江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年9月11日説教(出エジプト記14:5-18,葦の海の奇跡)

投稿日:2011年9月11日 更新日:

1.エジプトを出るイスラエル

・聖書教育に基づいて出エジプト記を読んでいます。神の起こされた様々な不思議な業によって、イスラエルはエジプトの奴隷から解放され、意気揚々とエジプトを出ました。出エジプト記は記します「イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した。一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった」(12:37)。60万人の壮年男子に女性や子供たちを入れると200万人を超える人数になります。これだけの人数が砂漠を横断することは物理的に不可能で、何らかの読替えが必要です。聖書学者たちは60万人=原語では600・エレフの「エレフ」が、本来は「千」という意味の他に、「家族」という意味を持っていたことに注目し、600家族、おそらくは数千人程度の集団がエジプトを脱出したと推測しています。
・そして神はイスラエルをペリシテ街道ではなく、荒野の路に導かれたと出エジプト記は記します「ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた」(13:17-18)。ペリシテ街道は地中海沿いに北上する当時の通商路であり、この道を通ればカナンまで2週間で到達します。しかしその道は重要な通商路ゆえに、要所にはエジプトの守備隊が配置され、数千人の集団が気づかれずに通過することは不可能です。その場合、エジプト軍との武力衝突が起きますが、それは女子供や家畜を連れた雑多な集団であるイスラエルには不可能でした。
・こうして一行は、海沿いの道ではなく、荒野に続く道に導かれます。そこには「葦の海」がありました。その葦の海で起こった出来事こそ、イスラエルを決定的に変える出来事になっていきます。それが今日読みます出エジプト記14章の記述です。なおこの物語は「紅海の奇跡」とも呼ばれ、アフリカ東岸とアラビア半島を分ける紅海で起きたような印象がありますが、これは「葦の海」(ヘブル語ヤム・サーフ)がギリシャ語に訳される時、誤って「紅海」とされたものが通説化したもので、あくまでも物語の舞台は「葦で覆われた沼地、ナイル川デルタ地帯の湿地」です。

2.葦の海の奇跡

・出エジプト記14章を読むとき、相矛盾する記述が重複して出てくることに気づきます。それはこの記事が複数の資料によって構築されているからです。一つがJ資料(ヤハウェ資料)と呼ばれるもので、概ね古代からの伝承に沿った記述をしています。もう一つがP資料(祭司資料)と呼ばれるもので、伝承に神学的な立場から後世の人々が書き込みをしたもので、神の御業を奇跡的に描く傾向があります。例えば14:22「イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった」は祭司資料で、彼らは信仰的な立場から物事を神秘的に表現する傾向があります。私たちは「神は自然の摂理を無視した奇跡は為されない。それは魔術であって神の御業ではない」と考えますので、概ね古代からの伝承であるJ資料に基づいて、物語を読んでいきます。
・14章でのJ資料は5節から始まります「民が逃亡したとの報告を受けると、エジプト王ファラオとその家臣は、民に対する考えを一変して言った『ああ、我々は何ということをしたのだろう。イスラエル人を労役から解放して去らせてしまったとは』。ファラオは戦車に馬をつなぎ、自ら軍勢を率い、えり抜きの戦車六百をはじめ、エジプトの戦車すべてを動員し、それぞれに士官を乗り込ませた」(14:5-7)。奴隷を去らせるのではなかった、彼らを連れ戻そうと考えたエジプト軍は戦車で追跡し、やがてイスラエルの集団に追いつきます。J資料は書きます「ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、また、モーセに言った『我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましですと言ったではありませんか』」(14:10-12)。
・前には葦の海、後ろには押し迫るエジプト軍を見て、身動きがとれなくなった人々は「荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましだ」と叫び始めます。自分たちを救うために神が為された数々の不思議な御業に感動し、意気揚々とエジプトを出た人々さえ、危機になると混乱して責任を神やモーセに押し付けようとしています。人々は混乱状態に陥りましたが、モーセは動じません。彼は答えます「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」(14:13-14)。「怖れてはならない」、「静かにしていなさい」、「主があなたたちのために戦われる」、何故主に信頼しないのかと彼は答えたのです。
・15節からP資料が挿入され、次のJ資料は21節後半からです。その時、東から強い風が吹いてきて、その風で浅瀬の一部が現れてきました。イスラエルの人々は急いで浅瀬を渡り始めます。追撃のエジプト軍もそれを追って浅瀬に入りますが、沼地に車輪を取られて進むことも退くこともできなくなります。J資料は語ります「主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き・・・エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た・・・(主は)戦車の車輪をはずし、進みにくくされた」(14:21b-25a)。浅瀬の一部が強い東風によって干上がり、徒歩者は通れる状態になりましたが、重量のある馬や戦車は沼地に足を取られ、身動きができなくなり、そこに潮が満ちて来たため、エジプト軍の兵士たちが溺れ死んだのであろうと想像されています。
・こういう現象が起こりうることは、フランスの世界遺産モン・サン・ミッシェルを見ると理解できます。そこでは潮の満ち引きが激しく、満ち潮の時には海の中の小島にある修道院との道は水没し、引き潮の時には徒歩で歩くことが出来ます。その引き潮から満ち潮までの時間が短いため、かつては多くの巡礼者が潮にのまれて命を落としています。出エジプトにおいてもデルタ地帯の潮の満ち引きが記事にあるような出来事を起こしたのでしょう。

