江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2005年7月10日説教(ローマ書9:19−29、神の憐れみの計画)

投稿日:2005年7月10日 更新日:

1.同胞の拒絶

・今、私たちは、使徒言行録とパウロの手紙を交互に読みながら、福音がどのようにして、エルサレムから世界に拡がって行ったかを学んでいる。学びを通して気づかされるのは、当時のローマ世界のいたるところにユダヤ人社会が形成され、パウロはまずそのユダヤ人社会に近づき、そこを足場に伝道していったという事実だ。エペソにもピリピにもコリントにも、そしてローマにもユダヤ人社会があった。何故そのようになったのか。それは、母国ユダヤが繰り返し異国の侵略を受け、その結果大量の難民が生じ、その難民が世界に散らされ、各地にユダヤ人社会が形成されていったからだ。ユダヤは繰り返し、異国の侵略を受けた。聖書はそれを民の不信仰に対する神の審きとしてとらえる。神の審きの結果、異国の軍隊がユダヤに侵入し、難民が生まれ、難民が散らされ、国際的なユダヤ人ネットワークが形成され、そのネットワークの故に福音が拡がって行った。このことは信仰の目から見れば、神の審きが福音伝播の基礎になったということだ。神は裁く事を通して恵まれたということだ。

・二つ目に気づくことは、パウロの伝道によって一部のユダヤ人は福音を受け入れたが、大半は信じなかったということだ。そのため、伝道の対象が異邦人となり、異邦人教会が形成されていく。ユダヤ人の拒絶により、福音が異邦人に伝わっていったという歴史だ。ここに神の不思議な計画がある。

・パウロはこの不思議な計画を、神の救いの計画として、ローマ書で述べる。それがローマ9-11章の3章だ。今日、私たちは最初の第9章を通して、それを学ぶ。パウロはローマ教会にあてた手紙の中で、「自分にとって最も悲しい出来事は、同胞イスラエルが神の恵みを拒絶したことだ」と述べる。イスラエルは神の民として選ばれ、キリストも肉によればユダヤ人として生まれられた。そのユダヤ人がキリストを殺したのみならず、今日に至るまでキリストを受け入れない。何故、イスラエルは信じないのか、それは誰の責任なのか、彼らはこのまま滅びるのか。これはユダヤ人パウロにとっては最大の心配事だった。

・イスラエルは熱心に神を求めて来た。イスラエルこそ最初に救われるべき民であった。その民が何故神に捨てられたのか。パウロは言う「神の約束は不変である。イスラエルに対する選びは今日でも有効である。その証拠に少数であれ、イスラエルの中から信じる者が起こされた。ユダヤ人が拒絶し、異邦人が受け入れるようになったのは神の御心による」。そして彼は出エジプト記の言葉を思い起こす。「神は自分が憐れもうと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされる」(9:18)。救いも滅びも、すべては神の経綸の中にある。

・しかし、私たちは、それを聞いておかしいと思う。もし神が自分の好き嫌いだけで、ある者を救い、ある者を滅ぼすとすれば、神は不義であり、不公平である。人の信じる、信じないという判断さえも神の意思だとすれば、人間には全く自由意志がないことになる。そうであれば「ある人が信じないとしても、神はその人を責めることは出来ないのではないか」(9:19)。私たちの疑問をパウロは一喝する「あなたは何者か。あなたは神に口答えをするのか。造られた者が、造った者に対して、何故私をこのように造ったのかと言えるのか」(9:20)。人は全てを知らない、人に出来ることは神の啓示を受け入れることだけだ。その事実を受け入れた時何かが見えてくる。

2.異邦人を通してユダヤ人を救われる神

・神は何故ユダヤ人をかたくなにされたのか。パウロは自分の伝道を考えた時、そこに一筋の道が見えてきた。エルサレムで生まれた教会は同胞への伝道を始めたが、ユダヤ人はこれを受け入れず、教会を迫害した。信徒はエルサレムを追われ、その結果、福音がエルサレムの外へ、異邦世界に伝えられていった。異邦世界においてもユダヤ人の拒絶により、パウロは異邦人伝道に向かった。ユダヤ人の拒絶を通して福音は拡がって行ったのだ。もし母国のユダヤ人が福音を受け入れたら、福音はユダヤ教の一分派、パレスチナだけの教えに終わっていただろう。もし異国のユダヤ人が福音を受け入れたら、福音はユダヤ社会の中に留まっていただろう。そこまで考えた時、パウロは神の経綸がおぼろげに見えてきた。神は、ユダヤ人の不服従を通して、異邦世界に福音が伝えられ、異邦人が救われるようにされたのだ。

