江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2010年9月19日説教(詩篇121:1-8、目を上げて山々を仰ぐ)

投稿日:2010年9月19日 更新日:

1.私の助けは天地を造られた主から来る

・今日、私たちに与えられましたのは、詩編121編です。この詩篇は別所梅之助氏の名訳で讚美歌となり、日本の教会では「山辺に向かいてわれ」として親しまれています。新生讚美歌では435番になりますが、その1節は歌います「山辺に向かいてわれ、目をあぐ。助けはいずかたより来たるか。天地のみ神より、助けぞわれに来る」。詩編の中には「都に上る歌(巡礼歌)」というのがあります。121編もその巡礼歌の一つで、都に上る、エルサレムの神殿への巡礼の時に歌われた歌です。
・この歌は、イスラエルの国が滅び、住民がバビロンに捕囚となり、やがてエルサレムへの巡礼が許されるようになった時代のものではないかと言われています。「国が滅ぶ」、祖国は悲嘆のどん底にありました。イスラエルの民も、自分たちが滅ぼされたのはイスラエルの神がバビロンの神より弱かったからだと嘲る異邦人の声に、信仰が揺らいでいました。その中で遠いバビロンから巡礼してきた詩人は、エルサレムに近づき、シオンの山々を臨み、歌います「目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか」(121:1)。日本の山は青々とした美しい山ですが、イスラエルの山はゴツゴツした人を寄せ付けない、岩山です。詩人はその山を孤独と不安の中で見上げています。「あなたは私たちの国を滅ぼされた、あなたは今でも私たちの神であられるのか、あなたは今でも私たちを愛しておられるのか」と、詩人は問いかけます。その問いかけに、詩人の魂は答えます「私の助けは来る、天地を造られた主のもとから」(121:2)と。助けは人からも自然からも来ない、助けはただ天地を造られた神からのみ来ると詩人は歌います。
・詩人の叫びに応答するように声が聞こえます。「どうか、主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように」(121:3)。共に巡礼する仲間の声なのでしょうか。詩人はその呼びかけに応えます「見よ、イスラエルを見守る方は、まどろむことなく、眠ることもない」(121:4)。多くの詩編がバビロン捕囚時代に書かれました。捕囚とされた彼らは失意の中で、エルサレムの神を慕い求めていました。詩編137編は歌います「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、私たちは泣いた。竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた・・・どうして歌うことができようか、主のための歌を、異教の地で。エルサレムよ、もしも私があなたを忘れるなら、私の右手はなえるがよい」(137:1-5)。しかし捕囚の地で祈りを繰り返しているうちに、「神はこの地にもおられる、この地にても私たちを見守っていてくださる」ことに気づきました。この時、「イスラエルの神」という民族神が、実は天地を創造され、支配しておられる「天地の神」であることに気づき、彼らは神の歴史を創世記、出エジプト記等の形でまとめ、聖書を編纂していったのです。エルサレムへの帰還を許された彼らは聖書を携えて帰り、神殿を再建し、その神殿で歌うための讚美歌として詩編を編集していきました。詩編の多くはこの時代に作られたものです。イスラエルの民は捕囚地で共におられる神に出会いました。だから詩人は歌います「見よ、イスラエルを見守る方は、まどろむことなく、眠ることもない」(121:4)。
・詩人は続けます「主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない」(121:5-6)。砂漠の地において、昼は灼熱地獄であり、太陽は大いなる脅威です。主はあなたを砂漠の熱から守り、あなたを覆って下さる。また、砂漠の地において、夜は急激に温度が下がり、月の寒気が人を襲います。その寒さからも主はあなたを守ってくださると詩人は歌うのです。巡礼の仲間は呼応して歌います「主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに」(121:7-8)。行きの道を主が守ってくださったように、帰りの途も守ってくださるようにとの意味でしょう。この詩篇で注目すべき言葉は、ヘブル語「シャーマール、見守る」という言葉です。この言葉が短い詩の中に、6回も繰り返し現れてきます。私たちを「創造された主は今も働きたもう神」であり、常に私たちを「見守ってくださる神」であるとの信仰が、この言葉に込められています。

