江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2010年3月14日説教(ルカ15:11−32、放蕩息子とその兄)

投稿日:2010年3月14日 更新日:

1.失われた弟

・受難節の今、私たちはイエスの十字架の救いの意味を考えるように導かれています。先週、私たちは「悔い改めなければ滅びる」というイエスの言葉の意味をルカ13章から学びました。今週、与えられたルカ15章も、悔い改めとは何かを示す物語です。ルカ15章11節から始まる物語は「放蕩息子の例え」として、有名です。しかし、物語を読んでいけば、そこに語られているのは、二人の息子と父親の話であることがわかります。放蕩息子の話は前半だけで、後半は弟が帰還したのに喜べない兄の話、そして全体を統一するのは二人を愛する父の物語です。放蕩息子だけに焦点を当てると、物語の真実を見失う危険性があります。そこに留意しながら、この物語を読み始めてみます。
・物語は、「ある人に二人の息子がいた」という言葉で始まります。弟息子は堅苦しい父と兄との生活にうんざりし、家を出て行く決意を固め、父親に財産の分け前を要求します。父は息子が失敗する危険が高いことを見越していましたが、息子の意思を尊重し、財産である土地や家畜を二人の子に分け与えます。弟息子は財産を金に換え、遠い国に旅立ちました。彼はお金を湯水のごとくに浪費し、使い果たしてしまいます。その時、ひどい飢饉が起こり、彼は食べるものにも困るようになり、豚を飼う者となります。豚はユダヤ人にとっては汚れたもの、その世話をする弟息子は落ちるところまで落ちたことを意味します。彼は終には、豚のえさであるいなご豆でさえ食べたいと思うほど飢えに苦しみます。人は落ちるところまで落ちた時、初めて悔い改めます。弟息子は「豚のえさを食べても飢えをしのぎたい」と思った時に、我に返りました「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、私はここで飢え死にしそうだ。ここを発ち、父のところに行こう」(15:17−18)。
・私たちもこのような状況に追い込まれる時があります「自分は何の価値もない。愛されるに値しない。誰も私のことを気にもかけてくれない」。その苦しみだけを見つめる時、苦しみはますます大きくなり、私たちを圧倒し、ある者はそれに負けて死を選びます。しかし、その時「あなたは私の愛する子、私の心に適うもの」(マタイ3:17)という声を聞く者は、その闇から抜け出すことが出来ます。放蕩息子は「父の子」であることを思い起こしました。彼は自分の罪を認め、もう息子と呼ばれる資格は無いと考えました。自分が失われた人間であることを認めたのです。自分の罪に目覚めた彼は、どのような裁きを受けようとも、父の家に帰ることを決意します。
・父親は息子の身を案じ、毎日、息子が帰って来るのではないかと待っていました。ある日、その息子が帰ってくるのが見えます。「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」(15:20)。息子は父親を見ると、謝罪の言葉を口にし始めますが、父親はそれをさえぎって使用人に命じます「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい」。最上の着物を着せる、奴隷としてではなく子として迎えることです。手に指輪をはめる、当時の指輪は印象がついていたので、彼を再び相続人として迎え入れたことを意味します。足に履物を履かせる、奴隷は履物を履きません。父親はこの放蕩息子の帰還を無条件で喜び迎えたのです。父親は祝宴の支度をするように命じます「肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう」。何故ならば「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」(15:24)。

2.失われた兄

・25節から物語は後半に入り、主役は兄息子です。兄は弟が家を出た後も父の元に残り、仕事を手伝っていました。その日も兄は畑で一日働いた後で、家に戻ってくると、家の方から、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきました。何事かと思い、使用人を呼んで事情を聴いたところ、使用人は答えます「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです」(15:27)。これを聞いて兄は怒り、家に入ろうとしなかったとルカは記します。
・父親はその様子を見て、兄の所へ来ました。兄の不満が一挙に爆発します「私は何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、私が友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」。あまりにも不公平だと兄息子は怒っています。兄は、弟が家を出た後も忠実に父に従ってきました。一方、弟は放蕩の限りを尽くして、何もかも失くしてしまいました。その弟が帰ってきたら、子牛をほふって祝われる、私のためには子山羊一匹くれなかったと兄は怒るのです。
・自分は正しいと思っている人間は、罪人が救われることを喜びません。そうでないと、自分は何のために、正しい生活をしてきたのかの意味がなくなるからです。彼は兄だから家に留まりました。ユダヤの法では、長男は次男の2倍の相続権があり、それを捨てて家を出るのはもったいないと思ったからです。もし彼が次男に生まれていれば、彼もまた家を出たかも知れません。兄は「弟は娼婦と一緒に父の財産を食いつぶした」と批判しますが、その批判を通じて、自分はそれを我慢したのだと無意識に告白しています。彼は父親に忠誠を尽くしましたが、それは父を愛するためではなく、見返りとして財産をもらうためだったのです。ここにおいて、この兄もまた「失われた人間」であることが明らかになります。
・しかし、父は弟息子を愛するように、兄息子をも愛しています。だから兄息子に言います「子よ、お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」(15:31-32)。

