1.クリスマス後の出来事
・私たちは12月21日にクリスマス礼拝を、24日にイブ礼拝を行った。日本人の感覚ではクリスマスは12月25日に終わり、その後は新年を祝い、そして4月のイースターに備える。しかし、教会暦ではクリスマスは1年の始まりであり、クリスマス以降の9週間を降誕節として祝う。教会暦に従って、私たちは聖書を読んでいこう。今日はマタイ福音書2章を通して、クリスマスの後の、イエス生誕後の出来事を見てみたい。
・イエスが生まれられたのは紀元前6年頃と言われている。お生まれになった場所はユダヤのベツレヘムであり、その時のユダヤはヘロデが王であったとマタイは書く(マタイ2:1)。イエスがベツレヘムでお生まれになったことをマタイは重視する。何故なら、ベツレヘムはダビデの町であり、ダビデの子孫からメシアは生まれると預言されていたからだ(イザヤ11:1-2)。イエスはメシアとして、王として生まれられたとマタイは強調している。しかし、そこには既にヘロデと言う王がおり、彼が「自分こそユダヤの王である」と譲らなかったため、イエスの生誕を契機に争いが起きたことを聖書は記す。
・ヘロデが新しい王の出現を知ったのは、三人の占星術師たちが訪ねて来た時であった。「そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです』」(マタイ2:1-2)。占星術とは今日で言えば天文学であり、当時の人々は天上の星の動きの中に地上の人間界の将来を読み取ろうとしていた。占星術は広く信じられており、遠国の占星術師たちが不思議な星に新しい王の誕生を見て、数千キロを旅してエルサレムまで来たことはヘロデに大きな衝撃を与えた。「ユダヤに新しい王が生まれた」、ヘロデは「これを聞いて・・・不安を抱いた」(2:3)。一つの国に二人の王は要らないからだ。ヘロデは元々ユダヤの正統な王家の血筋ではなく、イドマヤ出身の異邦人であった。そして、ローマの武力でユダヤ王朝(ハスモン朝)を倒して王になった。従って、彼の権力基盤はもろいものであった。また彼は残虐であり、国民には愛されていなかった。そのため、ヘロデは「新しい王の出現を聞いて、不安を抱いた」。
・ヘロデは祭司や律法学者を集めて、メシアは何処に生まれるかを問いただした。部下達は直ちに答えた「ユダヤのベツレヘムです。預言書に記されています」(2:5-6)。ヘロデは占星術師たちを呼んで、星の現れた時期を確認し、見つかったら教えるように命じて、彼らをベツレヘムに送り出した。新しい王を殺そうと思っていたからだ。占星術師たちは星に導かれてベツレヘムに行き、そこに幼子とマリヤを見出し、礼拝した。
2.幼児の虐殺が起きた
・占星術師たちは「ヘロデの所に帰るな」という夢のお告げを受け、エルサレムを避けて帰って行った。また、イエスの父ヨセフも夢で主の使いが現れ「ヘロデが幼子の命を狙っているから、今夜にもエジプトへ逃げよ」とのお告げがあったので、マリヤと子を連れてエジプトに逃れた。こうしてイエスの生命は神の守りの中にあって助けられた。その代わり、ベツレヘムの幼児たちが犠牲になった。
・ヘロデは占星術師たちが帰っていったことを知ると大いに怒り、兵を出してベツレヘムの2歳以下の男の子を全て殺した。当時のベツレヘムの人口は500人くらいだったと言われており、恐らくは10人以上の幼児たちが殺された。町には子供を殺された母親達の嘆く声がこだましたと言う。この幼児虐殺の出来事は歴史書には記されていないが、事実だったと言われている。ヘロデは自分の王位を狙うものとして、ハスモン家出身の妻を殺し、その妻から生まれた子供達を皆処刑している。また、ある村がヘロデに反逆した時、その村を攻め、住民2000人をことごとく焼き殺したと記されている。自分の王位を守るために10人の幼児を殺すことは、ヘロデにとって何でもない出来事だった。イエスの生命を守るために子供達が犠牲になった。私たちは神が何故それを許されたのか、知らない。ただ、イエスの誕生という喜ばしい出来事の裏に、幼児達が殺されたという痛ましい出来事があったことを忘れてはいけない。教会では12月28日を幼児殉教者の日として覚える。戦争と殺戮の悲しみの中に、幼子イエスは生まれられたのである。
