江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2005年7月31日説教(使徒言行録20:17-38、あなたたちを神に委ねます)

投稿日:2005年7月31日 更新日:

1.パウロの告別説教

・パウロはピリピ、コリントの教会を立てた後、エペソに行き、そこで3年間滞在して伝道した。エペソでの伝道が一段落した時、パウロは異邦人教会から捧げられた献金を持って、エルサレム教会に戻ることを決意する(使徒19:21)。異邦人教会は伝道方針をめぐって母教会のエルサレム教会と対立しており、和解のためにパウロは異邦人教会からの献金をエルサレムに捧げる計画を進めていた。彼は諸教会に別れを告げるために、ピリピ、テサロニケ、コリントを訪問し、ミレトスから舟でエルサレムに帰る計画を立てた。ミレトスはエペソの近くの港町だ。彼は、ミレトスにエペソ教会の長老たちを呼び、別れの時を持つ。使徒言行録20章は、そのミレトスで為されたパウロの告別説教だ。

・パウロは長老たちを前に、まずエペソにおける3年間の働きを回顧する。彼は言う「涙を流しなら、・・・いろいろな試練と戦いながら、主に仕えて来ました。語るべきことは全て語って来ました」(20:18-20)。エペソの3年間は決して順調な時ではなかった。ユダヤ人の会堂を追われ、アルテミス神殿の信奉者からは迫害を受けた。しかし、神の恵みによって生かされ、福音が伝えられた。「やるべきことはやった、故に今からエルサレムに行きます』とパウロは語る。

・エルサレムでは、投獄と苦難が待っていることを彼は予感している。パウロはかっては熱心なユダヤ教徒であり、キリストの迫害者であった。その彼がキリストと出会い、キリストの宣教者に変えられた。エルサレムのユダヤ教徒たちは、パウロを裏切り者としてその命を狙っている。また、エルサレム教会の指導者たちも、律法に囚われないパウロの異邦人伝道を快く思っていない。彼が異邦人教会からの献金を持参しても、和解できるかどうかわからない。その中に、パウロは帰っていく。彼は死を覚悟している。彼は言う「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」(20:24)。キリストが私のために死んで下さった、そうであれば私はエルサレムで命を召されても良いとパウロは言う。

・パウロの気がかりはエペソに残された信徒たちだ。自分がいなくなった後、この教会はどうなるのだろうか。彼はエペソの長老たちに言う「この教会は御子の血によって神が買い取ってくださった神の教会だ。そして聖霊があなた方をこの群の監督者に任命された。私が去った後で、狼が来て群を荒らすかもしれない」(20:19)。残忍な狼とは偽預言者、偽教師を指すパウロ特有の言葉だ。パウロ不在後、異なる福音を伝える者たちが来て、教会を別の方向に導いていく危険性をパウロは知っていた。教会の長老たちもそれに流され、教会が曲がった方向に行くかもしれない。それでも、パウロは教会が御子の血で贖いとられた事を知る故に、教会の今後を神に委ねる。彼は言う「目を覚ましていなさい。私は神とその恵みの言葉とにあなた方を委ねます」(20:32)。神の言葉に頼って教会を形成していきなさい、仮に教会が間違った方向に行き始めても、神の言葉が共にある限り、あなた方は正しい道に帰る事が出来る。

・この神の言葉への信頼が教会形成の基本である。私のこの教会での3年半を振り返った時、日曜日の宣教と水曜日の祈祷会以外は何も出来なかったような気がする。毎日午前中は聖書を学んだ。一週間学んで与えられたものを、祈祷会と礼拝で皆さんと分かち合った。それだけで、皆さんの家庭訪問や、みなさんからの相談に耳を傾けることも出来なかった。神学校での働きという兼職の故もあったが、最低限の働きしか出来なかったように思う。しかし、最低限であっても、方向性は正しかったと今改めて思う。教会は3年前とは違う。より、神の言葉に耳を傾けるようになった。

2.神の御心に適った悲しみ

・今日の招詞に〓コリント7:10を選んだ。次のような言葉だ「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」。

・これはエペソに滞在中に、パウロがコリント教会に書き送った手紙の一節だ。コリント教会はパウロの開拓伝道によって生まれた。パウロ自身「あなた方を生んだのは私だ」と言っている(〓コリント4:15)。しかし、いつの間にか、コリント教会の人々の気持ちが、パウロから離れて行った。原因の一つは、エレサレム教会からの推薦状を持った人々がコリントに来て、異なる福音を伝え、そのため、教会内に反パウロの動きが出始めたことにある。パウロは自らコリントに赴き、話し合いの場を持ったが、事態は好転せず、逆にパウロは非難・中傷を浴びせられ、傷ついて、エペソに戻る。そのエペソから、パウロは「涙の手紙」と呼ばれる厳しい叱責の手紙を書き、それをテトスに持たせてコリントに派遣した。

