江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年7月13日説教(ヨハネ第一の手紙5:1-21、世に打ち勝つ信仰)

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1.神を愛するとは人を愛すること

・ヨハネの手紙を読んできました。今日が六回目、最終回です。私たちはいつもは教会暦に従って聖書を読みますが、今回は特別に「ヨハネの手紙」を連続して読むことにしました。それは、私たちの伝道所であった舞浜伝道所から多くの人が離脱して新しい教会が形成され、旧の伝道所を閉鎖せざるを得ない状況に陥った理由を、神学的に見極めたいと願ったからです。ヨハネの教会でも同じような出来事が起こりました。何故キリストを信じるバプテスマを受け、共に主の晩餐をいただいていた兄弟姉妹の間で対立が起きるのかを、ヨハネの手紙を学ぶことによって、知りたいと思いました。
・ヨハネの教会では、グノーシスと呼ばれる、異なる信仰を持つ人々が、教会を割って出て行きました。文献によれば、彼らは歴史上のイエスがキリストであることを認めませんでした。彼らは言いました「イエスがバプテスマを受けた時に神の霊が降り、イエスはキリストとなられた」。仮現論と呼ばれる考え方で、彼らはイエスの受肉を否定し、神の霊がバプテスマの時にイエスに宿ったと彼らは考えました。そして彼らはキリストの受難も否定し、「イエスが十字架にかけられた時に、神の霊はイエスから出て行った」と言います。だからヨハネは言います「イエスがメシア(キリスト)であると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します」(5:1)。
・人は自分を生んでくれた親を愛し、同じ親から生まれた故に兄弟姉妹を愛します、これが自然な人間感情です。その関係が教会に集うお互いの間にも成立する。信仰によって新しく生まれた者は、生んでくれた神を愛し、その同じ神から生まれた教会の人々と、兄弟姉妹の関係になる。それをヨハネは次のように説明します「このことから明らかなように、私たちが神を愛し、その掟を守る時はいつも、神の子供たちを愛します」(5:2)。
・ヨハネは続けます「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません」(5:3)。イエスは弟子たちに言われました「あなたがたは、私を愛しているならば、私の掟を守る」(ヨハネ4:15)。その掟とは、「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12)というものです。神を愛する者は兄弟姉妹を愛する、それが神の掟です。その掟を守ることは難しくないのだとヨハネは言います。でも、本当にそうなのでしょうか。ヨハネでさえ、教会を出て行った人々を嫌っていることを、手紙の中で告白しています「彼らは私たちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、私たちの元に留まっていたでしょう。しかし去って行き、誰も私たちの仲間ではないことが明らかになりました」(2:19)。イエスは「敵を愛せ」と言われました。しかし、私たちは自分の悪口を言う人や自分に対して悪を行う人を赦すことは出来ないし、ましてや愛することは出来ません。それなのに何故、ヨハネは「兄弟姉妹と愛し合うことは難しくない」と言うのでしょうか。
・それは敵をも愛する愛(アガペー)は信仰から来るからです。本来の私たちは敵を愛することは出来ませんが、信仰はそれを可能にします。ヨハネは言います「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それは私たちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」(5:4-5)。ヨハネにとって、世(コスモス)とは、神に背き、神に敵対する闇と死の領域です。その闇の支配から救い出されて、光と命の領域に移ることが救いです。ヨハネは、「世から救い出される」ことを、より積極的に「世に打ち勝つ」と表現しています。

