2010年12月26日説教(ローマ16:1-16、主に結ばれた兄弟姉妹へ)
1.最後の挨拶をするパウロ
・2010年最後の礼拝の時を迎えました。今年は10月から「ローマ人への手紙」を読んできましたが、今日が最終回です。パウロはローマ教会の人々に最後の挨拶を送ります。それが15章30節の言葉です「兄弟たち、私たちの主イエス・キリストによって、また、"霊"が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、私のために、私と一緒に神に熱心に祈ってください」。そして「ぜひローマのあなたがたの所に行きたい」と結んだ後、彼らに祝福の言葉を贈ります「平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン」(15:33)。手紙はここで終わるはずでした。しかしパウロはその時、この手紙を持ってローマに訪問する予定の姉妹を紹介することを忘れていたことに気づき、「フェベをよろしく」と書き、次にはローマにいる友人たちへの挨拶の言葉を書きます。それが今日テキストとして与えられたローマ16章です。
・私たちはローマ書を難しいとして敬遠し、パウロを小難しいことばかりをいう説教者と見がちですが、このローマ16章を読むと、そうではないことが分かります。パウロはここでローマにいる友人たち一人一人の名前を呼び、「命がけで私の命を守ってくれた」(16:4)とか、「主に結ばれている、愛する姉妹」(16:8)とかの短い紹介を付けて、挨拶を贈っています。パウロが説教者であるよりも、教会の一人一人の名前を覚えて祈る牧会者であったことが、この16章から読み取れます。ここに大勢の名前が紹介されていますが、名前の背後にはそれぞれの人生があります。今日はローマ16章を通して、その人たちの人生の断片を見て行きます。
・最初に名前を挙げられていますのが、「プリスカとアキラ」です。パウロは記します「キリスト・イエスに結ばれて私の協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけで私の命を守ってくれたこの人たちに、私だけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています」(16:3-4)。プリスカとアキラの夫妻はローマに住むユダヤ人クリスチャンでしたが、49年のユダヤ人ローマ追放令でコリントに移住し、そこでパウロと出会い、彼を自分の家に迎え、同じ職業であるテント造りを共にしながら、パウロの自給伝道を助けました(使徒18:1-4)。やがてコリントでユダヤ人との騒動が起きると、夫妻はパウロと共にエペソに赴き、自宅を開放して集会を初め、その家の集会がエペソ教会の土台になっていきます。「命がけでパウロの命を守ってくれた」こともあったのでしょう。今夫妻はローマに戻り、パウロは深い感謝を二人に捧げています。
・その後でパウロは「彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく」(16:5)と付け加えます。プリスカとアキラ夫妻はローマに帰ると自分たちの家を開放してそこで集会を持っていたようです。パウロの時代、教会堂というものはなく、家庭で主日礼拝が守られていました。家の教会です。私たちも来年1月には現会堂の建て直しのために、この会堂を離れ、西尾家で集会を持ちます。ローマ教会と同じように、私たちも「家の教会」で礼拝を守るようになるのです。その直前の礼拝において、「家の教会」を思うようにと御言葉が与えられたことは、不思議な導きであると思います。次にパウロは「私の愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です」(16:5b)と挨拶を贈ります。エパイネトはアジア州の初穂、エペソの開拓伝道で最初に信徒になったのでしょう。以下パウロは、次々と知人・友人の名前を挙げて挨拶を贈ります。
2.主にある兄弟姉妹
・ここに27人の名前が挙げられていますが、注目点が二つあるように思います。一つは婦人や奴隷という当時の社会の中で軽んじられていた人々が大きな働きをしている点です。挙げられている名前の三分の一以上の人が婦人です。ギリシャ・ローマの文明も、ユダヤ文明も決して婦人を重んじるものではありませんでした。当時の社会において、婦人は父の、あるいは夫の所有物であり、人格が尊重されていたわけではありません。このような時代と社会の中で、教会の中では婦人たちが尊敬され、また大きな働きをしていました。プリスカ(16:3)は夫アキラより先に名前を挙げられていますし、フェベ(16:1)はケンクレアイ教会の執事(奉仕者)、ユニアス(16:7)は使徒といわれていました。
・また、アンプリアト(16:8)、ウルバノ(16:9)、スタキス(16:9)は当時の典型的な奴隷の名前だと考えられています。10節にあります「アリストブロ家の人々」という呼び名はおそらく「アリストブロ家の奴隷」を指し、11節「ナルキソ家の人々」も同じ意味だと思われます。当時のローマ教会では多くの奴隷または解放奴隷たちが信徒になっており、彼らもまた「主の働き人」として、重んじられていたことを推察されます。パウロはガラテヤ教会への手紙の中で次のように言います「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:26-28)。教会の中では、社会的な身分や属性を超えた、「主にある兄弟姉妹」の交わりが実現されていたのです。
・二つ目の注目点はパウロがそれぞれの人を紹介する時の視点です。パウロはプリスカとアキラを「キリスト・イエスに結ばれた協力者」と呼び(16:3)、フェベを「主に結ばれている者」として迎えてほしいと依頼します(16:2)。またウルバノを「キリストに仕えている」と紹介し(16:9)、トリファイナとトリフォサ姉妹を「主のために苦労して働いている」と呼びます(16:12)。主にある働き人、同労者としての連帯がここにあります。教会一致の基礎がここにあります。それぞれが違った環境で育ち、違った階層に属していても、「主にある働き人」として共に労苦している、その尊敬があれば教会は一つになれることをパウロはここに示しています。