3.悲しみの向こうに
・今日の招詞としてエレミヤ書31:15―17を選んだ。次のような言葉だ。「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる。苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む。息子たちはもういないのだから。主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。」
・前半の15節は、ヘロデによって子供達を殺されたベツレヘムの母親達の嘆く声を、マタイが預言の成就としてエレミヤ書から引用した言葉だ(マタイ2:18)。「子供達が殺された、もう何の希望もない」とベツレヘムの母親達は泣いた。ラケルも同じ悲しみを経験している。彼女はヤコブの妻であり、このヤコブ=イスラエルの子供達がイスラエル12部族を構成する。イスラエル民族はダビデ・ソロモンの時代には栄えたが、やがて北のイスラエルと南のユダの二つに分かれた。紀元前722年、北のイスラエル王国はアッシリヤに占領され、大人も子供も遠い国に捕虜として連れて行かれた。その時、民族の母であったラケルが、子供達がいなくなったことを嘆いたと伝えられる言葉がこのエレミヤ書31章だ。イスラエルはその後、紀元前587年にも同じ悲劇を経験する。今度は南のユダ王国がバビロンに占領され、捕囚として連れて行かれる人々がこのラマ(後のベツレヘム)で集められ、ここから異国に連れて行かれた。従って、ヘロデによる子供達の虐殺はベツレヘムが経験する初めての涙ではない。
・この涙を現在のベツレヘムも流している。現在のベツレヘムはパレスチナ自治政府の管理下にあるが、イスラエル政府は相次ぐ自爆テロを防ぐため、ベツレヘムを含む自治区に巨大な分離壁を建設し、地域を大きなゲットーとして囲い始めている。人々は家の前にコンクリートと鉄条網の巨大な壁を作られ、自由に外出することもできない。過激派の爆弾テロがあれば、イスラエルの戦車やヘリコプターが攻め込み、報復としてミサイルを撃ち込む。今日でも、ベツレヘムの子供達は毎日のように殺されている。このベツレヘムにイエスは生まれられ、そこには聖誕教会があるが、戦争のために訪れる人もいない。クリスマスは新しい王が生まれられた喜びの時であるが、同時に古い王が譲らないために悲劇が起きた悲しみの時でもある。
・ヘロデがベツレヘムの子供を虐殺した事実は歴史書にも載らない。書くに値しない日常的出来事だからだ。それにもかかわらず、私たちは希望を失くさない。悲しみの向こうに解放があることを知っているからだ。エレミヤはラケルの嘆きを記した後で、神の言葉を続ける「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある。息子たちは自分の国に帰って来る。」(エレミヤ書31:16-17)。マタイはベツレヘムの悲しみを終わらせるために、イエスが来られたことを言いたくてエレミヤ31章を引用したのだ。
・何故、ベツレヘムの悲劇があるのか。それは人が自分の王権を守ろうとするからだ。自分が王であろうとすればいつ他人によって権力が奪われるかを心配し、恐れや不安ばかりが募っていく。ちょうどヘロデが、自分の妻や子供でさえも次々に殺していったようにである。このような悲劇を失くすためには、私たちは自分が王ではなく、本当の王は他におられることを認め、その方の前にひれ伏すことだ。王位を正統な方に、すなわち神に引き渡した時に平安は訪れるのだ。私たちが自分を主張する時、他者は競争相手になり、敵になる。自分を王にすることをやめ、神の王権に従う時、他者は同じ王権の下にある友となり、兄弟姉妹となる。人は言うかも知れない「キリストが来られても何も変わらないではないか。ベツレヘムは涙を流し続けているではないか」。私たちは答える「違う、私たちがいる。自分の王権を戻しますと告白した私たちが。御国を来たらせたまえという祈りを私たちが生きる時、御国は来るのだ。私たちはこの教会を御国にするのだ」。