江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2007年12月2日説教(イザヤ52:1-10、約束の成就)

投稿日:2007年12月2日 更新日:

1.バビロンからの帰還

・今日から私たちは待降節(アドベント)を迎えます。キリストの来臨を待ち望む時です。そのキリストは私たちを罪から救う解放者として来られました。闇の中に住んでいた私たちに光がさした、その光を待ち望む時が待降節です。イスラエルの民は、闇の中に光がさす体験を二度しました。エジプトの奴隷から救い出された出エジプトの体験と、バビロン捕囚から救出された出バビロンです。今日は、イザヤ書52章、バビロン捕囚からの帰国の記事を読んで、クリスマスの意味をご一緒に考えてみたいと思います。
・イザヤ書は66章で構成されていますが、40章からはバビロン捕囚からの解放を歌います。紀元前587年、イスラエルはバビロニヤによって国を滅ぼされ、エルサレムは廃墟となり、主だった住民は捕虜としてバビロンに連行されました。イスラエルの民は、絶望と悲嘆の中でバビロンに行きましたが、50年経ち、バビロンでの生活にも慣れ、子や孫も生まれ、それなりの生活の安定も生まれてきました。そのような時、思いもかけない出来事が起こります。バビロニヤがペルシャとの戦争に敗れ、国が滅んだのです。新しい支配者となったペルシャは、捕囚のイスラエルの人々に、帰国したい者は帰国せよとの布告を出します。一人の預言者が現れ、民に語りました「主は私たちをバビロンから解放して下さった。さあ、故郷に戻ろう」。しかし、民の反応は鈍いものでした。多くの者は「いまさら廃墟となったエルサレムに戻るつもりはない」、「ここでの安定した生活を捨てるつもりはない」と断りました。「故国に帰り、新しい国を興そう」という預言者の言葉に従う者は少数だったのです。
・そのような民に預言者が語った言葉がイザヤ51-52章の言葉です。預言者は語ります「あなたたちが切り出されてきた元の岩、掘り出された岩穴に目を注げ。あなたたちの父アブラハム、あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。私は一人であった彼を呼び、彼を祝福して子孫を増やした」(51:1)。バビロンは私たちの永住の地ではなく、パレスチナこそ神の約束された地、父祖アブラハムとサラの生きた地ではないか。神はアブラハムを祝福し、星の数ほどに子孫を恵まれた。あなたたちはこのアブラハムの祝福を受け継ぐ者なのだ。預言者は語ります「主はシオンを慰め、そのすべての廃虚を慰め、荒れ野をエデンの園とし、荒れ地を主の園とされる。そこには喜びと楽しみ、感謝の歌声が響く」(51:3)。今、エルサレムは廃墟となっているが、主は荒れ果てたエルサレムをエデンの園に変えると約束されている、主の約束を信じて、共に帰ろうと預言者は励まします。
・預言者は続けます「ラハブを切り裂き、竜を貫いたのはあなたではなかったか。海を、大いなる淵の水を、干上がらせ、深い海の底に道を開いて、贖われた人々を通らせたのは、あなたではなかったか。主に贖われた人々は帰って来て喜びの歌をうたいながらシオンに入る」(51:9-11)。何故、現在の生活の安定をそのように大事にするのか。あなたたちは主の業を行うよう、召され、選ばれた民ではないか。天地創造の時、海の怪物ラハブを切り裂き、竜を貫いて、混沌の中から、秩序ある世を作り出されたのは、主ではないか。海を乾かして、エジプトから救い出して下さったのも主ではないか。その主が約束の地に帰れと言われている、さあ、共に帰ろうと預言者は呼びかけます。

