江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年1月30日説教(列王記下5:9−19a、異邦人ナアマンのいやし)

投稿日:2011年1月30日 更新日:

1.敵国に行くナアマン
・今日2011年1月30日は、仮会堂での第一回の礼拝です。新会堂建設のための建築委員会は2009年5月24日に始まりました。その後、回を重ね、ついに工事を開始する運びとなりました。工事中は西尾家のご好意でこの場所を、仮会堂としてお借りできることとなりました。深く感謝申しあげます。私たちはこれから9ヶ月間を文字通り、家の教会で礼拝を守ります。
・さて、礼拝では列王記を学んでおり、今日が五回目です。これから学びます、列王記下5:9−19aはイスラエルの預言者エリシャが敵味方の隔てを越えて、アラムの将軍ナアマンの病を癒した物語です。アラム王国はイスラエルの北に位置する隣国でシリアとも呼ばれ、いつもイスラエルと争いを起していた国でした。いわば敵国です。その敵国の重臣ナアマンはアラム軍を大勝利に導いた功績のある軍人でしたが、重い皮膚病を患っていました。アラムとイスラエルは当時戦争状態でしたから、通常であれば敵国の将軍が病の癒しを求めてイスラエルに行くことは考えられません。きっかけは将軍ナアマンの妻の召使の少女の一言でした「ご主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに」(5:3)。彼女は戦争で捕虜となったイスラエル人で、今はナアマンの妻に仕えていました。ですからイスラエルの情勢には詳しいのです。
・その少女の言葉が、藁にもすがりたいナアマンの心を動かしました。しかし、サマリアは敵国イスラエルの首都ですから、治療を受けるためには、ナアマン自身が敵国へ行かねばなりません。敵国に行くのは、簡単ではありません。まず王の許しが必要です。ナアマンが申し出ると、王はすぐに許可してくれ、「行くがよい。私もイスラエルの王に手紙を送ろう」と、イスラエル王宛の、親書まで書いてくれました。ナアマンはたくさんの贈り物を用意してイスラエルへ出発しました(5:5)。
・どうしてナアマンは敵国へ行く気になったのでしようか。戦争状態の敵国へ行けば、まず身の危険があります。国境を越えたとたんに捕虜になったら、人質として外交の切り札に使われることは必定です。ナアマンは将軍ですから第一級の人質です。そんな危険を冒してまで、敵国へ行くには強い動機が必要です。そこのところを聖書は詳しく語っていません。ナアマンは高い身分の将軍ですから、外国へ行かずとも自国で、ありとあらゆる治療を受け、アラムの神リモンにも癒しを願ったはずです。そのナアマンが外国、しかも敵国へ行く気になるまでには、自国での治療の行き詰まりがあったと考えられます。自国ではどうにもならなくなり、治してくれさえすればだれでもよい、どこでもよい、敵国の預言者でもよい、藁にでも縋りたい気持ちがナアマンをイスラエルへ行かせたのでしょう。