・手紙は、コリント教会内で、パウロに対して不義を働き、侮辱を加えた人物に対し、教会からの除名を求めるような激しさを持っていた(〓コリント7:14-16)。パウロは教会員を責めるような手紙を出したことを後悔し、一人苦しむ。しかし、やがてコリントに派遣したテトスが帰り、彼から「手紙を見たコリントの人々が、パウロに謝罪し、過去を悔い改めた」事を知らされ、一転して、喜びに満たされる。その経験から生まれた言葉が、今日の招詞だ。厳しい叱責の手紙がコリントの人々を悲しませたが、その悲しみは人々に悔い改めをもたらし、その悔い改めがパウロへの和解の申し出となった。悲しみには、人に悔い改めを迫る「御心に適った悲しみ」と、死に至る「世の悲しみ」がある。今あなた方が経験した悲しみは「御心に適った悲しみだった」のだとパウロはここで言っている。

3.神の摂理を信じる

・パウロは今からエルサレムに向かう。そのエルサレムでは、投獄と苦難が待っている。それでも彼は聖霊に導かれてエルサレムに向かう。イエスもエレサレムで十字架の死が待っていることを承知されながら、聖霊の導くままにエルサレムに行かれた。そして十字架にかかられて死ぬ。死なれる時、イエスは神に訴えられた「わが神、わが神、何故私を捨てられたのか」。イエスは絶望の内に死なれた。その絶望を通じて、復活が与えられ、十字架死が無駄ではなかったことが示された。パウロもまたエレサレムで危険が待っていることを知りながら、エルサレムに向かう。エルサレムで、パウロはユダヤ教徒に襲われ、投獄される。その獄中からローマ皇帝に上訴したため、裁判を受けるためにローマへ回送される。逮捕・監禁を通して、福音がローマに届けられるようになる。これが神の御業、人間には知ることの出来ない摂理だ。

・私たちは聖霊の加護を祈るが、その聖霊は私たちを世の危険や苦難から救出するのではなく、危険や苦難を通して、神の業を実現させる。悲しみが御心に適ったものになる時とは、私たちが人の思いを捨て、神の思いに従った時だ。パウロは聖霊に促されてエルサレムに行き、エルサレムに行くことを通してローマへの道が開けた。そのローマで2年間の宣教を許され、最後には殉教する。この殉教もまた神の摂理の中にある。

・朝日新聞の夕刊では「臓器移植の8年」というシリーズを行っている。7/28の夕刊では田中理恵さんの記事が出ていた。彼女は27歳の時、心肺停止になり救急病院に搬送された。しかし回復せず、脳死状態になる。家族の一人が、理恵さんはドナーカードを持っていたことを思い出す。家族は相談し、理恵さんの遺言として、病院に臓器提供を申し出る。彼女の体から、心臓、両肺、両腎、二つに分割した肝臓が摘出され、7人の人に臓器が移植された。父親は娘の死から3年後、『七つの宝石箱』と題して、全国の小学校・中学校での講演会活動を始めた。彼は言う『子どもたちに語ることで、娘が人々の心の中で輝き続けることを改めて知った。娘は死ぬことで七つの宝石を世に残した』。娘の死を通して7人の命が生かされていることを父親は感謝している。

・パウロはローマで殉教した。私たちは使徒言行録や手紙を通して、パウロの生き様や信仰を知り、パウロと出会い、その出会いが人生を変える出来事になっていく。今私たちは朝の祈祷会でコリント書を読んでいるが、このコリント書との出会いを神から与えられた贈り物と感じ始めている。コリント書を通じて、今私たちの教会で起きている出来事が2000年前のコリントでも起きたことを知り、パウロがその事態にどのように対処したかを知ることを通して、私たちが何をなすべきかを導かれる。この教会を変える出来事が朝の祈祷会で起きていると個人的に感じている。「神の御心に適った悲しみは悔い改めを通して救いをもたらす」。世には悲しいこと、苦しいことが多い。私たちがその苦しみ、悲しみを、不幸な出来事と捕らえるとき、その悲しみ、苦しみは私たちを滅ぼす。そうではなく、この悲しみ、苦しみを通して、神が私たちを招いておられると受け止めるとき、この悲しみは祝福に変わる。田中理恵さんの死もそのままでは世の苦しみだ。何故27歳で死ななければならないのか。しかし、苦しみが献体と言う行為を通して、祝福になる。

・最後にヘブル書12:11-13をご一緒に読みたい「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい」。

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