江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2005年4月10日説教(マタイ12:38-42、見えない方を信じていく)

投稿日:2005年4月10日 更新日:

1.ヨナのしるしが与えられる

・先週の日曜日、私たちは教会総会を開いたが、大切だと思えた議論が二つあった。一つは、教会に救いを求めて来られる人は多いのに、教会がその期待に応えることができないため、新しい方たちが定着しないと言う議論であった。もう一つは、教会の中に救いを見出され、バプテスマを受けられたのに、その信仰が続かず、教会を去っていく方が多いという指摘であった。いずれの議論も、教会が求める人々の期待に応えることが出来なかったという反省すべき点と、他方教会で与えられる救いとは何なのかを考えるべき点の両面があるように思う。今日はその問題を聖書はどのように言っているのかを、マタイ12章から学ぶ。

・マタイ12:38以降の部分は「人々はしるしを欲しがる」と小題がついている。しるしを求める信仰のあり方が問われている。話はその前の悪霊論争から続いている。悪霊につかれて、目が見えず、口も利けない人がイエスの下に連れられてきた。イエスは悪霊を追い出して、その人をいやされた。ところが、パリサイ派の人々はイエスのいやしを神の力の発現とは見ず、悪霊の力でいやしたと批判した。それに対してイエスは「悪霊が悪霊を追い出すことがあろうか。神の力がここに働いているのだ」と反論された。パリサイ人は納得せず言う「あなたが神から遣わされたメシアならば、そのしるしを見せなさい」。あなたが救い主だと主張するなら、その証拠を見せて欲しい。それが納得できるものだったら信じようと彼らは要求した。イエスはこの要求を拒否される。

・何故ならば、イエスはここに彼らの不信の根本を見られたからだ。しるしとは保証だ。人が保証を要求する時、もう相手を信用しないということだ。その時、救いの主体は人間にあり、神にはない。「信じるに足る根拠を示しなさい。そうすれば信じよう」。それはご利益信仰だ。利益があれば信じる、なければ信じない。そのようなしるしを求める信仰は、本当の信仰ではない。故にイエスは言われた「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを求める」。病に苦しむ人たちの病がいやされ、目の見えない人の目が開けられることをあなた方は見たではないか。何故そこに神の憐れみを見ないのか。何故、それに感動し、神をそのような方として受入れないのか。イエスは言われた「ヨナのしるしの他は与えられないだろう。そしてあなた方はヨナのしるしを見ても信じないだろう」。

・ヨナのしるしとは、預言者ヨナが三日三晩魚の腹の中にいて、そこから救い出された事を指す。人の子=イエスも三日三晩地の底にいた後で救い出される。ヨナの時代の人々はヨナの説教を聞いて悔い改めたが、あなた方はヨナに勝る者の説教と業を見ながら信じない。そしてあなた方はヨナのしるしが与えられても信じないだろうとイエスは預言された。そして事実、その通りになった。イエスが十字架で死なれ、葬られた時、祭司長たちはイエスの墓に番兵を置いて見張った。イエスは復活され、墓は空になった。番兵たちはその事実を大祭司に報告したが、大祭司たちはイエスのよみがえりを頭から信じず、番兵たちに金を渡し「弟子たちが夜中に墓に来て、イエスの遺体を盗んだと言え」と言って、番兵たちを返した。彼らはしるしを受入れなかった。何故なら、そのしるしとは彼らが求めるものとは異なっていたからである。

2.しるしを求める信仰

・しるしを求める信仰とは、救いの保証を求める信仰だ。「納得できたら信じよう」という時、それを判定するのは自分だという主張を含んでいる。ユダヤ人たちは、救われるために、神の命である律法を必死に守った、しなさいと言われたことはしたし、してはいけないと言われたことはしなかった。やるべきことはやっている。だから、救われるのは当然だと考えていた。だからイエスが彼らを偽善者、まむしと言われると彼らは怒った。自分たちこそ正しい、自分たちこそ救いにふさわしいと考えていたからだ。

・私たちの中にも、しるしを求める信仰がある。教会に来て、礼拝し、献金もしているのだから、救いを与えられて当然だ、病気がいやされて当然だとどこかで思っている。ところが病気は治らない、幸いどころか災いが来ると、私たちはつぶやく。「神は本当におられるのか、神は本当に力をお持ちなのか」。教会から離れていく人の中には、教会に来ても何も変わらない、それでは教会に来てもしようがないではないかと失望して去っていく人が多い。神に対してしるし=救いの保証を求め続け、与えられないなら、去って行く。もちろん、教会が十分な対応が出来なかった面もあるが、同時にそのような信仰のあり方が、人々を教会から離れさせた面があるのは事実だ。しるしを求める時、信仰が取引になってしまう。