3.ルフォスの父を覚えて
・今日の招詞にマルコ15:21を選びました。次のような言葉です「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた」。キリストの十字架を無理やりに担がされたキレネ人シモンは有名ですが、彼が「アレクサンドロとルフォスとの父」と紹介されています。アレクサンドロとルフォスがマルコの教会で名前が知られていたクリスチャンであったことを示しています。このルフォスが、ローマ16:3で紹介されているルフォスと同一人ではないかと推測されています。パウロはローマ人の手紙の中で書きました「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女は私にとっても母なのです」。
・アフリカのキレネにはユダヤ人居住区があり、シモンは過越祭りをエルサレムで祝うために、一時帰国していたのでしょう。運悪く、イエスの十字架の道行きに遭遇し、十字架を担ぐ羽目になりました。彼は、重い十字架を担がされ、ゴルゴダまで行かされ、見知らぬ罪人の処刑を見させられました。早く忘れてしまいたいような、いやな出来事であったでしょう。ところがそのシモンに何かが起きました。先に見たように、マルコは、シモンを「アレクサンドロとルフォスの父」と紹介しています。またパウロはローマ書の中で二人の母親を「彼女は私にとっても母なのです」と言っています(ローマ16:13)。ルフォスの母、シモンの妻はかってパウロの伝道を助け、今はローマに居を構えて、教会の一員となっていることを推察させます。シモンの二人の息子と彼の妻が信徒になっています。クレネ人シモンはイエスの十字架を負わされ、イエスの死を目撃しました。その彼に何かが起こり、彼はイエスを神の子と信じる者にさせられました。そして妻と子供たちも信徒になりました。
・以下は推測ですが、おそらくこのような出来事が起こったのでしょう。シモンは無理やりに十字架を背負わされました。十字架の重みは、歩くたびに肩に応えてきます。目の前を、血とほこりにまみれたイエスが歩いておられる。この方は何をされたのか、何ゆえにこのような苦しみを負わされているのか、シモンはその時は何も知りませんでした。十字架の場から立ち去った後、彼はイエスが何故捕らえられ、どのように死んで行かれたかを知るようになりました。裁判にかけられても、己のために一言の弁明もされなかった事も、罵りの言葉に反論もされず、つばを吐きかけられても忍ばれた事も知りました。
・かつて、イエスは重い病を負う人たちを憐れまれ、癒されました。肉親の死を悲しむ者たちのために死人をよみがえらせることもされました。それほどの力を持ちながら、自分のためには何もされませんでした。「他人を救ったのに、自分は救わない」、それがイエスの生涯でした。「自分を救う」、人間の行為は全て、この目的によって動かされています。自己愛こそ私たちの本質です。イエスは他者の命を救うためにあれほど働かれたのに、自己の命のためには何もされませんでした。完全な自己放棄としてのイエスの死の中に、十字架に立ち会ったシモンは、人間ならざるものの働きを見ました。彼はその姿に神を見ました。やがて、彼はイエスの弟子たちの群れに加わり、その結果、復活のイエスに出会って信じる者になったと思われます。
・クレネ人シモンはいやいやながら十字架を背負いました。私たちも同じ様にそれぞれの十字架を負わされます。その重荷を私たちが神から与えられた賜物として受け入れる時、重荷の意味が変ってきます。私が16年前、東京バプテスト神学校に入学した時、各人が何故この学校に来たのかを自己紹介する場がありました。ある人は妻が自殺した、ある人は息子が若くして死んだ、ある人は事業に失敗した、それぞれの苦しみのなかで人生の意味を考え込まされ、神学校に導かれています。正に十字架こそ、命に到る道なのです。
・私たちが与えられた痛みや苦しみから逃げることなく、それを真正面から受け止めていった時、その悲しみや苦しみの意味が変ってきます。先天性の難病を持つ子供を与えられた時、病院や家族会の交流を通して、自分の子供だけではなく、多くの子供たちが苦しんでいる状況を知ります。そして、子供たちがその難病を抱えているにもかかわらず、いやむしろ難病であるからこそかわいいことを知る時、「出生前遺伝子検査」を行って異常があればその子を中絶させるこの世のあり方に対し、疑問を感じ始めます。障害があってもこんなにかわいい自分の子を持って始めて、「障害のある子は不幸であり、生まれない方がよい」とする世の価値観のおかしさに気付きます。その問題を突き詰めて行く時、この国で毎年30万人の子供たちが人工妊娠中絶により闇から闇に殺されている現実に気付きます。しかもその中絶が、母体保護や緊急必要性から為されるのではなく、男の子が続いたから次は女の子が欲しいとか、これ以上子供を生むと教育費が大変だとかの、勝手な理由で為されていることを知った時、私たちの疑問は怒りに変わり、世のあり方に同意出来なくなります。そして神に、何故あなたはこれを許すのかと問い、神は応えられ、その応答を通して、私たちは自分の中の罪を知らされ、悔改め、赦されます。
・ローマの教会では、婦人や奴隷という当時の社会の中で軽んじられていた人々が大きな働きをしていることを私たちは見ました。社会的な身分や属性を超えた、「主にある兄弟姉妹」の交わりが実現されていたのです。そこには、世の価値観から離れた「主にある働き人」、「主の同労者」としての連帯があったことも知りました。もちろん、未完成の存在としての限界もありましたが、教会の頭はキリストであり、その方に従っていこうという一致がありました。2010年私たちの教会にはいろいろなことがありました。2011年も波風が起こることもあるでしょう。しかし、「主にある一致」を目指す限り、神の祝福があることを、今年最後の礼拝で覚えたいと思います。