3.出エジプトの意味

・出エジプト記14章は締め括ります「イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた」(14:31)。この「葦の海の出来事」はその後も繰り返し、人々に賛美されて来ました。その代表が15章にありますミリアムの賛歌です。彼女は歌います「主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し、馬と乗り手を海に投げ込まれた」(15:21)。
・聖書古代史を専攻するカトリック司祭・和田幹男氏はこの出来事について次のように論述します「出エジプトの出来事は世界史的には規模の小さい出来事であったが、これを体験したヘブライ人の集団とその子孫にとっては忘れられない大きな出来事であった。人間的には不可能に見えた脱出に成功し、そこに彼らは自分たちの先祖の神、主の特別の御業を見た。この歴史上の実際の体験を通じて、彼らはその神が如何なるものであるかをも知り、全く新しい神認識に至った。出エジプトの救いの体験以前には、ヘブライ人たちは、近隣の諸民族がその神々を考えるのと同じように、守護神とか、豊饒多産をもたらす神とか、神話で語られる神々のひとつと見ていた。しかし、ヘブライ人は出エジプトという救いの歴史的な出来事を事実として体験し、自分たちの神は実際の歴史的な出来事に関わってくださるお方だという認識を得るにいたった・・・歴史を導く神であるというイスラエル独特の神の認識がそれ以来始まったのではなかろうか」。「主が私たちをエジプトから救い出して下さった」、私たちはそれを目の前に見た、その感謝、応答が旧約の信仰になっていったのです。
・和田司祭は続けます「出エジプトは救いの原体験のようなものであったから、その後くりかえし体験される救いも出エジプトをモデルに考えられるようになった・・・こうして、新しい出エジプトということが言われる。キリスト教徒にとって罪の束縛状態から解放され、恩恵の世界に生きる道を開かれたイエスの死と復活こそ新しい出エジプトである」。
・私たちにとっての「出エジプト」とは「イエスの死と復活」の出来事であると和田神父は言います。パウロも同じ事を述べます。それが今日の招詞に選びました第一コリント10:1-4の文章です。「兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。私たちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです」。
・ここに出エジプトの出来事が語られています。「雲の下」、出エジプトにおいて「主は先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされ」ました。「海を通りぬけ」、葦の海を分けてエジプト軍からイスラエルを救い出してくださいました。神は「雲の柱」を通して私たちを導き、「海を通り抜けて」エジプトから救い出された。この出来事によって先祖たちは、「モーセに属するものとなる洗礼を授けられた」。パウロの言葉を通して、私たちは「出エジプトの意味」を考えます。第一に、あの葦の海の奇跡に勝る大きな救いのみ業がイエス・キリストによって為されたということです。神が一人子イエスを私たちのために死に渡して下さったことによって、私たちがこの世の奴隷状態から解放されて向こう岸に渡る事が可能になりました。第二に、私たちが神の大いなる救いのみ業を具体的に体験するために、洗礼が与えられています。私たちはイスラエルの民と同じように、調子のよい時は意気揚々と、そして苦しみが襲ってくると人のせいにして泣きわめくような未熟な、自立できない存在です。そのような私たちに、神は「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」と語りかけて下さるのです。
・人生には繰り返し危機が訪れます。家族の死や自分の病気、事故、受験や就職の失敗、左遷や解雇、事業の不振や破産、夫婦関係や親子関係の破綻等数えきれない程の危機が人生にはあります。危機、英語のcrisisという言葉は分かれ目、転換点を指すそうです。これを通過する時は痛みや悲しみを伴い、対応を誤ると死に至る危険すらあります。しかしそれを乗り越えると、向こう岸には新しい天地、解放された地があります。危機はまさに「人生の分かれ目」です。その人生の分かれ目に立たされた時、「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」と語りかけて下さる方を見出すことこそ救いなのです。キリスト者社会事業家として高名な賀川豊彦が最も愛唱した聖句は出エジプト記13:21でした「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた」。私たちの人生は神に導かれ、危機の時には「主が私たちのために戦われ」ます。それを信頼して歩むのが私たちの人生です。

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