・異邦人を救うために、ユダヤ人をかたくなにされたのであれば、今度は異邦人の信仰を通して、ユダヤ人を救われるに違いない。その時、パウロはホセアの予言「私は自分の民でないものを私の民と呼び、愛されなかった者を愛されたと呼ぶ」の意味を知った(9:25-26)。ホセアは妻を娶ったが、彼女は夫を捨て、愛人に走り、二人の子を産んだ。ホセアは姦淫で産まれた最初の子をロ・ルハマ(愛されぬ者)と名づけ、二人目の子をロ・アンマ(わが民でない者)と呼んだ。姦淫で生まれた子を喜ぶ父はいない。その思いが子の名前に反映している。やがてホセアの妻は愛人に捨てられ、奴隷にまで落ちた。ホセアは彼女を買い戻し、再び妻に迎えた。ホセアは自分の家庭に起きた出来事を通して、背き続ける妻をなおも愛される神、自分の子でないものを自分の子として迎えられる神を知った。ホセアの妻はイスラエル、妻の産んだ二人の子は異邦人を指す。ホセアの妻が、夫が姦淫の子を自分の子として受け入れ、裏切った自分さえも買い戻す愛に悔い改めたように、イスラエルも裏切った自分さえも赦される神の愛を見て、悔い改める。神はその時を待っておられる「神は滅ぶべき者を耐え忍ばれている」(9:22)。神はイスラエルを見捨てておられない。パウロはホセアの言葉を通して、この確信を持った。

・その時、ユダヤ人の中でも少数は福音を受け入れたことが思い起こされた。「万軍の主が私たちに子孫を残されなかったら、私たちはソドムのように、ゴモラのように滅び去っただろう」(9:29)と言うイザヤの言葉を通して、パウロは神が残してくれた、この少数のユダヤ人キリスト者から新しいイスラエルが生れていく未来を見た。

3.神は全人類を救われる

・今日の招詞にローマ11:30-32を選んだ。次のような言葉だ「あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです」。

・パウロの同胞ユダヤ人はキリストを殺し、現在に至るまで、キリストを信じない。パウロは神がユダヤ人を捨てられたのかと歎いたが、そうではなかった。神はユダヤ人を不従順にし、その不従順を通して福音を異邦人に伝え、今は異邦人の従順を通して、ユダヤ人を救おうとされている。異邦人の救いが満たされた時、同胞ユダヤ人の救いが始まり、神の国が来る。神は全人類を救うために、今ユダヤ人を不従順の牢獄に閉じ込められた。そしてその牢獄の鍵を開けられるために私を立てられた。パウロはキリストを十字架につけたユダヤ人に対しても希望を失わなかった。だから、ユダヤ人の救いを遠くに見ることが許された。

・ある宣教者は言う「信じよ、信じない者は地獄に落ちる」。それは一面においては正しい。神は義であるから罪人を救うことは出来ない。しかし、神は憐れみであり、人が滅ぶことを望んでおられない。「神は全ての人を不従順の状態に閉じ込められたが、それは、全ての人を憐れむためだった」。神の御心は人が滅ぶことでなく救われることだ。そのために御子を十字架につけられたことを知る時、私たちはもう「信じよ、信じない者は地獄に落ちる」とは言えない。審きさえも神の経綸の中にあることを、ローマ書を通じて知ったからだ。

・パウロはイスラエルの救いを神に祈り続けた。「彼らが救われるのであれば、私は地獄に落ちても良い」とさえ言った。私たちも同じ状況にある。日本でも99%の人はキリストを拒絶する。私の両親や子や兄弟もキリストを信じていない。彼らは滅びるのか、兄弟姉妹が滅びるのであれば、自分だけ天国に行っても何の喜びがあろう。私たちの願いもパウロと同じだ。その時、パウロの言葉が私たちを神の思いに導く「神は全ての人を不従順の状態に閉じ込められたが、それは、全ての人を憐れむためだった」。神は日本人を救うために同胞をかたくなにされた。そしてこの教会に中国人や韓国、フィリッピン、ブラジル、オーストラリア等の異邦人を送られた。異邦人の熱心を通して日本人を救うためである。パウロの壮大な神の計画の解き明かしを見る時、この教会の役割が見えて来た。20人の小さな群の中に、これほどの多様な国籍を持つ教会は他にないだろう。この小さな教会は大きな期待を神から与えられているのだ。

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