江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2012年1月8日説教(ルカ-9:10-17、あなたが食べ物を与えなさい)

投稿日:2012年1月8日 更新日:

1.パンの奇跡

・イエスが5つのパンと2匹の魚で5千人を養われた出来事は4つの福音書全てに記事が載っています。福音書にはイエスの奇跡の記事が35記録されているそうですが、四福音書全てに記載があるのは、このパンの奇跡のみとのことです。この奇跡が弟子たちの印象に強く残ったということでしょう。それはガリラヤ湖のほとり、ベツサイダの近くで起きた出来事でした。ルカは記します「使徒たちは帰って来て、自分たちのして来たことを報告した。それからイエスは彼らを連れてベツサイダという町へひそかに退かれた」(9:10)。並行個所のマタイ福音書では洗礼者ヨハネの殉教の話に続いてパンの奇跡が描かれています。「イエスはこれ(洗礼者ヨハネの死)を聞くと…ひとり人里離れた所に退かれた」(マタイ14:13)。領主ヘロデはヨハネの活動が政治運動化することを恐れてヨハネを処刑しましが、彼はイエスをも殺そうと考えていました(13:31)。イエスは無用の混乱を避けるために、ヘロデ領の外にあります対岸ベツサイダに行かれたのでしょう。しかしそこにも群衆が押し寄せてきました。
・ルカは記します「群衆はそのことを知ってイエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた」(9:12)。イエスの周りにはいつも病気のいやしを求めて大勢の人が集まって来ていました。医学の発達していない当時、病気の治療は薬草を飲んだり、祈祷してもらったり、あるいは治療なしに寝ているだけで、後はその人の自然治癒力に委ねられていました。人々は感染を恐れて病人には近寄りませんでしたが、イエスは進んで病人のところに赴かれ、励まし、慰められました。そのイエスの慰めが多くの人に病気に勝つ気力を与え、病をいやしたのでしょう。
・そのうちに日が落ち、暗くなって来ました。場所は人里離れた寂しいところです。弟子たちは群集を解散させ、それぞれの食べ物を買いに行かせたほうが良いと判断して、イエスに「群集を解散させてください」と進言します(9:12)。弟子たちの考えは常識的な判断です。5千人近い人がここにいて、その人々に食糧を買い与えるだけのお金もない。しかしイエスは「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」(9:13)と言われます。弟子たちは困惑します「私たちには五つのパンと二匹の魚のほか何もありません。私たちが出かけて行って、この民全体のために食物を買うのでしょうか」(9:13,新改訳)。5つのパンで5千人を養うのは物理的に不可能なのです。
・イエスは弟子たちが差し出した五つのパンと二匹の魚を見て、「人々を座らせなさい」と言われ、天を仰いで感謝の祈りを唱えてから、人々にパンを分けるように弟子たちに命じられました。すると、「全ての人が食べて満腹する」(9:17)ことが出来たとルカは記します。パンを与える時のイエスの動作は印象的です。「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡した」(9:16)。イエスの食事の際の動作は、いつでも「(パンを)取り」、「賛美し」、「(パンを)裂き」、「与える」という4つの動詞で表されます。「パンを取る」のは「賛美する」ためであり、「パンを裂く」のは「与える」ためです。「パンを取り、賛美する」、このパンがたまたま目の前にあるというのではなく、神から与えられたものであることを表しています。また「パンを裂いて与える」、当時のパンは円盤型をしていましたので、このパンを裂くとは、一人で食べるのではなく、皆と分かち合って食べるためです。パンを与えて下さる天の父に感謝し、それを共に食べる喜びが、「パンを取り、賛美する」という言葉の中に現されています。