2.約束の成就

・預言者の言葉は続きます「奮い立て、奮い立て、力をまとえ、シオンよ。輝く衣をまとえ、聖なる都、エルサレムよ。無割礼の汚れた者が、あなたの中に攻め込むことは再び起こらない。立ち上がって塵を払え、捕らわれのエルサレム。首の縄目を解け、捕らわれの娘シオンよ」(52:1-2)。あなたたちは神の民にふさわしい者となるために試練が与えられた。その試練の時は終わった。だから、「奮い立て、エルサレムよ。立ち上がって塵を払え、立ち上がって帰国の道につけ」。
・バビロン捕囚からの解放というと、私たちは民が喜んで帰国したと思いがちですが、実際は違いました。人々は現在の生活の安定を捨ててまで、廃墟のエルサレムに戻り、新しい生活を始めたいとは思わなかったのです。状況は現在でも同じです。多くの人々が現在の生活に満足し、福音を聞いても、教会に来ようとはしません。自分たちがどんなにもろい基盤の上で生活しているかを知らないからです。働いていた会社が倒産した、健康診断で癌が発見された、夫と離婚した、家族が病気になった、子どもが引きこもった、親が認知症になった。毎日誰かの上に起きている不幸な出来事が私たちの周りに起こると、それだけで私たちの安定した生活は崩れます。誰かに起きている出来事が私たちに起こっても何の不思議は無いのに、私たちは現在の安定が永遠に続くように錯覚しています。私たちは薄い舟板一枚の上に立って、闇の海をさまよっているのです。
・その現実を見つめよと預言者は言います。現実を見つめた時、このバビロンがあなたがたの永住の地ではないことがわかるではないか。この地ではあなたは囚われの民、寄留者に過ぎない。バビロンは滅びた、征服者ペルシャも滅びるであろう。そのような滅ぶべき者、草にも等しい人の子に頼るなと預言者は叫びます。「ただ同然で売られたあなたたちは銀によらずに買い戻される」(52:3)と主は言われる。この購い主に依り頼め。
・預言者は歌います「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる」(52:7)。足は人間の体で最も醜い部分です。長い道を旅した足は、地のほこりにまみれ、豆だらけで、血も吹き出しています。その足が美しいとイザヤは言います。何故ならば、その足は良い知らせを伝えるからです。良い知らせは、人間の足と声によって伝達され、見張りの者はその姿を見て喜びの声を上げます「その声に、あなたの見張りは声をあげ、皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る、主がシオンに帰られるのを」(52:8)。主が共にエルサレムに帰って下さる。主が廃墟のエルサレムを購われ、楽園にして下さる。だから「歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた」(52:9)。さあ、捕囚の民よ、弱りきって死にそうな民よ、帰ろう、エルサレムへ。私たちは主の民、主は私たちを用いてその業を行われる「主は聖なる御腕の力を、国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が、私たちの神の救いを仰ぐ」。

3.良い知らせを伝える者の足は美しい

・今日、私たちは招詞としてローマ10:13-15を選びました。次のような言葉です「主の名を呼び求める者はだれでも救われるのです。ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう『良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか』と書いてあるとおりです」。
・パウロの悲しみは彼の同族イスラエルが主キリストの福音を受け入れないことでした。神はイスラエルの救いのために御子イエスを遣わされたのに、イスラエルはこれを拒否し、十字架で殺しました。そして今でもイエスを救い主として受け入れることを拒否しています。バビロンにいた捕囚の民が、「エルサレムに帰ろう」との呼びかけに対して、現在の生活の安定を望んで帰る事を拒否したのと同じです。しかし、預言者の言葉に励まされて帰国した少数の民により、新しいイスラエルが立てられました。イエスを拒否したユダヤ人もいつかは主に帰る日が来る、その日まで私は福音を伝え続ける。その足はほこりにまみれ、血がにじむかもしれないが、この良い知らせを伝え続けよう。パウロは出バビロンを呼びかけた預言者の身に自分を置き換えて、この言葉を発しているのです。
・イエスは宣教の初めに、故郷ナザレでイザヤ書を読まれました。「主は私に油を注ぎ、主なる神の霊が私をとらえた。私を遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」(イザヤ61:1)。良い知らせを伝えるために私は来たとイエスは宣言されました。そして言われます「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4:21)。神の国は既に来たとのその良い知らせを、私たちは聞いたのです。
・現在の私たちはバビロンに住んでいます。先に述べましたように、多くの人々が現在の生活に満足し、福音を聞いても、受け入れようとはしません。帰国を拒否した捕囚民のように、です。人々は、自分たちがどんなにもろい基盤の上で生活しているかを知らないからです。毎日誰かの上に起きている不幸な出来事が私たちに起こると、それだけで私たちの安定した生活は崩れます。私たちは薄い舟板一枚の上に立って、闇の海をさまよっているのです。その闇を抜け出せ、解放者イエスと共に約束の地に帰れ、本当の平安を見出せと主は言われます。そして主は私たちに約束されます「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(ヨハネ黙示録21:3-4)。私たちは今月、クリスマス礼拝の案内を持って近隣の人を訪問します。断られることもあるでしょう。無駄に終わる訪問もあるかもしれません。足がくたびれます。しかし、その時、主は、「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と言ってくださるのです。この良い知らせを伝えにいく、それが私たちのクリスマスです。

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