2.世に打ち勝つ信仰

・今日の招詞にヨハネ16:33を選びました。次のような言葉です。「これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」。世はイエスを憎み、イエスを裁き、イエスを十字架で殺しました。しかし、神はそのイエスを死からよみがえらせて下さった。世は肉のイエスを殺すことは出来たが、それ以上は何も出来なかった。イエスは復活された。そして今、私たちと共におられる。イエスは世に勝たれたのです。その勝利をイエスは私たちにも与えて下さるのです。
・世に勝つとは具体的にどのようなことなのか、先週ご一緒に読みましたキング牧師の説教から、再び考えてみたいと思います。キングはアトランタの教会の牧師でしたが、黒人差別撤廃運動の指導者として投獄されたり、教会に爆弾が投げ込まれたりしていました。世(白人社会)は黒人を差別し、弾圧し、奴隷にしましたが、黒人たちはキリストによって与えられた信仰に立って、もう自分たちは奴隷ではないと宣言しました。白人は黒人たちを逮捕し、裁き、牢獄に入れましたが、その白人(敵)に対してキングは呼びかけます「「我々に苦難を負わせるあなた方の能力に対し、苦難に耐える我々の能力を対抗させよう。あなた方のしたいことを我々にするがいい。そうすれば我々はあなた方を愛し続けるだろう。我々はあなた方の不正な法律には従わない。我々を刑務所に放り込むがいい。それでも我々はあなた方を愛するだろう。我々の家庭に爆弾を投げ、我々の子供らを脅すがいい、それでも我々はあなた方を愛するだろう。覆面をした暴徒どもを真夜中に我々の家庭に送り込み、我々を打って半殺しにするがよい、それでも我々はなおあなた方を愛するだろう。しかし、我々は耐え忍ぶ能力によってあなた方を摩滅させることを覚えておくがいい。何時の日か我々は自由を勝ち取るだろう。しかし、それは我々自身のためだけではない。我々はその過程であなた方の心と良心に強く訴えて、あなた方を勝ち取るだろう。そうすれば我々の勝利は二重の勝利となろう」(信教出版社「汝の敵を愛せよ」から)。
・キングは「敵を憎め」という世の慣わしから解放されています。彼は世に勝っているのです。そのキングを白人たちは殺しました。1968年に彼は暗殺されましたが、アメリカは1986年に、キングの誕生日1月15日を国民の祝日にしました。キングが白人の凶弾によって倒されてもなお、彼は世に勝ったのです。

3.十字架と復活の信仰に固く立つ

・私たちはイエスを信じる信仰によって世に勝つことが出来ます。イエスから力を与えられたからです。その力は十字架によって贖い取られたのだとヨハネは強調します。「この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです」(5:6a)。水とはバプテスマの水です。ヨハネによるバプテスマを通してイエスは聖霊を与えられ、キリストとしての活動を始められました。そのキリストが十字架で血を流すことを通して、キリストとしての活動を完成されたのだとヨハネは言います。「水だけではなく、水と血とによって来られたのです」。グノーシスの人々は「神の霊はイエスが十字架につけられる直前にイエスを離れ、十字架で苦しんだのはキリストではなく、人間イエスだった」と主張していました。そのためにヨハネは血を強調します。神の御子が血を流されたのだと。ヨハネは言います「霊はこのことを証しする方です。霊は真理だからです。証しするのは三者で、霊と水と血です。この三者は一致しています」(5:6b-8)。
・ヨハネは続けます「神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。その証しとは、神が永遠の命を私たちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません」(5:10-12)。十字架の救いを信じることの出来ない人々は教会を去っていきましたが、彼らは神の招きを受入れずに、神を偽り者にしてしまったとヨハネは言います。
・更にヨハネは言います「死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。・・・死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません」(5:16)。死にいたる罪がある、それは「神が私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになられた」(4:10)ことを受入れないことだとヨハネは言います。ヨハネは敵対者の滅びを願っているのでしょうか。ヨハネもまた人としての制約の中にあります。しかしイエスにつながることこそが命への道であれば、イエスとのつながりを拒絶すれば滅びしかないのは事実です。
・私たちはヨハネの手紙を六回にわたって読んできました。読んでよかったと思います。私たちの信仰の原点は、「御子が私たちのために死んでくださった」、そのことに対する感謝であることを再確認できました。最初に述べましたように、私たちは舞浜伝道所の分離問題で動揺し、どう考えるべきかを知るために、ヨハネの手紙を読み始めました。その結果、私たちの寄るべき場所は、十字架と復活の信仰にしかないことを確認できました。舞浜問題は私たちに混乱をもたらしましたが、それ以上に恵みを与えてくれました。振り返ると、ヨハネの教会で分裂騒ぎがあったために、ヨハネの手紙が書かれました。ここに偉大な摂理があるような気がします。
・創世記にヨセフ物語があります。父ヤコブは弟息子のヨセフを偏愛し、妬んだ兄たちはヨセフをエジプトに奴隷として売り渡します。ヨセフは苦労しながら、やがてエジプトの宰相となり、飢饉のために避難してきた兄たちに再会します。「私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです。・・・神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです」(創世記45:4-7)。彼は続けます「あなたがたは私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」(創世記50:19-20)。神は人の悪を善に変える力をお持ちです。ヨハネの教会を分裂させたものは人の悪ですが、その悪がヨハネの手紙と言う善に変えられました。舞浜伝道所の分裂騒動も、経済的な行き詰まりの中で生じた人的な出来事ですが、その出来事を通して私たちはヨハネの手紙を読むように導かれ、信仰の原点を確認することが出来ました。主の恵みに感謝いたします。

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