1.空の墓が示すもの
・今日から私たちは新しい年度に入る。私たちは本日午後に教会総会を行う。今後一年間、教会は何をするのかを話し合う。その原点になるのは、教会とは何を伝えていく場所なのかという認識である。それを知るために、そもそも教会はどのようにして生まれてきたかを、今日共に思い起こそう。テキストとして、マタイ28章11-15節が与えられた。マタイ28章が伝えるのは、イエスの復活をめぐって、「弟子たちがイエスの遺体を盗み出した」といううわさがあったことだ。復活は信じることが難しい出来事だ。「死んだ者がよみがえる。そんな馬鹿なことがあるわけはない」と当時の人々は考えたし、現代の人々も考えている。そのような信じがたい出来事を教会は福音の中心として伝えていけるのか。そのような宣教で、果たして、人々が教会に集まってくれるだろうか。
・マタイが伝える復活の記事を読んでみよう。イエスは金曜日の午後3時に亡くなられた。死体はあわただしく十字架からとり下ろされ、アリマタヤのヨセフの墓に葬られた。祭司長たちは、墓の入り口に大きな石を置き、墓を封印し、警備の兵を置いた。弟子たちがイエスの遺体を盗み出すかもしれないと懸念したからだ。イエスに従って来た婦人たちは日曜日の早朝、墓に向かった。イエスの体を洗い清め、香料を塗るためだった。しかし、墓に大きな石が置かれ、その石をどのように取り除いたら良いのか、婦人たちには考えはなかった。しかし、墓に着くと、石は既に取り除けてあり、イエスの遺体はそこになかった。
・番兵たちはイエスの遺体が無くなったことを祭司長たちに報告した。祭司長たちは相談して、「弟子たちが夜中にやってきて、死体を盗んだことにせよ」と番兵たちに言い、彼らに多額の金を与えた。兵士たちは言われたとおりにした。そのため、今日に至るまで、ユダヤ人はそう信じているとマタイは記す。現代のユダヤ人もイエスの復活を信じない。聖書の出来事は今日まで続いている。
・しかし、キリストを神の子と受入れる者は、復活を信じる。パウロはコリント教会への手紙の中で言う「キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(〓コリント15:14)。復活を信じるとは「人が殺した者を神が起こされた」ことを信じることだ。復活を信じる時、この世にどのような悪があろうとも、その悪は神が滅ぼされることを信じることが出来るだから悪に負けない。復活を信じる時、キリストの十字架死は罪の購いのための死であったことがわかるから、もう罪に悩む必要はなくなる。復活を信じる時、キリストの降誕は、神の救済行為の始まりであったことを信じることができるから、どのような時にも神の名を呼び求めることが出来る。復活の出来事は、信仰者に生きる勇気を与える出来事だ。しかし、復活はまたつまずきの石でもある。パウロがアテネで宣教したとき、人々は熱心にパウロの言葉を聞いた。しかし、話がキリストの復活に及ぶと「ある者はあざ笑い、ある者はそれについては、いずれまた聞かせてもらうことにしようと言った」(使徒行伝17:32)。人は理性が理解できないものは信じることが出来ない。そして復活は、理性で理解できる事柄ではない。そのような状況下で、私たちは、復活の主を、教会が伝えるべき、最も大事なものとして、宣べ続けることが出来るのだろうか。
2.初代教会の宣教
・今日の招詞に、使徒行伝4:18-20を選んだ。次のような言葉だ「そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。しかし、ペトロとヨハネは答えた。『神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです』」。
・イエスはユダヤの最高法院で死刑の判決を受け、ローマ総督はその判決を追認し、イエスを十字架につけた。ユダヤ当局者はイエスの死によって事件は片付いたと考えたが、しばらくするとイエスの弟子たちが「イエスは十字架で死なれたが、神はこのイエスを復活させられた。私たちはその証人だ」と言って宣教を開始した(使徒行伝2:32)。この宣教は当局者たちを刺激し、彼らは弟子たちの中心であったペテロとヨハネを逮捕し「決してイエスの名によって語ってはいけない」と弟子たちを脅した。しかし、ペテロとヨハネは抗弁した「私たちは、見たこと、聞いたことを話さずにおられない」と。二人の説教の中心は、イエスの復活だった。かってのペテロは、大祭司の邸で、人々から「あなたもイエスの仲間ではないか」と指摘され、「そんな人は知らない」と逃げた男である。もう一人のヨハネも、イエスが王位につかれる時には、自分をその右に座らせて欲しいと願った勝手な男であった。二人ともイエスの十字架刑の時には逃げている。これまでであれば、ユダヤ教の最高権威に呼び出されれば、縮みあがってしまうはずの人びとが、今は祭司長たちに向かって堂々と宣教している。
