江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年10月9日説教(民数記20:1-13、荒野の40年)

投稿日:2011年10月9日 更新日:

1.民数記~民の不信の歴史

・今日から二回にわたり、民数記を読みます。民数記は出エジプト記に続く物語です。エジプトを出た民はシナイ山へ着き、そこで主の民となる契約を結び、契約のしるしとして十戒(律法)を与えられます。出エジプト記はそこで終わり、シナイを出発して約束の地を目指して荒野を進む物語が民数記です。民数記という名称はギリシャ語聖書から来ますが、へブル語聖書は「荒野から」という名前になっています。民数記は荒野流浪の物語で、内容は一言で言えば「民の不信の歴史、反逆の旅の物語」です。人々はエジプトを出て13ヶ月目にシナイを出発しました(10:11-13)。人々は契約の箱を先頭にして進みますが、水や食糧が不足するとつぶやき始めます「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では私たちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで何もない」(11:4-6)。
・民はエジプトを「鉄の炉」として、そこからの救済を求めました。今はそれが「肉の鍋」として、慕わしいものになります。「エジプトは良かった」、「昔は良かった」、困難に直面した時、私たちが口にするつぶやきです。イスラエルの民はエジプトを出る折に偉大なしるしを体験し、今また約束の地に向かう途上にあります。しかし、現在の不足を耐えることが出来ません。民は肉が無いことで、全てを無くしたかのようにつぶやきます。神はこの民にうずらを通して肉を与えられますが、民はそれを当たり前として、感謝せずに食べます。主は憤られ、不信仰の罰として疫病が与えられます「肉がまだ歯の間にあって、かみ切られないうちに、主は民に対して憤りを発し、激しい疫病で民を打たれた」(11:33)。
・荒野の旅は苦労の連続でした。しかし2年間の放浪の後に、やっと約束の地カナンの入り口にあたるカデシまで進みました。いよいよ約束が果たされる時が来たのです。モーセは12人を偵察隊として派遣し、40日後、彼らは帰って来て報告します。その地は「乳と蜜の流れる豊かな地だ」(13:25-27)と報告されました。しかし同時に「強そうな民族が城塞を堅固にして住んでいる」とも報告されました。報告を基にした情勢判断は二つに分かれます。カレブは言います「主が与えると言われるのだから、攻め上って行こう」。他の報告者たちは言いました「彼らは我々より強い。攻めるのは無理だ」(13:31-33)。同じ事実認識をしても、人々の判断は分かれます。神を信頼しない時、現実は恐怖になり、人々は怖気づきます。ヨシュアとカレブは言いました「我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう」(14: 8)。しかし、民衆の多くは、偵察隊の報告を聞いて恐怖に襲われ、エジプトに帰ろうと言い始めます「どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ」(14:3)。そして言います「さあ、一人の頭を立てて、エジプトへ帰ろう」(14:4)。
・イスラエルの民はここで決定的な過ちを犯しました。主がエジプトから引き出して下さり、シナイ山で契約を結ばれ、約束の地にまさに導き入れようとされたその時に怖気づいて、エジプトに帰ろうとしたのです。彼らはまだ約束の地に入る資格はない、主は彼らを再び荒野に追い返されます。こうして2年で終わるはずだった荒野の旅が40年もの長期にわたるようになったのです。40年、古い世代が死に絶え、新しい世代と交代する年月です。主はかたくなな旧い世代を断念され、新しい世代に期待を持たれたのです。こうして民は再び荒野に送りだされます。

