1.弟子への招き
・2011年度に入りました。今日からしばらくはマルコ福音書を読んでいきます。イエスの受難と復活を覚えるためです。イエスは30歳の時にガリラヤを出てヨルダンに行かれ、バプテスマのヨハネから洗礼を受けて、公の生涯を始められました。ヨハネ福音書によれば、イエスはバプテスマを受けられた後、しばらく、ヨハネのもとにおられたようです。ところが、師であるヨハネがユダヤ当局から危険人物として逮捕されます。イエスはこの事件を契機に、ご自分の活動する時が来たことを悟られ、故郷のガリラヤに戻って、宣教を始められました。その宣教の言葉をマルコは次のように記します「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)。「時は満ちた」、この時は「カイロス」と言う言葉です。ギリシャ語の時には、カイロスとクロノスがあります。通常の時(クロノス)ではなく、「その時(カイロス)が来た」、「救いの時が来た」とイエスはその宣教を始められました。
・イエスが最初になされたことは、弟子の招きでした。「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは『私について来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた」(1:16-17)。イエスの呼びかけにシモンとアンデレは直ちに応え、二人は網を捨てて従いました。網を捨てる、職業を捨てたのです。何が彼らを動かしたのか、マルコは一切の説明をしません。その後、イエスはゼベダイの子ヤコブとヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを見て、二人も呼ばれます。マルコは記します「この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った」(1:20)。ヤコブとヨハネは、網はもちろん、父(家族)も、雇い人(地位)も、舟(財産)も捨てて従ったのです。
・この召命物語は、創世記の「アブラハムの召命」と合わせて、私たちに対する励ましとして語られます「弟子たちが全てを捨てて従ったように、あなたがたも全てを捨ててイエスに従いなさい」と。しかし、私たちは一つの疑問にぶつかります。「人はそんなに簡単に現在の生活を捨てられるのだろうか」、「全てを捨てることを主は求められておられるのだろうか」という疑問です。私自身50歳の時に、27年間勤めていた会社を辞めて神学大学に入学しましたが、生活は捨てなかったように思います。当時大学生と高校生の二人の子どもがいて、彼らの学費が必要でした。また社宅を出て暮らすために住宅資金も必要でした。何よりも当座の生活資金が必要でした。今後の必要資金を算出して、蓄えと退職金により当面の生活を維持できる見通しがついたので、会社を辞めて神学大学に再入学しました。このような計算をして献身することは、「不信仰だ」と聖書は言っているのでしょうか。
・ヨハネ福音書によれば、ペテロやアンデレたちは、「天の国は近づいた。悔い改めてバプテスマを受けよ」とのヨハネの呼びかけに応えて、ヨルダン地方に行って洗礼を受け、そこにおられたイエスと交わりを持っています(ヨハネ1:40-42)。またガリラヤに戻ってからも、イエスの説教や行われた業を見たり、聞いたりしていたのでしょう。日頃から、この人こそは真の預言者かもしれないと思っていたから、「ついて来なさい」というイエスの言葉に、従うことが出来たのかもしれません。でも「彼らは全てを捨てて従ったのか」、もしかしたら「捨てる代わりに何かを求めたのではないか」との疑問を、私たち現代人は持ちます。
2.弟子たちはすべてを捨てていなかった
・その疑問を解くために、マルコ福音書の全体から、弟子たちの服従を見てみます。最初はガリラヤでの弟子たちです。イエスはガリラヤで多くの癒しを行い、わかりやすい言葉で神の国の福音を説かれました。イエスと弟子たちの行く所、どこでも大勢の民衆が押し寄せました。イエスがペテロの姑の熱病を癒された時、「町中の人が、戸口に集まった」(1:33)とマルコは記します。イエスが旅をしてカペナウムにお戻りになると「大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった」(2:2)と伝えます。また、イエスが湖のほとりで教え始められると「おびただしい群衆が従った」(3:7)とあります。弟子たちは民衆に絶大な人気を博されているイエスが、自分たちに声をかけてくれたから従ったのではないかと思われます。「この人に従っていけば、自分たちもひとかどの人間になれるかもしれない」と期待したからこそ、彼らは漁師の職を捨て、家族も財産も捨てたのです。彼らもまた計算していたのではないかと思います。
