江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2003年7月6日説教(使徒行伝8:1-5、26-38、人間の思いを超えて福音は広がる)

投稿日:2003年7月6日 更新日:

1.迫害を通して福音が広がる。

・ペンテコステの日に弟子たちは聖霊を受け、イエスは復活されたと宣べ伝え始めた。これはイエスを十字架で殺したユダヤ教当局者には我慢が出来ないことだった。そのため、ペテロは二度にわたって捕らえられたが、民衆の支持があったため、当局者もペテロには手出しが出来なかった。しかし、弟子の一人であるステパノが「神は人の造った神殿には住まわれない」と神殿批判を行い、我慢の尾が切れた指導者たちは民衆を扇動してステパノをリンチにかけて殺し、それを契機にエルサレム教会に対する大迫害が始まったと使徒行伝は記す(8:1)。
・教会の人々はエルサレムを追われてユダヤとサマリアの地方に散っていった。ところがこの迫害が契機になって、福音がエルサレムからユダヤ全土に広がる。散っていった人々が、その散らされた先で福音を宣べ伝え始めたからである(8:4)。勢いづいて暴れまわる迫害者を前に、教会は為すすべもなく散らされていく。教会は無力で弱く、迫害者に対抗できない。しかし、この無力な教会を用いて神はその御心を為される。イエスは弟子たちに言われた「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒行伝1:8)。一体誰が迫害を通して福音がエルサレムからユダヤ各地に広がると予想できたであろうか。神の業は人間の思いや計画を超えて為される。
・アメリカのプリンストン神学校は伝統のある神学校だ。その神学校の食堂に三つの肖像があり、次のように書かれているそうだ。ウオルター・ロリー=1847年中国にて海賊に殺される。ジョン・ピール=1905年中国にて妻と共に群集に殺害される。ジェームズ・リード=アラバマ州セルバにて撲殺される。イエスに従う者たちはイエスが殺されたように殺されていく。何故か、「世界を支配しているのは地上の国家ではなく神である」という信仰は、「世界を支配しているのは私たちだ」と考える支配者と衝突するからだ。エルサレム教会は、ユダヤ当局者の権威を認めなかったために、ある者は殺され、他の者は散らされていった。しかし、この迫害を通して福音は広がっていく。プリンストン神学校の誇りは三人もの殉教者を出すことが出来たことだ。エルサレム教会も散らされて良い働きが出来た。