2.ナアマンの怒りと家来の助言
・さてナアマンをイスラエルへ行かせた「重い皮膚病」とはどんな病気でしょうか。新共同訳では「重い皮膚病」となっていますが、重い皮膚病と言うだけでは、どれほど重大な病かわかりません。文語訳聖書では「彼は大勇士なりしが癩病をわずらひ居る」(5:1b)と記されています。聖書の記述が「重い皮膚病」に変わったのは1997年で、1996年「らい予防法」が廃止され、翌年の4月1日から日本聖書協会は旧約聖書「らい病」の記述を、「重い皮膚病」に改訂しました。病気に対する偏見に結びつく言葉は聖書では使わないというのがその理由です。しかし、新共同訳では「らい病」という言葉はなくなりましたが、新改訳聖書、口語訳聖書では「らい病」のままです。「重い皮膚病」に直すと、文脈がつながらなく、わかりにくいというのがその理由です。元となるヘブル語の「ツァラアト」は宗教的な「汚れ」と同時に、家の壁に出る「かび」も意味し、区別がつきません。今使われている「ハンセン病」は、20世紀のはじめ、病原菌を発見したノルウエ−のハンセン博士の名を冠した医学用語ですが、ハンセン病のような現代語は古代を記述する聖書にはなじみません。聖書の病名の不統一は偏見と差別を重ねてきた、歴史の反省からの混乱だと考えられます。
・ナアマンに話を戻します。「今、この手紙をお届けするとともに、家臣ナアマンを送り、あなたに託します。彼の重い皮膚病をいやしてくださいますように」(5:6)。この突然のアラム王の手紙にイスラエルの王は狼狽し、衣を裂いて嘆きました。自分の国で治せない患者を送りこんで治せというが、治せなければ何を要求してくるかわからない、これば言いがかりだとイスラエル王は恐れたのです(5:7)。狼狽する王と対照的に、エリシャは動揺することなく落ち着いて言いました「その男を私のもとへ寄越しなさい。彼はイスラエルに真の預言者がいることを知るでしょう」(5:8)と断言します。ナアマンの訪問はイスラエルの王を狼狽させたのです。イスラエルは王がアラム王の親書に怯えるほど、国力が衰弱していたのです。王とエリシャの信仰の違いもはっきり現れています。信仰を失っている王は狼狽し、確信あるエリシャは動揺していませんでした。
・ナアマンは数頭の馬と共に戦車に乗り、将軍らしい偉容を整え、エリシャの家に到着しました。しかし、エリシャはナアマンに会おうとしません。ただ弟子を通じて「ヨルダン川の水で七度体を洗いなさい」と言うだけです(5:8−10)。出迎えも挨拶もせず、指示を与えるだけのエリシャの無礼な態度に、ナアマンは侮辱されたと思い、怒りました。どう見てもきれいに見えないヨルダン川に浸れということが、まず信じられません。ナアマンは「川というなら、ダマスコの川アバナやパルパルの方が、ヨルダン川よりきれいではないか」と憤慨し、帰国しょうとします。このナアマンの怒りは、私たちの教会の出来事として考えればぴったりです。多くの人々が何らかの癒しを期待して教会に来ます。悩み、苦しみ、悲しみのある人は、その悩み、苦しみ、悲しみから救われることを願い、教会へ来るのです。しかし、教会はそのような願いを直接叶える場所ではありません。教会において私たちに与えられるのは、願い求めている救いではなく、神の言葉です。そして神の言葉は、私たちにはしばしば、「こんなものが何の役に立つのか」と思えてしまうのです。ちょうどナアマンが「ヨルダン川で身を洗って何になるのか」と言ったように、です。現代の人々も、教会に行っても何も良いことはなかった、と怒りを感じることが多いのです。
・ナアマンは「ヨルダン川で七度体を洗いなさい」とのエリシャの言葉に、故郷の川の方がもっときれいだと反発しました。エリシャが神の霊をいただいていることにナアマンは気付いていません。ナアマンは厳かな癒しの儀式を期待していたのです。しかし、その期待は空回りとなり、ナアマンは怒りました。このナアマンの怒りを突き詰めると、自分の思い通りに神を従わせよう、利用しようという欲望がそこにあることが分かります。神は人間の欲望をそのままに叶えることはありませんから、その時人は祈りが聞かれないと思うのです。人間の欲望に過ぎない祈りをして、そのことに気付かない人はやがて教会に失望して、信仰を失うことになりかねません。
・幸いナアマンには良い家来がいて、「お待ちください」と引きとめました(5:10−11)。家来は言います「わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはその通りなさったにちがいありません。あの預言者は『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか」(5:13)。簡単なことだから、預言者の言う通りになさったらと家来は言ったのです。ナアマンはヨルダン川に七度身を浸し、体が癒され、元の清い体になりました。彼は将軍のプライドを捨てることで、家来の忠告を受け入れ、ヨルダン川に入ることができました。そして癒されてようやく、エリシャが真の預言者であると悟りました(5:13−14)。エリシャは最初ナアマンに、会おうともせず、弟子を通じて指図するだけの、失礼な態度をとりました。それは将軍ナアマンの持つプライドを、打ち砕くためでした。ナアマンが神に対して、自分の思いに神を従わせようと、要求する間は神の力は発揮されなかったのです。ナアマンの物語は人間の自己主張やプライドは神の救いと恵みを妨げると、私たちに教えているのです。

