江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年2月27日説教(列王記下20:1-6、12-19、人はどのようにして死んでいくのか)

投稿日:2011年2月27日 更新日:

1.ヒゼキヤの死の病からの回復
・列王記を読んでいます。先週、私たちは圧倒的なアッシリアの大軍に攻められて窮地に陥ったユダ王国が、ヒゼキヤの祈りに答えられた神の奇跡的な介入によって救われたことを学びました。一人の信仰者の祈りを神が聞かれ、神が行為されたのです。祈りを神は聞いて下さる、そのことを先週は学びました。今週も列王記下20章を通じてヒゼキヤの信仰を学んでいきます。ヒゼキヤは死の病に罹りましたが、幸いにも癒されて、やがてアッシリアの支配からユダを解放します。今日はヒゼキヤの死の病からの回復の記事を通して、私たちは、「やがて来る死」について、どのように備えるべきかを考えてみたいと思います。
・列王記下20章冒頭は記します。「ヒゼキヤは死の病にかかった。預言者、アモツの子イザヤが訪ねて来て『主はこう言われる。あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい』と言った」(列王記下20:1)。なんと冷たい言葉と思いますが、やはり真実は真実として伝えるのが預言者の役割なのでしょう。しかしヒゼキヤは大きな衝撃を受けます。列王記は記します「ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主にこう祈った。『ああ、主よ、私がまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください』。こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた」(列王記下20:2-3)。主はこの祈りに答えてヒゼキヤの寿命を15年伸ばされました。この出来事が起こったのはいつのことでしょうか。ヒゼキヤは紀元前687年に死んでおり、その15年前とすれば、この出来事が起こったのは紀元前702年ごろ、ちょうどアッシリアの大軍がシリヤ・パレスチナ地方に侵攻し、ヒゼキヤがその対応に忙殺されていたころです。その心労が重なって病気になったのでしょうか。いずれにせよ症状は重く、もう回復の見込みはないと思われていました。
・ヒゼキヤは「顔を壁に向けて」祈りました。死ぬ時は誰も助けてくれず、人は死に対しては一人で立ち向かわなければいけないのです。また彼は祈った後、「涙を流して多いに泣いた」と列王記は記します。一国の王であり、信仰が厚くとも、人は死を前にすればおののくしかないです。ヒゼキヤはこの時39歳でした。人生の半ばで何故死ななければいけないのか、しかしこの国家存亡の非常時に、との思いが彼の心の中に沸き起こったことでしょう。並行箇所のイザヤ書ではこの時のヒゼキヤの祈りが記されています「私は思った。人生の半ばにあって行かねばならないのか、陰府の門に残る齢をゆだねるのか」(イザヤ38:10)。ヒゼキヤは必死に「生かして下さい」と神に訴えたのです。
・主はこのヒゼキヤの祈りを聞かれて、彼の命を15年間延ばされます。列王記は記します「イザヤが中庭を出ないうちに、主の言葉が彼に臨んだ。『わが民の君主ヒゼキヤのもとに戻って言いなさい。あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。私はあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、私はあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。私はあなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。私は私自身のために、わが僕ダビデのために、この都を守り抜く』」(20:4-6)。ヒゼキヤは死の病から癒されましたが、それは彼自身のためというよりも、「アッシリアの王の手からこの都を救い出す」ためでした。この記事が私たちに示しますことは「人は使命がある限り生かされる。使命を終えずして死ぬことはない」というメッセージです。人は「生かされている間、生きる」というのが聖書の使信です。
・しかし私たちは疑問も持ちます。「3歳の子供が先天性の疾患のために天に召されるのも、その使命を終えた故だろうか」。難しい問題ですが、少なくともそう受け入れるのが信仰ではないかと思います。ダウン症の子を与えられたエドナ・マシミラさんは次のように言います「神から贈られたこの子、柔和でおだやかなこの子という授かりものこそ、天から授かった特別な子供なのです」(Edna Massimilla「ようこそダウン症の赤ちゃん」)。人を生かすも殺すも神の御手の中にあり、私たちは「生かして下さい」と祈るしかない。神がもし許して下されば私たちは生かされるでしょうし、そうでなければ命を召される。しかし、その神は私たちを愛し、憐れんで下さる方であることを知るゆえに、神は最善の決定を為されると受け入れて行くのが信仰です。癒されれば感謝し、癒されなければそのことの中に意味を見出していくのが信仰者です。