・これは夫婦関係に置き直してみるとわかりやすい。お互いに相手に期待し、相手がその期待に応えてくれる限りは相手を愛するが、その期待から外れた時、この人は本当に私のパートナーだろうかと思い始める。そして、相手の欠点ばかり見えてくる。しるしを求め始めた時、その関係が愛情関係から利害関係に変わる。E.シュバイツアーは言う。「愛の証明を要求する時、それは愛の終わりを意味するように、このようなしるしの要求は信仰の終わりを意味する」。

・教会を通して与えられるものは「御言葉」だ。神は聖書を通して、あるいは説教を通して、御言葉を語られる。私たちはそれを聞く。例え、その言葉が私たちの願いと異なっていても、聞いて、従っていく。その時、神は喜んで下さる。それが教会で与えられる救いだ。それがわからない時、人は教会から離れていく。

3.地の底で叫ぶ声は聞かれる

・今日の招詞にヨナ書2:7-8を選んだ。次のような言葉だ「わたしは山々の基まで、地の底まで沈み、地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よ、あなたは命を、滅びの穴から引き上げてくださった。息絶えようとするとき、わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き、聖なる神殿に達した」。

・これは預言者ヨナが大魚の腹に飲み込まれた時、その腹の中から神に救いを求めた時の叫びである。ヨナは、アッシリアの都ニネベに行って宣教するように命じられる。アッシリアはユダヤを滅ぼそうとしていた帝国であり、ユダヤ人の宿敵だ。ヨナは敵のために祈ることを拒み、スペインのタルシシに逃れようとする。しかし、神はヨナを追われ、ヨナの乗った船は嵐に遭い、ヨナは海に投げ出される。そして大魚に飲み込まれ、三日三晩腹の中にいた。その大魚の腹の中でヨナは必死に神の助けを求める。もう駄目だ、もう助からないと思えた時に、ヨナの祈りは聞かれ、魚はヨナを吐き出した。そしてヨナは神から聞いた言葉を語り、その言葉はニネベの人びとを動かした。

・イエスは十字架上で必死に祈られた。「わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのか」と絶叫された。しかし、神はその祈りに何も応えられなかった。イエスは絶望の中で死んでいかれた。しかし、イエスの祈りは、天に届いていた。神はその祈りに応えて、イエスを地の底から救い出して下さった。それが復活だ。復活は血の汗を流して祈った故に与えられた。「納得できたら信じます」とか、「しるしを見せてくれたら信じます」といっている限り、救いは来ない。救いはどうしようもない絶望の中で、神の言葉を聞く時に、与えられる。

・こう考えた時、私たちは、教会に来て救いを見いだせないまま、去っていかれた人たちに何をすべきだったかが見えてくる。彼らの祈りが足らなかったから、彼らが目前のしるしのみを求めたから、祈りが聞かれなかった面はあると思う。同時に、私たちがもっと真剣に、彼らのために執り成しの祈りをしていれば、状況は変わった可能性がある。「あなた方の内、二人が地上で心を一つにして求めるなら、私の天の父はそれをかなえて下さる」とイエスは約束されている(マタイ18:19)。私たちが、その人たちの問題を自分の問題として、祈り求めていたら、状況は変わっていた。私たちに与えられているのは救いの保証ではなく、救いの希望だ。イエスが死よりよみがえられ、神は悪を打ち砕かれることを示された。そのヨナのしるしは私たちに希望を与える。例え今置かれている状況がどのように絶望的に見えても、地の底で呼べば神は応えて下さる。その信仰を私たちは伝えることが出来なかったのだ。

・先週の教会総会で、高橋姉妹が、この地区には外国人の方が多いから、その人たちのために教会が何を出来るかを考えようと提案された。この教会の会員の方の国籍は多様だ。中国の方も、ブラジルの方も、フィリッピンの方も、またオーストラリアの人もいる。これまでは、日本語の宣教だけでは十分でない、これら外国人の方の存在を重荷に感じていた面があった。しかし、国籍の多様性を重荷ではなく、恵みと考える時、局面は変わってくる。私たちはいろいろな国の言葉で福音を伝えることが出来る賜物が与えられている。英語礼拝をすることも、ポルトガル語の礼拝をすることも可能なのだ。土曜日午後には、フィリッピンの婦人たちのために英語でバイブルクラスを開いてきたが、語学力の問題でうまく機能して来なかった。もし、私たちに出来ないならば、英語をネイテイブとする説教者を探せば良い。方法はいくらでもある。これまでは出来ることを模索する努力が足らなかったように思う。ヨナのしるしは与えられている。私たちは、絶望を希望に変える力をお持ちの方を信じることが許されている。与えられている賜物を生かす、多くの可能性が私たちの教会に与えられている。

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