・それを示唆する記事がマルコ8章にあります。イエスに対する期待が頂点にまで高まった時に、イエスが弟子たちに問われます「あなたがたは私を何者だと言うのか」。ペトロが答えます「あなたは、メシアです」(8:29)。ところがその弟子たちにイエスは思いがけないことを話されます。「私はこれからエルサレムに行って十字架にかけられて死ぬ」と言われたのです(8:31)。弟子たちの期待はいっぺんに砕かれました。慌てたペテロは言います「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」(マタイ16:22)。「それでは困ります、私たちが何のためにあなたに従って来たと思っておられるのですか。あなたによって栄光をいただくために従ってきたではありませんか」とペテロは言っているのです。
・10章の記事も、弟子たちの服従が見返りを求めていたことを示します。ある時、金持ちの青年がイエスに、「どうすれば救われるのですか」と尋ねて来ました。イエスは青年に言われます「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい」(10:21)。その青年は去っていきました。全てを捨てて従うことが出来なかったからです。その出来事を見てペテロは言います「私たちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」(10:28)。ペテロは何を言いたかったのでしょうか。マタイはマルコを補足して言います「では、私たちは何をいただけるのでしょうか」(マタイ19:27)。そうです。弟子たちは捨ててはいなかったのです。彼らはイエスに従うことが得だから従っただけなのです。ですから彼らはイエスが捕らえられ裁判にかけられることになった時、イエスからいただくものがなくなった時に、イエスから逃げ去りました。「私たちは全てを捨てて従うことは出来ない」ことを、マルコの弟子物語は伝えます。バプテスト連盟では毎年6月に神学校週間があり、奨励者は「退路を断って神学校で学ぶ人々に献金を」と呼びかけます。しかし、「退路を断つ」ことは、ほとんどの人には出来ないのではないでしょうか。
3.ザアカイ的な献身への道
・今日の招詞にルカ19:8を選びました。次のような言葉です「しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します』」。私は教会の牧師であると同時に、東京バプテスト神学校の事務長の仕事もしております。神学校では毎年夏季講座を開いており、2009年度は青山学院大学経済学部・東方敬信先生をお招きして「キリスト教と経済」のテーマで学びました。その中で、東方先生が「献身にはすべてを捨てて仕える修道院的献身と、仕事を持ちながら仕えるザアカイ的な献身がある」と言われました。ザアカイ的な献身とは何でしょうか。ザアカイはローマ帝国の徴税請負人で金持ちでしたが、異邦人のために働く者として、また不正を行う者として社会から疎外されていました。これまでザアカイに声をかけたラビ(教師)はいませんでした。汚れた職業に従事していると考えたからです。この徴税人ザアカイにイエスは声をかけられます「ザアカイ、今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」。偏見から自由なイエスの心の開きがザアカイを変えていきます。ザアカイは立ち上がって言います。それが今日の招詞の言葉「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」です。イエスはザアカイの献身を喜ばれて言われます「今日、救いがこの家を訪れた」(ルカ19:9)。
・別の徴税人の召命物語がマルコにあります。レビの召命です。イエスはアルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「私に従いなさい」と言われました。レビは立ち上がってイエスに従います。イエスは、レビには「従いなさい」といわれながら、ザアカイには「従う」ことを要求されませんでした。またザアカイもすべてを捨ててイエスに従うとは言いません。ザアカイは徴税人をやめないのです。ただ自分の置かれた場で精一杯、正しいことを行い、貧しい人を大切にして生きようという決意するのです。イエスはその決意を受け入れます。神の国共同体には、いろいろな献身者が必要です。みんなが「すべてを捨てて従った」時、教会は崩壊します。財政的に支える人がいなくなるからです。初代教会はすべてのものを共有する原始共産社会を形成しましたが、しばらくするとこの共同体は崩壊し始めます。使徒行伝6章によれば、教会の中に「日々の配給」の件で争いが起こります。自分たちのもらい分は少なく、これでは生活できないという人々が出てきたのです。生産を伴わない消費だけの共同体は永続できないのです。
