江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年9月5日説教(出エジプト記13:17-22、遠回りの道)

投稿日:2004年9月5日 更新日:

1.荒野の中で

・先週ロシアの北オセチア共和国で、チェチェンの武装グループによる学校の占拠事件があった。子供達や父兄1500人が人質となり、犠牲者は200人を超えたという。新聞報道によれば、子供を殺された母親がこう言ったという「神様は何故このようなことを許されるのか、神はどこにおられるのか」。この問いは深刻な問いである。「神は何故このようなことをされるのか」、これまでに多くの人がこのように問いかけてきた。モーセに率いられてエジプトを出た民が繰り返し問いかけたのも、この疑問であった。

・エジプトで奴隷だったイスラエルの民は、モーセに率いられてエジプトを脱出した。男子だけでも数千人、女や子供も加えれば、1万人近い群れがエジプトを出たと言われている。また牛や羊等の家畜も伴っていた(出エジプト記12:37-38)その民を、神は海沿いの道ではなく、遠回りの荒野の道に導かれた。(出エジプト記13:17-18)。

・海沿いの道、聖書でペリシテ街道と言われる道は、地中海に沿って約束の地カナンに至る道で、エジプトとメソポタミアを結ぶ古代オリエントの幹線道路であった。距離は300キロ、歩いて12日の道のりである。商業的また軍事的に重要な街道であるから、要所にはぺリシテの警備隊が配置されていた。そこを、1万人を超える群集が通れば、ペリシテの警備隊や地元住民との戦になると予想されていた。女子供を含めた雑多な共同体が、訓練をつんだ兵士達と戦いながら歩むことは難しい。神は海沿いの道ではなく、葦の海に通じる「荒野の道」に民を導かれた。しかし、この時には民は神の心はわからない。

・この道は、紅海沿いにシナイ山に進み、その後カナンに至る道である。道のりは遠く、岩や石の砂漠が広がり、人もほとんど住まず、野の獣が走り回っていた。人間の敵はいないが、水も食べ物も乏しい厳しい道であった。神は民を励ますために、「見えるしるし」でその臨在を示されたと聖書は記す。「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた」(13:21-22)。このしるしに導かれて民は荒野に乗り出した。

・荒野での民の経験が14章以下に記されている。民が逃亡した後、エジプト王は軍勢を整え、追跡して来た。今、民の目の前には葦の海が立ちふさがり、後方にはエジプトの軍隊が迫る。民は恐怖と混乱に襲われ、神を呪いはじめた。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましですと言ったではありませんか」(14:10-12)。民はエジプトで奴隷としてうめき苦しみ、神の助けを求めた。その求めに応じて、神はモーセを送り、民をエジプトから救い出した。民は感謝し、意気揚々としてエジプトを出た(14:8)。その彼らが、今、目の前に敵が迫ると、「何故私たちをエジプトから救い出したのか、エジプトにいた方が良かった」と叫ぶ。神は何も言わずに彼らを助けられた。

・強い東風が吹き始め、葦の海が二つに分かれ、民は海を渡ることが出来た。しかし、エジプト軍が入った時、東風は止み、海は逆流し、軍勢の上を水が覆い、彼らは全ておぼれて死んだ。この奇跡を見て、民は歌い踊って神を讃美した。それからしばらくして、荒野で食べ物が底をついた。民の不満が再び神に向かった。「我々はエジプトの国で、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、・・・飢え死にさせようとしている」(出エジプト記16:2-3)。神は彼らのために、マナと呼ばれる食物を用意された。

・民が約束の地であるカナンに導き入れられたのは、結局40年後であった。12日で到達できる道のりを、彼らは40年間もかけて歩かされた。

2.共にいます神

・今日の招詞に申命記8:2-4を選んだ。次のような言葉だ「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。」

・ユンゲル・モルトマンというドイツ人の神学者がいる。彼は第二次大戦の末期に故郷ハンブルクでアメリカ軍の空爆を受け、奇跡的に助かった経験をしている。ある著書の中で彼は言う「私は1943年7月、故郷のハンブルクにいた。アメリカ軍は無数の爆弾を落とし、町中が炎に包まれ、8万人の人が死んだ。私は奇跡によって生き残ったが、何故仲間のように死ななかったのか、今でもわからない。あの地獄の中での私の問いは、どうして神はこのようなことを許すのかではなく、わが神あなたはどこにいますか、神よどこにいますかであった。・・・神は私たちから遠く、不在で天にいますのか、あるいは苦しむ者たちと共に苦しむお方なのか。神は私たちの苦しみに関心をもたれるのか」(J.モルトマン「今日、キリストは私たちにとって何者か」)。

3.遠回りの道

・イスラエルの人々は思ったであろう。約束の地まで歩いて12日の道のりなのに、自分達は何故40年間も荒野に閉じ込められたのか。最初にエジプトを出た仲間の多くは荒野で死んでしまった。これが救いなのか、神は私たちを愛しておられるのか。しかし40年間を振り返った時、彼らは神に感謝した。「この四十年の間、まとう着物は古びず、足がはれることもなかった」ではないか。神は荒野に共にいてくださったのだ。

・エジプトを出たばかりの民は、恵みが与えられれば、歌い踊って讃美もするが、困難が来れば、神を呪う存在だった。あてにならない神の約束よりも、パンを呉れるならエジプトの奴隷の方が良いと言った存在だった。彼らはまだ約束の地に入る要件を備えていなかった。彼らは烏合の衆であり、秩序も統制も無かった。だから神は彼らを荒野に導かれた。荒野で民は十戒を与えられ、その戒めに生きる民にされるために、多くの試練が与えられた。その試練を経て、彼らは「人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出るすべての言葉によって生きる」と告白出来るまでになった。これはパンが無くて飢え、神に求め、神から養われた者でなければ、告白できない真理だ。イスラエルは40年間を振り返って、この40年を自分たちの神の、自分たちに対する救いの行為と受け止めた。その時、荒野の40年が祝福になり、彼らは感謝した。

・神は困難を私たちへの訓練として与えられる。ヘブル書は言う「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」(ヘブル書12:5-7)。そして神はその人が耐えうる試練を与えられる。パウロは言う「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。・・・あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(〓コリント10:13)。信仰の目で見るとき、遠回りの道こそ、祝福の道なのだ。だから、今非常な困難の中にある人は喜べばよい「神はこの困難を私に下さったほどに、私を強くして下さった」と。

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