3.二人を愛する父

・この物語の直接の聞き手は、パリサイ人と律法学者です。イエスが徴税人たちと話をしているところに、パリサイ人や律法学者が来て、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と批判しました(15:2)。ラビであるイエスが、徴税人や罪人という宗教的に穢れているとされていた人々と付き合っていることを、彼らが非難したのです。それに対して、イエスが語られたのがこの「放蕩息子の例え」です。文脈から見て、帰ってきた放蕩息子は徴税人や罪人を指し、その帰還を喜ばない兄息子がパリサイ人や律法学者を指すのでしょう。この物語には結論はありませんが、私たちは歴史を通じて結論を知っています。徴税人や罪人は悔い改めてイエスに従うものとなり、パリサイ人や律法学者はイエスに反発し、これを十字架につけて殺しました。弟は救われ、兄は滅ぼされたのです。その救いと滅びを分けたのは、「悔い改め」という行為です。
・今日の招詞に詩編23:4を選びました。次のような言葉です「死の陰の谷を行くときも、私は災いを恐れない。あなたが私と共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それが私を力づける」。「死の影の谷」、英語では「Through the valley of the shadow of death」です。最近、「死の谷を過ぎて~クワイ河収容所」という本を読みました。原題は「Through the valley of the Kwai」、詩編23編を念頭においた表題です。第二次世界大戦下、インドシナ半島を占領した日本軍は、インド侵入のためビルマへの陸上補給路を必要とし、連合軍捕虜と現地人労務者を使って、死の鉄道といわれた泰緬鉄道を建設します。18ヵ月の突貫工事で400キロの鉄道が敷設されるまでに、1万6千人の捕虜と6万人の労務者の生命が犠牲となりました。クワイ河流域に設けられた収容所の連合軍捕虜の死亡率は30%近くに上りましたが、ドイツとイタリアの収容所における連合軍捕虜犠牲者が4%、ソ連に抑留された日本人捕虜犠牲者さえ10%だったのをみると、クワイ河収容所の捕虜たちが如何に苛酷な扱いを受けたかを想像できます。著者アーネスト・ゴードンは書いています「飢餓、疲労、病気、隣人に対する無関心、私たちは家族から捨てられ、友人から捨てられ、自国の政府から捨てられ、そして今、神すら私たちを捨てて離れていった」(122P)、まさに「死の谷」の収容所生活を著者は送ったのです。
・著者は20代のイギリス人将校でしたが、収容所生活の中で、マラリヤ、ジフテリヤ、熱帯性潰瘍等の病気に次々に罹り、瀕死の著者は「死の家」に運び入れられます。死体置き場の横に設置された病舎の、粗末な竹のベッドに横たわり、人生を呪いながら命が終わる日を待っていた著者のもとに、キリスト者の友人たちが訪れ、食べずにとっておいた食物を食べさせ、膿を出して腐っている足の包帯を替え、体を拭く奉仕をします。彼らの献身的な看護によって、著者は次第に体力を回復し、彼らを動かしている信仰に触れて、無神論者だった彼が聖書を読み始めます。そこで彼が見出したのは「生きて働いておられる神」でした。彼は書きます「神は私たちを捨てていなかった。ここに愛がある。神は私たちと共におられた・・・私はクワイ河の死の収容所の中に神が生きて、自ら働いて奇跡を起こしつつあるのをこの身に感じていた」(176P)。そして彼自身も仲間たちと共に奉仕団を結成して病人の介護を行い、竹やぶの中で聖書を共に読み、広場で主日礼拝を始めます。死にゆく仲間の枕元で聖書を読み、祈り、励まし、その死を看取ります。やがて無気力だった収容所の仲間たちから笑い声が聞こえ、祈祷会が毎晩開かれようになり、収容所に賛美の歌声が聞こえてくるようになります。彼はその時、思います「エルサレムとは、神の国とは結局、ここの収容所のことではないか」(202P)。詩編23編の歌う「たとい、死の谷の陰を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから」という言葉が現実のものになって行ったのです。
・彼は1945年の日本敗戦によって3年半いた収容所から解放され、故国イギリスに戻って神学校に入り、牧師になります。彼は最後に書きます「人間にとって良きおとずれとは、人がその苦悩を神に背負ってもらえるということである。神はキリストを通してそれを背負っておられる・・・ご自分の子どもである私たち人間が最も悲惨な、最も残酷な苦痛の体験をしている時、神は私たちと共におられた。たとえそれが私たちすべての者を破滅させるかに思える苦痛であっても、その苦痛を、いや死そのものすら、分け持って下さっている。神は私たちの死の家の中に入ってこられる。私たちをそこから外へと導きだすために」(383P)。
・ヘンリー・ナウヘンというカトリックの司祭が「放蕩息子の帰郷」という優れた解説書を書いています。彼は言います「もし放蕩息子の物語の意味するものが、人間は罪を犯し、神はそれを赦すというだけなら、私たちはこの物語の本当のメッセージを理解していない。この物語が私たちに問いかけるものは、あなたは相続人であり、この父のようになりなさいということだ」。父もかつては息子でしたが、今はその息子を無条件で赦し、迎え入れる者となりました。他者を無条件で赦し、迎え入れる時、死の谷の収容所で起きたような、奇跡が起こります。ゴードンが描くのはまさに奇跡の出来事です。死んだ者が生き返る経験を彼はしたのですから。放蕩息子も死んでいたのに生き返りました。父の愛に接したからです。しかし同じ父の愛に接してもそれを受け入れなかったパリサイ人たちは滅んでいきます。クワイ河流域にある全ての収容所でゴードンの経験したような命のよみがえりが起こったわけではありません。同じイギリス人の描いた「クワイ河捕虜収容所」(レオ・ローリングス著)の副題は「地獄を見たイギリス兵の記録」です。他方、ゴードンは「神の国とはここの収容所のことではないか」と記述しています。弟息子と兄息子を分けた者、ゴードンとローリングスを分けたものは何でしょうか「悔い改め」です。徹底的に打ちのめされて自分の罪を認めた者は神を見出し、自分は正しいと言い続けた者は滅びました。そして悔い改めた者には「あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れむ深い者となりなさい」(6:36)とのイエスの言葉が響き、豊かな実、悔い改めの果実を結ぶのです。

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