・ザアカイ的献身の代表者は使徒パウロです。彼は天幕職人として経済的に自立しながら伝道していきました。彼は言います「主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。しかし、私はこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだ方がましです。だれも、私のこの誇りを無意味なものにしてはならない」(第一コリント9:14-15)。おそらく、当時のローマ社会では教役者を経済的に支えるだけの余裕のない教会が多かったから、パウロは自活伝道者として生きたのでしょう。日本の多くの教会は、牧師に世間並みの給与を支払うだけの経済力に欠けています。その時、自分の稼ぎで教会を支える、そのような牧師も必要とされているのです。クリスチャンが少数派の日本の教会では、「職業を持って仕える」、あるいは「働きながら伝道する」形の、ザアカイ的な献身者がより必要とされているような気がします。
・イエスの生前、弟子たちは本当にはイエスに従いませんでした。しかし、彼らの偽りの服従が真の服従に変えられる時が来ます。復活のイエスとの出会いです。ヨハネ21章は、イエスの十字架の後、失望した弟子たちがガリラヤに帰り、もとの漁師に戻った事が伝えられています。その彼らに復活のイエスが現れ、共に食事をされました。食事の後で、イエスはペテロに聞かれます「あなたは私を愛するか」(ヨハネ21:15)。ペテロは「主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えます。二度目にイエスは問われます「私を愛しているか」。ペテロは同じ答えをします「私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」。三度目にイエスはたずねられます「私を愛しているか」。三度、イエスは「私を愛しているか」と問われました。ペテロは悲しくなり、また情けなくなりました。その悲しみの中でペテロは告白します「私はあなたを裏切りました」。
・イエスが捕らえられ連行された大祭司の屋敷で、怖くなって、三度「イエスを知らない」と言って逃げたペテロ、そのペテロに「私を愛するか」と三度迫られるイエス、その裁きがペテロを悔い改めへと導きました。悔い改めたペテロにイエスは言われます「私の羊を飼いなさい」。この言葉がペテロを変えていきます。イエスは挫折した者を捨てられない。むしろ挫折によって自分の無力を知った者にこそ、神の業を託されます。この赦しと委託から、悔い改めが生じ、その悔い改めが罪責感からの立ち直りをもたらします。ペテロは「私の羊を飼いなさい」という言葉により赦され、「従いなさい」という言葉により、新しい役割を担って立ち上がりました。
・私たちもある時、罪を認め、悔い改め、水に入り、バプテスマを受けました。しかし水のバプテスマを受けても信仰から離れていく人もありますし、信仰に留まった人でも、「何も変わらなかった」という人もいます。これらの体験は水のバプテスマを受けても、必ずしも「新生」が起きないことを示唆しています。水のバプテスマを受けた私たちが信仰の歩みを続け、イエスの弟子として十字架を担う「その時(カイロス)」が来た時に、聖霊のバプテスマが与えられ、このバプテスマを受けることによって、人は新しく生まれ変わります。この生まれ変わりが人を献身に導きます。ペテロの1回目のバプテスマは、ガリラヤでイエスの呼びかけに応じて従った時でした。そして復活のイエスに出会い、二度目の、霊のバプテスマを受けました。ペテロの真の服従はこの時から始まったのではないでしょうか。
・キリストに従うとは全てを捨てることではありません。これまでの人生で蓄積してきたものを主のために生かす人生に変えられることこそ、献身ではないでしょうか。富んでいる人はお金を捧げることによって、時間のある方は時間を捧げることによって、献身の生活に入ります。皆さんに求められている献身は、「信徒から牧会者」へ進んでいくことではないかと思います。イエスの弟子たちが信徒から牧会者になったようにです。自分一人の平安を求める信徒に留まるのではなく、「人間をとる漁師」である牧会者になって下さい。信徒の一人一人が教会に集う人の世話をしていく、それが「牧会」です。その牧会者は自分の仕事、生活を維持しながら働きます。マルコの召命物語は私たちにそのような献身の在り方を指し示しているのではないでしょうか。