2.今も見守って下さる神

・詩人は「自分たちは神の見守りの中にある」とその信仰を歌いました。詩人の置かれた状況は決して容易ではありません。エルサレムがバビロンに滅ぼされ、外国に支配され、人々は離散の民となり、彼らは異郷において神の住まいエルサレムを偲んだのです。詩編121編からは、切々とした望郷の思いが伝わってきます。亡国とは極めて悲惨な事です。何処に行っても、安住の地はないのです。その中で詩人は「わが助けは、天と地を造られた主から来る」と歌いました。生活の土台が崩されている中で、私たちは神を讃えることができるかがここで問われています。仮に私たちが健康診断を受け、再検査の結果、進行性の末期ガンが見つかり、「あなたの命は後1年です」と宣告された時、私たちの人生は土台から揺さぶられるでしょう。その時にも、「私の助けは天地を造られた主のもとから来る」と私たちが歌いうるかが今日の主題であります。
・先週、私たちは詩編103編を読みました。103編は「重い病から癒された人の感謝の歌」でした。重い病にかかって癒されれば誰でも感謝するでしょう。しかし、ある人は治療の甲斐なく、天に召されていきます。癒されずに天に召される時にも、主に感謝することのできるのが信仰であります。主を畏れる人の死は、死であって死ではない、信仰者にとって天に召されることは神の御許に帰ることであり、悲しむべきことではないと心から信じる時、私たちの人生は神の平安の中に包まれます。これは人生の基本問題、ある意味で事業の成功や学業の成就よりも大事なことです。死はすべての人が経験しなければいけない試練であるからです。
・今回の説教を書くために詩編121篇の検索をしましたところ、次のような文章に出会いました。「うつ病退職からの再生の記録」という題の文章です。作者は書きます「昨晩も前職会社の夢をみた。なぜか、前職会社への復帰話しがあり、自分は嫌なのに周囲が強引に進めていく話しである。そして、抵抗できない自分がいた。顔さえ見るのが嫌な経営者が出てきた時に目が覚めた。ほっとした。今日は詩篇121篇が与えられた。『主は今からとこしえに至るまで、あなたの出るところと入るところを守られるであろう』。私の生活はまだまだ不安定である。そこには脱しきれない無力感と、逆に仕事を復活できるかどうかの不安がある。昨晩のような夢をみたら余計に思う。またうつを再発とか、怒鳴られたりとかいじめられたりとかである。しかし、この御言葉があれば 強く立てる。いくら厳しい場所にあっても、主に祈り寄り頼めばなんとかなるのではないかと思う。また、『荒野』に一歩踏み出すことが大切になる。『主はあなたを守って、全ての災いを免れさせ、またあなたの命を守られる』、 その言葉を信じて、日々御言葉を聞き、祈って生きたい」。宗教改革者マルティン・ルターはこの121編を読んで言ったそうです「信仰とはいろいろの知識を頭の中に詰め込むことではない。ただひたすら神の約束を信じて進んでいくことである」と。この記録を書いた人はまさに詩編121編を見事に理解しているのです。

3.この主に依り頼んで生きる

・今日の招詞にヨハネ第一の手紙3:19-20を選びました。次のような言葉です「これによって、私たちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます。心に責められることがあろうとも。神は、私たちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです」。ドイツの詩人ヨッヘン・クレッパーの墓碑銘に書かれてある聖句が今日の招詞です。クレッパーについては前にご紹介したことがありますが、彼はドイツで作家として名をなした人でした。しかし、彼の妻がユダヤ人だったため、ナチス政権下で迫害を受け、妻と娘が強制収容所に入れられることに抗議して、自死した人です。彼はその日記を「み翼の陰に」と題して克明につづり、死後刊行されました。その日記の中で彼は書きます「妻ハンニと子どもとを強制追放の中でももっとも残忍で身の毛もよだつ収容所へ行かせることが、私には耐えられないのは神もご存知だ。ルターがしたように『わが体も、財産も、名誉も、わが妻子も取らばとりね』(讃美歌538番「神はわが力」)と神に誓うことが私に出来ないのは神もご存知だ。『わが体も、財産も、名誉』も出来る。しかし『わが妻子も取らばとりね』ということはできない」(1942・12.9日記)。死の前日に彼は書きます「午後、保安情報部での交渉、終に私たちは死ぬ。ああこのことも神の御許しでのことだ。私たちは今晩一緒に死につく。私たちの頭上にはこの最後の数時間、私たちのために闘っておられる祝福するキリスト像が立っている。この眼差しの下で、私たちの生は終わるのだ」(1942・12.11日記)。その日遅く、クレッパーと妻、娘の三人はガス自殺をします。遺書の中でクレッパーは書きます「神は私たちの心よりも大いなる方である。この言葉は、私たちの死においても、随伴してくださるはずだ」。
・クレッパーの自死という行為を信仰的にどのように受け止めるのかについては、意見が分かれると思います。彼は先に、「夕べの歌」と題する讚美歌を書きました「あなたは強き御腕をさしのべたまいました。わざわいも私を苦しめることはありません。私の眠りがなお脅かされることがあるとしても、私は見守りのうちに安らかに生きるのです。あなたは私のまぶたに手をさしのべたもう。私は一切の憂いなく眠ります。この夜、私を導きたもう方は、明日もまた導いて下さるのですから」。詩編121編の詩人と同様、彼は自分が神の「見守り」の中にあることを信じていました。そこまで信じているのなら、何故妻子を主の手に委ねて生きなかったのかという批判はありえましょう。しかし、彼の誇りがそれを許さなかった。彼は妻と子を汚れから救うために、命を投げ出したのです。自死が罪であることを彼は承知しています。だからクレッパーは願いました「神は私たちの心よりも大いなる方である」。神はこのクレッパーとその家族を暖かく迎え入れてくださったと信じます。何故なら、私たちの信じる神は「私たちを見守り、私たちの魂を見守ってくださる」方だからです。詩編121編は苦難の中で読まれてこそ、その輝きを増す詩編ではないかと思います。

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