2.人の思いを超える神の業

・エルサレムを追われた弟子たちの中にピリポがいた。彼はサマリアの町に下り、そこで人々にキリストを宣べ伝えた(使徒行伝8:5)。その彼に「立って南に向かい、エルサレムからガザに下る道を行け」との神の召しがあった(8:26)。26節後半は新共同訳では「そこは寂しい道である」とされているが、原文では「そこは荒野であった」とある。当時、ガザの町は海沿いに新しい町が立てられ、古い町は廃墟になっていた。ピリポが命じられたのはその寂しい道、荒野の中の道、誰も通りそうもない道に行けという命令であり、ピリポは何も言わずに出かけた。
・前に東京神学大学で学んでいた時に、愛知県の半田教会・横山牧師の説教を聞いたことがある。彼は東神大を卒業する時、学校側から半田教会への赴任を紹介され、反発したそうだ。何故、半田教会なのか、半田市という町がどこにあるのかも知らないし、名前も聞いたこともない。自分は都会の大きな教会で副牧師として研鑽を積み、その後に相応な教会に赴任する予定でいた。その自分が何故、田舎の名も知らない教会の牧師として赴任しなければならないのか。半田市のような小さい町に赴任してどれだけの伝道成果があると言うのか。その時示された言葉が使徒行伝8:26だった。「ガザに下る道へ行け。そこは荒野の寂しいところであるが、私の民がそこにいる」。横山牧師はこの言葉に励まされて半田教会に赴任した。半田市は人口10万人の地方都市であるが、10年後の今、教会員は100名を超え、新しい伝道所も近くに出した。まさに、その所に牧師を必要とする神の民がいたのだ。
・ピリポも荒野の道で彼を必要とする人に出会った。エチオピアの女王の高官で、女王の財政顧問をしていたエチオピア人の宦官がそこを馬車で通りかかった。エルサレム神殿に巡礼のために来て、故国に戻るところだったとある。当時、デアスポラと呼ばれる離散ユダヤ人がローマ帝国の各地に住み、礼拝を行っていた。旧約聖書も公用語であるギリシャ語に翻訳され、多くの異邦人がユダヤ教に改宗していた。このエチオピア人も改宗したユダヤ教徒で、巡礼のためエルサレムに来て帰るところだった。彼は馬車の中でイザヤ書を読んでいたが、異邦人の彼には理解が難しかった。ピリポはそのエチオピア人に声をかけた「読んでいることがお分かりになりますか」。エチオピア人は答えた「手引きしてくれる人がいなければ、どうして分かりましょう」。ピリポは一緒に馬車に乗り、彼が読んでいた聖書を手にとって読んだ。次のような句だった「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。 卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」。これはイザヤ書53:7−8の引用であるが、私たちの読んでいる旧約聖書とは若干異なる。私たちの聖書はヘブル語聖書と言われるが、当時普及していたのはギリシャ語聖書(70人訳聖書、セプタギンタ)であり、その違いがある。エチオピア人はこれが誰について言われているのかを理解できなかった。ピリポは答えた。「イエスが神の子としてこの世に来られ、私たちのために十字架で死なれた。そのことを通して、私たちの罪が購われた。私たちはイエスが十字架で死なれた時、これで私たちの望みは絶えたと思った。しかし、神はこのイエスを死からよみがえらせ、そのことを通じてイエスこそキリストであることを明らかにされた。私たちは復活されたキリストに出会った。あなたも悔い改めてバプテスマを受けよ。そうすれば罪の許しが与えられる」。このピリポの熱心にエチオピア人はうなずき言った「ここに川があります。私にバプテスマを授けて下さい」。彼はピリポからバプテスマを受けた。
・ここに初めて、ユダヤ人以外の異邦人がクリスチャンになった。伝承によればこのエチオピア人は国に帰って人々に伝道し、多くの改宗者を得たと言う(エイレナイオス/異端反論)。今日、アフリカの多くの国はイスラム教であるが、エチオピアだけは古くからキリスト教国だった。この宦官の改宗が影響しているのかも知れない。「ガザに下る道に行きなさい」という召命を受けてピリポは従った。人間的に見れば荒野では何の収穫も期待できないだろう。しかし、神はこのエチオピア人に福音を伝えるためにピリポを召し、荒野に使わした。まさに神の思いは人の思いを超える。

3.神の業に頼って教会を立てよう

・今日の招詞にイザヤ書55:8−9を選んだ。次のような句だ。
「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、わたしの道はあなたたちの道を、わたしの思いはあなたたちの思いを高く超えている。」
・今、教会では、夜の祈祷会で出エジプト記を毎週1章ずつ読んでいる。出エジプト記によればエジプトを解放された民が導かれたのは約束の地ではなく、荒野だった。荒野は水もなく食べ物も乏しい。だから人々は文句を言う「エジプトにいればよかった。エジプトでは肉や野菜を腹一杯食べることが出来たのに」。その彼らにマナが与えられ、そのマナで民は養われた。民が約束の地カナンに入ったのは40年後である。無秩序の民が神の民として訓練されるためには40年が必要だった。
・先週、教会では横浜戸塚教会の水口兄の証しを聞いた。大病をして一旦死んだ水口兄がいやされて改心し、夫人と二人だけの家庭集会を始め、それが発展して20年後の今日では100名を越える群れに育った。私たちの教会は34年前に新小岩教会から株分けされた20人の群れで始まったが、34年たってもまだ20人の群れだ。私たちはまだ荒野にいる。あれも足らないしこれも足らない。「何故私たちの教会に祝福をくれないのですか」と私たちはつぶやいている。おそらく、私たちはまだ、神の民として整えられていないのだ。だから、試練が続く。しかし、この先には約束の地がある。ここを乗り切れば約束の地は近い。エルサレム教会に対する迫害が、福音がエルサレムを越えて広がる契機になった。誰もいないと思われた寂しい道でピリポは一人の改宗者を得て、そのことによってエチオピアにまで福音が広がっていった。神の業は人の思いを超えている。その不思議を為される神の業に頼って、この教会を形成して行く。

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