2.バビロンとの同盟とイザヤの叱責
・ヒゼキヤが死の病から奇跡的に助けられたことを聞いて、バビロン王の使者が見舞いに訪ねました。列王記は記します。「バビロンの王、バルアダンの子メロダク・バルアダンは、ヒゼキヤが病気であるということを聞いて、ヒゼキヤに手紙と贈り物を送って来た。ヒゼキヤは使者たちを歓迎し、銀、金、香料、上等の油など宝物庫のすべて、武器庫、また、倉庫にある一切のものを彼らに見せた」(20:12-13)。バビロンはアッシリアの支配下にあったメソポタミヤ南部の国でしたが、アッシリアからの独立を図って、周辺諸国を反アッシリア同盟に誘い込んでいました。今回の使者も単なる病気見舞いではなく、ユダ王国との軍事同盟締結のための使者でした。ヒゼキヤは彼らを歓迎し、持っているもの全てを見せます。ヒゼキヤもまたアッシリアからの独立を願っていたからです。
・しかしこの行為はヒゼキヤの顧問的存在であった預言者イザヤを怒らせます。イザヤはヒゼキヤに言います「主の言葉を聞きなさい。王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、と主は言われる。あなたから生まれた息子の中には、バビロン王の宮殿に連れて行かれ、宦官にされる者もある」(20:17-18)。これはヒゼキヤの軽率な行為を叱るというよりも、他国と同盟して国を守る行為こそが、「主を信頼しない」不信仰な行為であり、主の裁きを受けるであろうとの警告でした。この世的に考えれば、敵の脅威から国を守るために、同じ脅威の下にある他国と同盟して軍事力を強くすることは当然です。しかしイザヤは言います「信じなければ、あなたがたは確かにされない」(イザヤ7:9)。ヒゼキヤの父アハズはアッシリアに頼って国を守ろうとして、結果的にアッシリアの支配下に入り、アッシリアの神々を拝むようになりました(列王記下16:10-13)。今アハズの子ヒゼキヤは、バビロンに頼ってアッシリアの脅威から逃れようとしていますが、それは父アハズが行ったことと同じで、獅子の脅威から逃れるために、狼に頼ることに他ならない。何故「戦車の数が多く、騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない」(イザヤ31:1)のかと言ったのです。この所について榎本保郎牧師は次のように解説します「平和の問題について日本の国でもいろいろのことを言っているが、日本の国が本当に平和を願うならば軍備を撤廃しなければならないと思う。そんな危ないことはできるものかと皆は言うであろう。そこに信仰の決断がある」(榎本保郎「旧約聖書一日一章・イザヤ38章から」。現実を踏まえると難しい問題がそこにありますが、心して聞くべき言葉でしょう。
・ヒゼキヤはイザヤの叱責を聞き、悔い改めます。それが「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」(20:19)という言葉です。この言葉は、自分だけが無事であればその子孫はどうなっても良いと誤解されやすいでしょうが、真意は犯した過ちに対する刑罰の執行が猶予された恵みに対する感謝です。ヒゼキヤは愚かではあっても不信仰ではなかったからです。列王記は記します「彼は、自分の在世中は平和と安定が続くのではないかと思っていた」(20:19)。「在世中は平和と安定が続け」ば、その間にいろいろなことが出来ます。イエスも言われました「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6:34)、明日の命はわからなくとも、今日一日を生かされることにヒゼキヤは感謝したのです。

3.人はどのようにして死ぬべきなのか
・今日の招詞にヤコブ4:14-15を選びました。次のような言葉です「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです』」。
・ヒゼキヤは死の病から癒されて、新たに15年の命をいただきました。死の床にあった時、ヒゼキヤは「人の命の年数は神の御手の中にあり、人は許された時間を生きるだけだ」ということを思い知ったことでしょう。まさにヤコブが言うように、「人は自分の命がどうなるか、明日のことは分からない。人は、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎない」のです。私たちは許されて60年、70年、あるいは80年の時間を生きる存在です。しかし同時に「為すべきことをする」十分な時間が与えられています。ヒゼキヤはイザヤの預言から「自分の在世中は平和と安定が続く」ことを聞き、感謝します。ユダの国を守るという使命を果たすだけの時間が与えられたことを感謝したのです。人はいつまでも健康で生きることが出来るわけではなく、いつかは死ぬ時が来ます。私たちはある意味で、刑の執行を猶予されている死刑囚なのです。メメント・モリ=死を忘れるなという言葉がありますが、死を忘れない生き方とは、刑の執行が猶予されていることを感謝する生き方です。それは「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」(第一コリント15:32)という投げやりな生き方ではありません。そうではなく、残された時間を誠実に生きる生き方、ヤコブの言う「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」という生き方です。
・そして私たちの人生には、多くの苦しみが与えられます。しかし、この苦難も信仰者にとっては祝福になります。ヒゼキヤも死の病を経験して、新しく生まれ変わった存在となりました。病気になって初めてわかる祝福があります。家族や友人を失って知る大切なものがあります。地上の財を奪われて初めて見える天上の宝があります。イスラエルはこの時はアッシリアから守られ、存続が許されましたが、100年後にはバビロンによって国を滅ぼされ、世界に散らされ、捕囚の憂き目を味わいます。しかしユダはそのことを通して、自分たちの罪を認め、神なしに生きることが出来ないことを知り、神の憐れみ深さに感謝して生きる信仰の民となりました。歴史を振り返った時、裁きもまた恵みであったことが分かるのです。
・イスラエルの詩人は歌いました「私は神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます。御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に、彼らが愚かなふるまいに戻らないように。主を畏れる人に救いは近く、栄光は私たちの地にとどまるでしょう。慈しみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85:9-12)。ユダヤ人はこのヒゼキヤの出来事から2,500年の間、さまざまな苦難の中に生きて来ました。彼らの目に見える地上の現実は、決して幸福なものではないかもしれませんが、彼らは希望を持ち続けてこの数千年の時を生きて来ました。そして彼らの後継者である私たちも天を仰いで歌います「御国が来ますように。御心が天に行なわれるとおり、地にも行なわれますように。そのための器として、私たちをお用い下さいますように」と。

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