイエスに従いたいといいますがイエスは「自分の家に帰りなさい」と言われます(5:19)。この男は家に帰ってイエスを証ししました。彼は主の恵みを証しする者となったのです。私たちもまた、主が私たちにしてくださったことを証するために教会に集められ、教会から出て行きます。出て行って何をするかは個々人に委ねられています。聖書は一人で読む時には単なる物語です。私たちにどのように関わるのか、分からない。しかし、教会の中で共に読むときに神の言葉となります。教会は神の国の前線基地なのです。聖書は私たちへ語りかけていいます。その語りかけに答えて、私たちもこの男のように出かけて行きなさいと言われているのです。
・最後に香川県にあります国立療養所大島青松園に入所しておられるハンセン病患者塔和子さんの「胸の泉に」という歌を紹介します。最近、クリスチャン音楽家・澤知恵さんが詩に曲をつけてCD化され、話題になった詩です。澤さんの父澤正彦は牧師として大島青松園に関わり、赤ん坊の知恵さんを連れて訪問し、それ以降澤知恵さんも大島青松園に関わってきました。今日の「ゲラサの悪霊つきの物語」を象徴するような言葉が並んでいます。「かかわらなければ、この愛しさを知るすべはなかった。この親しさは湧かなかった。この大らかな依存の安らいは得られなかった・・・ああ、何億の人がいようとも、かかわらなければ路傍の人、私の胸の泉に枯れ葉いちまいも落としてはくれない」。関わることによって関係が生まれ、関わることによって神の国が生まれて行きます。私たちは隣人と関わる知恵と勇気をいただくために、今日ここに集められているのです。

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