2.何が起こったのだろうか

・私たちは目の前の5千人の人を見て、また手元に5つのパンしかないのを見て、「これではどうしようもない」とあきらめます。弟子たちもそうでした。「5つのパンでは何の役にも立たない」と弟子たちはため息をついました。彼らは「神が働いてくださる」という信仰を持たなかったからです。しかし、イエスがその5つのパンを裂かれると5千人の人が食べることが出来ました。何が起こったのでしょうか。聖書学者たちは想像します。当時、出かける時には、相応の食糧を携帯するのが当たり前でした。弟子たちは自分たちのためにパンと魚を携帯していましたが、イエスに命じられてそれをイエスに差し出しました。イエスはパンを与えてくださった神に感謝して、それを裂き、人々に分け与え始められました。それを見て、他の人たちもそれぞれが持っている物を差し出した。この結果、5つのパンしかなかったものが、数十個、数百個のパンとなり、みんなが満腹して食べるほどの量になった。ここに神の算術があります。5つのパンが差し出されれば、それに心動かされた人々も自分のパンを差し出し、その結果、5千人が食べて満腹することが出来るのです。
・聖書で「奇跡」と訳されるギリシャ語には三つありますが、最も多く用いられるのが「デュナミス」という言葉です。英語のダイナミックの語源ですが、本来的には「力、体力、能力」などの意味で、ある場合には「力ある業」と訳されます。聖書の奇跡とはmiracle(不思議な出来事)ではなく、wonder(驚嘆すべき出来事)なのです。不思議な出来事が起きて驚くのではなく、神が起こして下さった御業の驚異を賛美するのが奇跡です。Miracleに相当するセメイオン(しるし)やテラス(超常現象)は多くの場合、人を欺き惑わすもの、警戒すべきものとして否定的に使われます(例えばヨハネ4:48では「あなたがたは、しるし(セメイオン)と奇跡(テラス)とを見ない限り、決して信じないだろう」という使われ方をします)。
・この物語が、単にパンが増えて大群衆が満腹したというだけのことであれば、それは2千年前の不思議な出来事でしかありません。大切なのは、「神とのつながり、人とのつながりの中にこそ命がある」ということがパンの奇跡を通して示されたことです。この「つながり」こそ、震災後の日本で見直されてきた「絆」です。しかし残念ながら日本の絆は「人とのつながり」のみで、「神とのつながり」が欠けています。土台を欠いた絆は限界を持つでしょう。だからこそ、私たち教会は発信していく必要があります。「すべてのものは神から与えられたものであり、だからこそ人と人とが分かち合って食べる、これが本当の豊かさ」であることを。そのイエスの食事の豊かさを、教会は「主の晩餐式」という形で継承しています。
・私たちは小さい時から、自分のものは自分が努力して手に入れなければならない、人のものに手を出してはいけないということを教えられてきました。自分のものと他人のものをきちんと区別することは大切なことです。しかし人生はそれだけではありません。もともと私たちはすべてのものを自分の力で得たわけではなく、幼児期を考えればわかるように、最初は一方的に与えられて育って来たのです。パウロは言いました「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」(1コリント3:6)。神から与えられたものですから、神の民、隣人と共に食べる、それはパンの奇跡の教えることです。

3.一粒の麦が死ねば

・今日の招詞にヨハネ12:24−25を選びました。「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」。「一粒の麦が死ぬ」、麦が発芽するためには、まず地の中で麦が壊され、形を無くして行くことが必要です。麦が自ら死ぬことによって、芽が生え、育ち、多くの実を結びます。自分の姿を残す、蒔かれずに貯蔵しておけば今は死なないでしょうが、やがて死に、後には何も残しません。イエスが十字架で死ぬことによって、そこから多くの命が生まれていきました。私たちもその命をいただいた一人です。だから私たちも、自分の形をなくして、イエスのために世に仕えていきます。
・その生き方を「新生」、新しく生まれると教会では言います。今まで自分中心で生きていた人生が神中心の、具体的には「隣人と共に生きる」あり方に変えられて行くことです。その時、「幸福は共有すれば増えていく」事に気づきます。5つのパンは、一人で食べれば、5つのままです。しかし、それを神のもとに差し出せば、そのパンが50にも100にも増えます。この世は神が働いておられる世界なのであり、それを信じてパンを差し出すのです。
・しかし現実の世界では、パンを割いて分けることは色々な問題を伴います。私たちの教会の今年度会計は30~40万円の赤字になる見込みです。これは教会収入が減少したからではありません。総収入は予算より増えています。それにも関わらず赤字になるのは支出が増えたためです。具体的には対外協力献金が予算より40万円増えました。3.11の震災を受け、私たちは第三主日の献金は震災支援に捧げることを決めて1年間活動した結果、会計が赤字になりました。幸いなことに赤字額が準備金の範囲内でしたので、日常の教会運営には支障がでませんが、それでも赤字は放置できませんから次年度予算で何らかの対処が必要です。その時、収支均衡のために震災献金を縮小する方法もあるでしょうし、他の費用を圧縮して震災献金を続けることも可能です。今日開かれます執事会で議論する予定ですが、個人的には両方共取るべきではないと思います。むしろ、対外協力献金を現在以上に捧げ、なおかつ予算を黒字化する方法を模索すべきだと考えています。
・そんなことが可能なのか、ピリピ書は言います「私の神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます」(ピリピ4:19)。必要なものは神が与えて下さる、だから私たちは出来る限りのものを隣人に捧げていけば良い。その時「自分の分がなくなると心配することはない」という信仰が、教会の信仰、神の算術です。5つのパンで5千人が養われるのは奇跡ですが、私たちの手元にあるパンが差し出されない限り、そのような奇跡は起きません。私たちがパンを差し出せば神が豊かにそれを用いて下さる。奇跡とはmiracle(不思議な出来事)ではなく、wonder(驚嘆すべき出来事)です。神が起こして下さった御業の驚異を賛美するのが奇跡です。私たちは教会堂建設においてその奇跡を体験しました。今度は対外協力献金において、その奇跡を待望すれば良いのではないでしょうか。パンの奇跡が教えるものは、私たちが与えられたものを感謝して受け取り、隣に不足している人がいた時、それを分け与えれば、そこから神の業が始まると言うことです。そのことを信じて新しい年度を迎える準備をしたいと思います。

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