江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年3月21日受難日礼拝説教(マルコ15:33-41、きみもそこにいたのか)

投稿日:2008年3月21日 更新日:

1.神の見捨ての中のイエスの死

・イエスは朝の9時に十字架にかけられ(25節)、昼の12時になった時、全地は暗くなり、3時まで続いたといいます(33節)。「全地が暗くなった」、何らかの天変地異があったというよりは、旧約聖書の預言が成就したとマルコは言っています。「その日が来ると、と主なる神は言われる。私は真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする」(アモス8:9)。終わりの日が来た、闇が大地を覆った、マルコはイエスが神の裁きの中に死んでいかれたことをアモス書の引用を通して、私たちに訴えます。
・3時になった時イエスが叫ばれます「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」(34節)。アラム語で「わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのですか」と言う意味です。古来、多くの人がこの言葉に躓いてきました。神の子が「私を捨てられたのですか」と叫んで死なれることがあるだろうか。人々はイエスが詩篇22編の一節を引用されたのではないかと想像しました。詩篇22編は次のような言葉で始まります。「わが神、わが神、何故私を捨てられるのですか」、詩篇22編は神に対する嘆きで始まりますが、やがて神への讃美に変わっていきます。
・イエスは小さい頃から親しんでおられた、詩篇の言葉で自分の思いを言われた。しかし、それは明らかに讃美ではなく、嘆きであり、苦しみの叫びです。イエスは激しい叫びと涙を持って父に訴えられた、イエスは神の見捨ての中で、苦痛の声を上げて死んでいかれた。神から見捨てられながらも、なお神に信頼して、神の名を叫びながら、死んでいかれた。私たちはこの事実に目をつぶってはいけません。この事実をしっかり見ないと十字架の意味が解らなくなります。
・神の子が十字架で死なれたのは何故か。それは神を信じることの出来ない者が十字架を通して神と出会うためです。イエスは地上で数々のしるしを行われました。しかし、人間はしるしを見ても信じない、それどころか祭司長や律法学者たちはイエスのなされた業を嘲笑して言います「他人を救ったが、自分自身を救うことができない」(31節)。人間の考える救いとは困難や苦しみから解放され、自由になることです。しかし、病を癒され、苦しみが取り除かれてもそれは一時的であり、やがて死が全てを終らせます。死で終るようなものは救いでも何でもありません。救いとは死を克服するもの、死を超えるものです。人間は神により創造され、神により命を与えられた。人間が救われるためには命の根源である神に繋がること、それしかない。
・人間はどのような時に神を信じることが出来るのか、それは自己しか愛せない人間が、その最も大切な自分の命を他人に与えるのを見た時です。イエスは十字架上で自分を死刑にした者たちのために祈られ、自分を嘲笑する祭司長たちに反論されず、苦しみに耐えられています。神は人間が、イエスの十字架死の様を見て、神を知る者になって欲しいと願われました。しかし、人間はイエスの十字架を見ても悔改めません。祭司長たちは言います「十字架より降りてみよ、そうしたら信じてやろう」。このような人間には徹底的な死を示すしかない。人間がやがて経験する破滅を示すしかない。神は、「何故私を捨てられたのか」というイエスの叫びを聞かれながらも、その叫びに耳をふさがれました。イエスは大声を出して、息を引き取っていかれました。