・彼らをここまで変えたのは復活のイエスとの出会いだった。復活を通して、イエスが神の子であるとの信仰を持った彼らは宣言する「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください」。使徒行伝4:4によれば、二人の説教を聞いて、5千人の人が信じたと言う。復活を示された者たちは、復活の最初の伝達者になり、その宣教は人々を動かした。教会は、弟子たちの復活証言から始まった。彼らは述べた「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使徒行伝4:12)。イエスは生きておられる、私たちはイエスの復活をこの目で見た、これこそ、教会の土台になった信仰であり、教会を形成してきた福音の中核なのだ。私たちが宣べ伝えるものは、この復活のイエスしかない。
3.復活の主を伝える
・今日は教会総会の日であるが、総会のたびに痛みを感じるのは、毎年何名かの方が、現在会員から他行会員になられることだ。他行会員とは1年間、礼拝の出席も献金もなかった人で、かつ他の教会から転籍の申し出がなかった人の事を指す。つまり毎年、教会に来なくなる人が何人か出てくるという事実だ。この結果、当教会の在籍会員は102名であるが、現在会員は24名であり、78名の方は、教会生活から、そしておそらく信仰生活から離れて行かれたことを示す。過去20年間の当教会のバプテスマ者累計が72名であるが、この20年間のバプテスマ者に相当する人たちが教会から離れていったとすれば、私たちはこの20年間何をしてきたのか、どのような教会形成をしてきたのかを問われる数字である。
・しかし、主は生きておられる。それを示す出来事が先日あった。私たちの教会は2月に平田兄の転入会式を行ったが、平田兄の母教会は、福岡県山門郡の教団瀬高教会であったので、1月に当該教会に教会籍の送付を依頼した。その返事が遅れ、そのために転入手続きを先行して行ったが、3月29日に、瀬高教会から次のような手紙が来た「イースターおめでとうございます。平田兄のこと、大変遅くなり恐縮しております。本日(3月27日イースター)、礼拝後に久しぶりに全員集合し、平田兄のことを話し合いました。平田兄のバプテスマは47年も前のため記録は残っていませんが、教員であられた平田先生のご子息ではないか、お二人おられたがどちらだろう等々の推測の中で、平田兄のために祈ったことでした。・・・年々、高齢化と会員減少で、意気消沈しそうなときに、当地で育まれた信仰生活が、御地で実を結ばれていることを聞いて、とても励まされることです」。
・平田兄は1958年に瀬高教会でバプテスマを受けられ、数年後には教会から離れられた。瀬高教会にとっては他行会員になられたわけだ。しかし40年の時を経て、当教会の会員として復活された。神は40年間、平田兄を見守って下さった。そのことを示すためのしるしとして、この手紙が私たちの教会に与えられた。それは、私たちの教会が78名の他行会員の方を持ち、その人たちが教会から離れていったことを歎く必要はない、父なる神はその方たちをもまた信仰に戻して下さる、そのことを信じても良いのだということを教えてくれた。これが復活の信仰ではないかと思う。人間的に見れば、絶望の状況下でも神は働いていて下さることを信じる信仰だ。イエスはルカ15章で失われた羊の例えを話された。百匹の羊がいて、その一匹を見失った時、羊飼いは九十九匹を残して見失った羊を探しに行く。そして探し出した時、天には大きな喜びがある。神はそのような方だとイエスは言われた。平田兄は40年を経て、神が見出して下さった。その時、瀬高教会では大きな喜びがあり、篠崎教会でも大きな喜びがあり、また天でも大きな喜びがあった。主は生きておられる、生きて働いておられる。私たちもその証しを見た。イースターの喜びの時に、このような喜びが与えられたことを共に喜びたい。