3.信じ難いことを信じる
・ナアマンの態度はこの癒しの後、百八十度の変化をとげています。傲慢な将軍から謙虚な神を信じる人に変えられています。ナアマンは体を癒されただけではなく、心まで新たにされたのです。「彼は随員一同を連れて神の人のところへ引き返し、その前に立ち、「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりましました。今この僕からの贈りものをお受け取りください」と申し出ます(5:15)。しかし、エリシャは「私の主は生きておられる。私は受け取らない」と答えます(5:16)。ナアマンが強いて受け取らせようとしても、受け取りません。
・そこでナアマンはエリシャに二つの頼み事をしました。一つは祭壇を築くための土をもらいたいという申し出です「らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません」(5:17)。礼拝場所を造るための土をまず求めたのです。それから彼はやむをえず異教の神を礼拝することの許しを求めました「ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。私の主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、私は介添えをさせられます。そのとき、私もリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。私がリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦してくださいますように」(5:18)。自分はリモンの神を信じないが王が拝む時には介添えをしなければいけない、そのことの許しを求めたのです。エリシャはナァマンの立場に理解を示し、彼に「安心して行きなさい」と言いました(5:19)。
・ナアマンは異教の民の中で、主なる神を礼拝しょうとしていました。彼は職務上リモンの神を礼拝することの許しをエリシャに願います。このナアマンが直面した問題は、まさに今日私たちが直面する問題でもあります。仏教の葬式に出るべきか、親戚の法事に参列すべきか、神社の祭礼にはどう対処すべきか。私たちは異教国日本の中で日々悩みます。その問題に対して、ナアマンの在り方は、どうあるべきかの一例を示しています。主なる神への信仰と礼拝を守りつつ、かつ異教社会の祭儀には職務上、立場上必要な時は連なることができる、突っ張って生きることはないのだ、とナアマンの物語は私たちに教えているのです。
・ナアマンは神の癒しが自らの思い及ばないところから来ることをようやく知りました。イスラエルの捕虜の少女から、預言者エリシャの癒しのわざを聞いたことを始めとして、それにつづく一連の出来事は、ナアマンの考えを覆しました。神の教えに対しナアマンには決断しかありませんでした。ナアマンは良い方を選んだのです。イエスもルカ福音書の中でこの出来事に言及しておられます「預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった」(ルカ4:27)。神から遣わされた預言者エリシャが助けたのは異国の将軍であって、イスラエル人ではなかった、それはイスラエルにナアマンほどの信仰を持つ者がいなかったからだイエスは述べています。イエスの時代も、清められねばならない人々がたくさんいたのに、心から神を信じる人がいなかったから、癒しは異邦人だけに与えられていたのです。
・今日の招詞にエフェソ2:8を選びました。「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰により、救われました。このことは、自らの力ではなく、神の賜物です」。異教徒の将軍ナアマンが預言者エリシャに癒されたのがこの物語ですが、物語の中心はナアマンが信じてヨルダン川に入り、清い体に変えられ、主なる神を信じる者となったことです。この物語はナアマンがヨルダン川に入る決断をするところが、バプテスマを受けようとする人への模範として語られてきました。ナアマンは、自らの力ではなく、神を信じる決心をして、ヨルダン川に入り救われました。彼は救いが神の賜物であることを実感しました。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神がおられないことがわかりました」というナァマンの言葉は彼の実感からでた言葉なのです。私たちが「イエス・キリストの神の他、この世界のどこにも神がおられないことがわかりました」と告白する時、ナアマンの物語は私たちの物語になるのです。

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