2.きみもそこにいたのか

・イエスが死なれた時、「神殿の垂れ幕が上から下まで真二つに裂けた」とマルコは記します(15:38)。神殿の垂れ幕とは、聖所と至聖所を隔てる幕のことです。至聖所は年に一回大祭司が入り、罪の贖いのために動物の犠牲を捧げて祈ります。聖所と至聖所の幕が裂けた、イエスの死によりもう犠牲は不要になった、神と人を隔てる幕は裂かれたとマルコは言っているのです。ヘブライ人への手紙は説明します「キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない・・・この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです」(ヘブル9:11-12)。
・十字架の下には大勢の人々がいました。イエスを十字架につけた祭司長や律法学者、イエスを処刑するために集められたローマ軍の兵士、イエスの十字架に心を引き裂かれている婦人たち、弟子たちも遠くからこの処刑を見守っていたのでしょう。その時、私たちはどこにいたのでしょうか。2000年前に、遠いユダヤの地で、ナザレのイエスと呼ばれる男が処刑された、それは私とは何の関係もない出来事だと考えるならば、私たちは今日、ここにいない。そうです。この物語は私たちの出来事なのです。聖歌400番に「きみもそこにいたのか」という讃美歌があります。黒人霊歌を基にしたものです。このような歌です
「きみもそこにいたのか 主が十字架につくとき、ああ なんだかこころが ふるえる 、きみもそこにいたのか
きみもきいていたのか くぎをうちこむおとを、ああ なんだかこころが ふるえる、きみもきいていたのか
きみもながめていたのか ちしおがながれるのを、ああ なんだかこころが ふるえる、きみもながめていたのか
きみもきがついたのか とつぜん日がかげるのを、ああ なんだかこころが ふるえる きみもきがついたのか 」
・「きみもそこにいたのか」と問われ、私たちが「はい」と答えるとき、イエスの出来事が私たちの出来事になって行きます。チベットで人々が自由を求めてデモ行進をした、そこに中国の軍隊が発砲した、大勢の人が殺され傷ついた。「きみもそこにいたのか」、私たちは何と答えるでしょうか。フィリッピンでは大学を出て医師の資格を得た人々が、アメリカに行き看護士として働きます。フィリッピンで医者になっても月収は5万円、アメリカで看護士になれば月収が40万円になるからです。そのためフリッピンでは医者も看護士も不足し、人々が治療を受けられずに死んでいきます。「きみもそこにいたのか」、この現実は私たちの出来事になるでしょうか。
・日本では子どもの臓器移植は許されていないため、心臓等に先天性疾患を持つ子どもたちがアメリカに行って臓器移植の手術を受けます。そのためには1億円以上の費用がかかりますが、ほとんどは善意の寄付でまかなわれます。同じ時に、南アフリカでは10ドルのエイズ治療薬が買えないために大勢の子どもたちが死んでいます。そこには善意の寄付はなされません。この現実は仕方のないことなのでしょうか、「きみもそこにいたのか」と神は私たちに問われます。
・私たちは反論します「私たちには何の力もありません。現在の生活を守るだけで精一杯なのです。何ができると言うのですか」。イエスは何も言わず、チベットに行って死んだ人を葬られ、フィリッピンに行って治療を受けられないために死んだ人々の墓の前で涙を流し、南アフリカに行かれてエイズで死んだ人々のためにもう一度十字架にかかられます。

3.傍観者からイエスの弟子に

・「きみもそこにいたのか」という讃美歌は、さらに続きます。
「きみも墓にいったのか 主をばほうむるために。ああ なんだかこころが ふるえる、きみも墓にはいったのか
きみもそこにいたのか 主がよみがえられたとき、ああ なんだかこころが ふるえる きみもそこにいたのか」
十字架の出来事は復活の出来事に連続します。十字架はおぞましい、残酷な刑です。しかし、復活の光の下で、十字架は、救いの出来事に変えられていきます。
・イエスの十字架刑の時、弟子たちはそこにいず、ただ婦人たちが立ち会ったとマルコは記しています(40節)。弟子たちは逃げ去っていたのです。彼等はイエスの弟子として捕えられるのが怖かった。同時に、十字架上で無力に死ぬ人間が救い主であると信じることが出来なかった。人は強いもの、優れたものを崇めますが、弱いもの、無力なものはこれを捨てます。弟子たちはイエスを捨てました。パウロが言うように、「十字架の言葉はユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなもの」(1コリント1:23)です。
・しかし、その弟子たちがやがて「十字架で死なれたイエスこそ、私たちの救い主である」と宣教を始めます。何が起こったのかでしょうか。イエスが復活し、その復活のイエスに出会うことにより、弟子たちが変えられていったとしか思えません。イエスの十字架から100年もしないうちに、ローマ帝国の到る所に、イエスを救い主とするキリスト教会が立てられていきました。何故ナザレのイエスの死が、人々の魂を揺さぶったのでしょうか。十字架とそれに続く復活こそが、多くの人々を「信じない者から信じる者に変えていった」(ヨハネ20:27)のです。私たちも十字架に立ち会った。その時は何もしない傍観者として、出来事を眺めているばかりだった。しかし、人生における苦しみの中で、復活のイエスに出会った。だから、今日ここにいる。もう傍観者であることをやめよう。イエスに従う者として生きよう。その時、私たちの人生は意味あるものに変えられていくのです。

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