2.モーセの反逆

・それから38年が過ぎ、イスラエルの民は再びカデシに来ました。それが今日読みます民数記20章の記事です。このカデシこそ38年前に罪を犯し、荒野に追放された場所です。民数記は記します「イスラエルの人々、その共同体全体は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュに滞在した。ミリアムはそこで死に、その地に埋葬された。さて、そこには共同体に飲ませる水がなかったので、彼らは徒党を組んで、モーセとアロンに逆らった」(20:1-2)。不信仰の旧世代は死に、新しい世代が育ったはずです。しかし、彼らも父祖と同じであり、不足があればつぶやきます。そのつぶやきも同じで、「エジプトは良かった」というものです。「同胞が主の御前で死んだとき、我々も一緒に死に絶えていたらよかったのだ。なぜ、こんな荒れ野に主の会衆を引き入れたのです。我々と家畜をここで死なせるためですか。なぜ、我々をエジプトから導き上らせて、こんなひどい所に引き入れたのです。ここには種を蒔く土地も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも、飲み水さえもないではありませんか」(20:3-5)。民は何も変わらず、思いが満たされないと文句を言うだけです。しかし、主は忍耐を持って民の要求を認められ、「水を与えよ」とモーセに命じられました。「あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい」(20:8)。今度、神に対して反逆したのはモーセでした。「何故、このようなかたくなな民に水を飲ませねばならないのか」、彼は腹立ち紛れに民を「反逆者」と呼び、怒りに任せて杖で岩を二度もたたきました。民数記は記します「そして、モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った『反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか』。モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共同体も家畜も飲んだ」(20:10-11)。
・民は水を飲むことが出来ました。しかし、民が見たのはモーセの怒りであり、主の栄光ではありませんでした。モーセは自分の怒りのため、神の命令をないがしろにし、そのため彼は約束の地に入ることを神に禁ぜられます。主はモーセに言われました「あなたたちは私を信じることをせず、イスラエルの人々の前に、私の聖なることを示さなかった。それゆえあなたたちはこの会衆を私が彼らに与える土地に導き入れることはできない」(20:12)。
・モーセはその後何度も約束の地に入れてほしいと主に願いますが、主は許されず、モーセは約束の地を前に死にます。今日私たちが考えたいことは、モーセが約束の地に入ることを拒否されたことではなく、主が期待を持たれた新しい民もまた罪を犯さざるを得なかったという現実です。しかしこの罪の繰り返しから新しい体験が生まれて行きます。民数記は荒野における40年間のイスラエルの放浪の旅を描きます。そこには民の、荒野放浪中の失敗、背き、堕落が何も隠すことなく描かれています。他の国民の歴史は民族の誇りである勝利と栄光を記しますが、民数記はイスラエル民族の弱さと失敗の歴史を記します。それはこれを描いた人々が「背いても、背いても、なお捨てたまわない神の恵み」をそこに見出しているからです。民は罪を犯し続けたにも拘わらず、終には約束の地に入ることが許されたのです。

3.民数記が私たちに示すもの

・1985年5月8日、ドイツ敗戦から40年目の記念式典で、当時のドイツ連邦大統領だったヴァイツゼッカーは「荒れ野の40年」と題する演説を行いました。「荒れ野の40年」、民数記に描かれたイスラエルの民の40年間の旅路を振り返りながら、彼はドイツ民族の40年を語ります。「5月8日は心に刻むための日であります・・・われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます」。彼は続けます「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」。そして言います「人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです・・・人間は何をしかねないのか、これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません」。「われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません」、古い世代が死に絶えて新しい世代が生まれても、私たちは同じ過ちを繰り返しかねない。だから歴史を心に刻むのだとヴァイツゼッカーは語ります。「ナチスは特殊な犯罪人ではなく、私たちもまた状況次第では同じ過ちを犯しかねない存在なのだ。民数記20章を見よ」と彼は示唆しているように思えます。
・私たち篠崎キリスト教会は1971年11月14日に現在の地に土地を購入しました。従って今年は土地を購入してから40年の節目です。この節目の年に、私たちは旧い土地の上に新しい会堂を建てようとしています。この40年間の歩みは決して順調な歩みではありませんでした。教会の記録を見ますと、牧師交代の度に教会員が散らされていった歴史を読み取ることが出来ます。二代目牧師が辞任された1989年には礼拝参加者が40名台から20名台に減らされています。三代目牧師時に一時50名まで増やされた会員も2000年の牧師辞任時には20名台まで減らされ、2年間の無牧時代に教会はさらに試練を受けます。私が就任しました2002年には10名弱の方が礼拝に集まるだけでした。牧師辞任のたびに民が散らされたということは、教会の中に争いがあった、兄弟姉妹の関係が破れたことを意味します。私たちは罪を犯し、裁かれたのです。私たちもまた民数記に描かれた「かたくなな民」なのです。しかし主はその私たちに新しい会堂を与えて下さった、まるで主に背き続けた民に約束の地に入ることを許されたように、です。それは私たちが過去の人々に比べて、信仰が厚いとか、行いが優れているからではありません。「背いても、背いても、なお捨てたまわない神の恵み」があったからです。
・今日の招詞にヘブル12:1を選びました。次のような言葉です「こういうわけで、私たちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか」。今、私たちの人生は苦難の中にあるかもしれませんが、私たちは一人ではなく、多くの先人たちが歩んでいる道を歩んでいます。モーセがイスラエルの民を率いて、約束の地を目指して荒野を旅したように、私たちも今、主キリストに率いられて約束の地を目指して歩んでいます。歩いているのは荒野です。荒野ですからさまざまな不足が生じます。モーセに率いられた民が罪を犯し続けたように、私たちも罪を犯し続けます。犯さざるを得ない存在なのです。しかし主はその私たちに新しい会堂を与えて下さった、約束の地に入ることを許して下さった。そのことの意味をかみしめたいと思います。

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