1.教会の始まり
・十字架につけられたイエスは、3日目によみがえり、その後40日間弟子たちと一緒にいて、彼らを教えられた。そして、最後に「エルサレムを離れず、父の約束されたものを待ちなさい」と言って、昇天された。これが聖書の伝えるイエスの昇天である(使徒行伝1:3−4)。私たちは4月20日にイースターを祝った。それから40日後、5月29日(木)が昇天日であり、今日はその昇天記念の礼拝である。イエスが昇天された後、残された弟子たちは、何事かが起こることを待ち、言葉を聴こうと耳を澄ました。もし何事も起こらず、また何も語られなかったら、この群れは消滅したであろう。しかし、この群れは消滅しなかった。このとき、群れの中心になったのは11人の弟子たちだった。この11人がやがて世界で30億人の会員を持つ教会に成長していった。何事かが起こったのだ。
・これからしばらく使徒行伝をご一緒に学んでいきたい。これは2000年前に始まった神の教会の物語だ。この物語を私たちは篠崎キリスト教会の物語として聞く。11人で始まった群れがどのようにして教会となり、福音を述べ続ける共同体に成長していったのか、その物語を聞いていく。何故ならば、ここで起こった出来事は私たちの教会の上にも起こると思うからだ。この物語を読むとき、私たちは出来事の背後に物語に一貫性と意味を与える活動主体のあることに気づく。この物語は初代教会の人々の働きを描く。人々が働く、しかし、その背後で人々を導くのは神である。
・神がこの教会の形成者であり、行為者である。教会の形成は紆余曲折を経てなされた。最初の教会、エルサレム教会は決して一枚岩ではなかった。当初はペテロが教会の指導者となるが、やがてイエスの兄弟ヤコブが教会指導者となる。後にはパウロが異邦人伝道者として現れてくるが、パウロとヤコブの間には激しい対立が起こり、教会は何度も分裂の危機を迎える。しかし、その対立を乗り越えて福音は伝えられていった。また、イエスは「神の国はすぐ来る」と言われた。初代教会の人々は自分の持ち物を売り払い、共同生活をして神の国の到来を待った。しかし、神の国は到来せず、人々の間に失望が広がった。しかし、その失望を乗り越えて福音は広がっていった。何故なら、教会を形成されるのは神であり、神の業はどのような状況下でも進行していくからだ。
・サウロが教会を迫害したとき、キリストは「何故私を迫害するのか」とサウロに呼びかけられた(使徒行伝9:4)。教会はこの世において、キリストが選ばれた形なのであり、キリストの体なのだ。だから私たちは教会に集まり、教会でキリストと出会い、力を与えられて教会を出て行くのだ。この教会を通して神の業がなされると信じるから、私たちは教会に集まるのだ。今、私たちには篠崎キリスト教会を再建する業が神から与えられている。どのようにして教会を形成していくのか、それを聖書に聞いていく。
2.聖霊を受ける
・イエスが復活されて弟子たちの前に現れたとき、弟子たちは聞いた「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」(使徒行伝1:6)。私たちも聞く「主よ、この篠崎キリスト教会を立て直してくださるのはいつですか、もっと時間がかかるのですか」。イエスはそれに対して答えられた「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒行伝1:7-8)。イエスはここで言われている「いつ、教会が再建されるかは父が最善の時をお決めになる。その時は必ず来る。だから、あなたたちは待ちなさい。待つあなた方に父は聖霊を下さるだろう、聖霊はあなたがたに力を与える。その力をいただいて、福音を全世界に述べ伝えなさい」と。
・弟子たちは神の国が来ることを待ち望んでいる。しかし、それがいつ来るかわからないので、望みながら疑っている。私たちもそうだ。「このままでいいのか」という疑いを持ちながら宣教を続けている。だから宣教の言葉に力がない。心が燃えていない。弟子たちはイエスが昇天されたとき、イエスが去っていかれた天を見上げ続けていた(1:10)。その彼らに天使は言った「なぜ天を見上げて立っているのか。」(1:11)。あなた方にはやるべきことがあるのではないか。ただ、待つのではなく、果たすべき仕事があるのではないかと天使は弟子たちを励ました。
・その励ましを受けて、弟子たちは祈るために集まった。私たちの理解では、教会を形成するとはまず伝道することだ。チラシをまき、訪問活動をして新しい人を獲得することだ。しかし、弟子たちがまず行ったのは祈るために集まることであった。最初の教会に必要とされていたのは、急がしく活動することや人間の精力的な努力以上のものであった。何故ならば、教会を形成するのは私たちの力以上のもの、神の力だからである。だから、彼らは神の力を待ち望んで祈った。この祈りが聖霊降臨の出来事を招来せしめ、教会成立の源泉となった。
3.ペンテコステに起こった出来事は再び起こる
・今日の招詞に使徒行伝2:37-38を選んだ。
「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』」
・弟子たちは聖霊を求めて祈った。祈って待った。そして、聖霊が与えられた。聖霊降臨の日、弟子たちは神の霊を受け、家を出て外に行き、福音を語り始めた。その宣教は力に満ち、聞いていた人たちは言葉に打たれた。その日に悔い改めて、バプテスマを受けた人が3000人になったと使徒行伝は記す(2:41)。11人の群れが神の霊を受けると3000人の群れになった。このような出来事が、私たちの教会の上にも起こるのだろうか。起こると思う。もし、私たちがそれを信じるならば。
・今、篠崎キリスト教会にとってもっとも大事な事は、聖霊を求めて祈ることだ。聖霊を受けることによって私たちは力を受け、能力以上の働きが可能になる。聖霊を受けるためには祈るとは、共に、公同の祈りをするということだ。私たちの教会では水曜日に二回、日曜日の礼拝前に一回の祈り会を持っている。この公同の祈祷会を大事にしてほしい。これまで、祈祷会は聖書の学びが中心であったが、今後は祈りを中心にしたいと思う。祈祷会が日曜日の礼拝を支え、教会を形成することを教えられた。
・教会の形成はキリストの昇天から始まった。キリストが昇天されたと言うことは、単に天に昇られたと言う意味ではなく、神の右の座に座られたと言うことだ。そしてキリストが世を支配しておられるということだ。先に見たように、初代教会にはいろいろの争いがあり、失望があった。先が見えないという不安もあった。しかし、それらを乗り越えて福音が伝えられていったのは、キリストが神の右に座し、教会を導いてくれるとの信仰があったからだ。私たちも、この教会はキリストの命によって立てられ、キリストによって導かれていることを信じるならば、この教会は復活し、会堂は主を讃美する人の群れで満たされるだろう。逆に私たちが、この教会の主がキリストであることを信じきることが出来なければ、この教会はやがて消滅するだろう。この教会を生かすも殺すも、現在この教会に集められている私たちの信仰にかかっている。私たちの教会はこれまでに何度も分裂してきた。そして分裂するたびに弱くなってきた。それは教会の主がキリストであることを信じきれず、人を見たからだ。この失敗を私たちは二度と繰り返さない。だから、このたびの教会の再建は人に聞くのではなく、聖書に聞いていく。そして聖書が教えることはまず、「聖霊を待て、そのために祈れ」と言うことである。教会復興の第一歩として祈ること、教会に集まり、ともに祈ること、祈祷会を大事にすること、それから始めたい。