江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2003年11月23日説教(ヨハネ18:33―40、私たちのために死なれる王)

投稿日:2003年11月23日 更新日:

1.ピラトとイエス

・イエスは捕らえられた後、大祭司の屋敷に連れて行かれた。大祭司はイエスを死刑にしようとしたが、彼には最終的な裁判権はなかった。当時のユダヤはローマの植民地であり、裁判権はローマ総督が持っていたからである。そのため、人々はイエスをローマ総督ピラトの所に連れて行った。ピラトはイエスをめぐる問題がユダヤ人の宗教問題であること、すなわちイエスが「自分はメシアである」と主張したことにあることを知っていた。メシアを主張することはユダヤ人にとっては神を冒涜し、死刑に値するかも知れないが、神を信じないローマ人には何の意味もない。そこでピラトはユダヤ人たちに言った「「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」(ヨハネ18:31)。ローマは植民地の宗教問題には関与しないとピラトは言った。しかし、ユダヤ人たちは反論した「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っている」(ルカ23:2)。ユダヤ人たちはイエスをローマに反逆する政治犯として告発した。ここにおいて、宗教問題が政治問題になった。イエスがもし「ユダヤの王」と主張するならば、それは支配者ローマに対する反逆であり、ピラトはローマ総督として、イエスを裁かなければいけない。そこでピラトはイエスを呼び出して尋ねた「お前はユダヤ人の王なのか」(ヨハネ18:33)。

・イエスはピラトの問いに答えられた「私は王である。しかし、私の国はこの世には属していない」(18:36)。この世の王権は武力によって支えられる。今、ピラトがイエスの前にいるのもローマが武力によってユダヤを制圧し、支配下に置いたからだ。しかし、イエスの国はこの世には属さず、暴力を用いない。イエスは続けられた「もし、私の国がこの世に属していれば、私がユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、私の国はこの世には属していない」。

・ピラトには部下も剣も持たない者が、何故王なのかわからない。彼にとって、支配とは力であるからだ。ピラトはイエスに尋ねた「お前は本当に王なのか」。イエスは答えられた「私は真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、私の声を聞く」。イエスは力ではなく真理によって王となられる。ピラトにはますます理解できない。彼はイエスに聞く「真理とは何か」(18:38)。ピラトには答えを聞くまでもない。真理と言うたわけたもので国を支配できるわけがない。ピラトはイエスがローマに対する脅威であると認めることが出来なかった。そのため、イエスに対する審問を打ち切り、民衆の前に出て話した。「私はあの男に何の罪も見いだせない。釈放しようではないか」。民衆は納得せず叫ぶ「イエスを十字架につけよ。イエスではなく、バラバを釈放せよ」(18:40)。

・この民衆はイエスがエルサレムに入城されるとき、イエスを「来るべき王」として歓呼した人々であった(ルカ19:38)。人々はユダヤをローマから解放し、ユダヤを昔の繁栄に戻してくれる王を求めていた。イエスの為された多くのいやしや奇跡を見て、「この人ならばそれが出来るかもしれない」と民衆は期待した。しかし、現実のイエスは、大祭司の軍隊に抵抗もせず捕らえられ、今も弱弱しくピラトの前で裁きを受けている。こんな弱い人がメシア、王であるわけがない。人々はイエスを捨て、バラバに望みを託した。バラバは「都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていた」(ルカ23:19)。彼は反ローマの武力闘争を行っていた男だった。いつの時代も人々は、声高に主張する指導者を好む。ユダヤ人はイエスではなく、バラバを選択した。

2.二人の王

・今ここに、二人の王が対峙している。ピラトはローマ帝国の代表者として、そこにいる。ローマは軍隊と法律と制度によって、当時の世界を征服し、未曾有の世界帝国を建設した。そのピラトの前に、イエスが神の国の王としておられる。イエスは何の武力も持たれなかった。

・この世の国は力で人々を支配する。その支配が何を招くかは、現在のイラクを見てみればよい。アメリカはテロとの対決のため、イラクを武力制圧した。しかし、イラクの人々の心を配慮しない占領政策によって、テロはなくならないどころか、増えている。今のイラクの情勢は、ピラト支配下のユダヤの状況と驚くほど似ている。ローマは力でユダヤを制圧し、エルサレムに進軍した。彼らはユダヤ人が神聖と考えるエルサレム神殿に、彼らの神である鷲の像を先頭にして、土足で踏み込んだ。ユダヤ人はこれを神に対する冒涜と感じ、異教徒ローマに対するテロ行為を活発化させた。イエスの代わりに釈放されたバラバはテロ組織である熱心党(ゼロータイ)の指導者だったといわれている。イエスの死後、熱心党は人々をまとめてローマに対する独立運動を起こす(66年ユダヤ戦争)。4年後の紀元70年に、エルサレムはローマの軍隊により再占領され、破壊され、国は滅んだ。地上の王は武力で人々を制圧するが、同じ武力でまた滅んでいく。

3.私たちは王であるイエスに従う

・今日の招詞にマルコ10:42-45を選んだ。次のような言葉だ「そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。『あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

・異邦人は、ローマは、この世は力で支配する。この力による支配が、現在の日本をも蝕んでいる。深谷昌志「孤立化する子供たち」という本によれば、日本の子供達は自分の将来を自分の成績との関係で見通していると言う。彼は子供達に「どんなに頑張ってもなれそうもない職業は何か」を、成績に関する自己評価との関連で聞いた。例えば政治家の場合では、自分は成績が良いと考えているグループでは政治家になれそうもないと考える者は50%しかいないが、自分は成績が悪いと考えている子供のグループでは政治家になれそうもないと考えている子供が80%もいる。裁判官でも大会社の社長でも同じ傾向が出た。つまり、一方では成績が良いから自分はエリートであり、だから何でも出来る、何をしても良いのだと考える子供達がおり、他方で自分の成績は悪いから何をしてもだめだと今からあきらめている子供達がいるということだ。成績がよければ支配階級に入れ、成績が悪ければ支配される側になるという社会の仕組みが、今の日本にあるのではないかという指摘だ。力が、あるいは能力が、支配のための武器になっている。

・しかし、イエスは言われる「あなた方はそうであってはならない。人がその能力故に苦しむことは父の御心ではない。能力は自分のためではなく、他者に仕えるために与えられているのだ。ある人に優秀な頭脳が与えられ、別の人には強健な体が与えられる。それはその能力、賜物を用いて仕えるためであり、決して自分のために用いるためではない」。神谷美恵子という精神医学者がいる。彼女はらい病者の診療のために一生を捧げたキリスト者として知られているが、自分が診察していた患者について次のように言った「あなたが私たちのために病気にかかって下さった」。らい病は一定の確率で発生する。この人が病気になることによって、自分に健康が与えられている。らい病というこの世的にはマイナスの能力がここでは評価されている。

・胎児性水俣病の子供を生んだ母親は、自分の子を「宝子」と呼んだ。妊娠中に母親が有機水銀を含んだ魚介類を食べた時、その毒は胎盤を通して胎児に行き、母親は発病しない。母親は、子供が全ての毒を吸収することによって自分に健康が与えられたことを、子供に申し訳ないと思いながら、同時に感謝している。イエスの十字架もそうだ。イエスが私たちの毒である罪を全て吸収して十字架で死んでくださったことによって、私たちは罪から自由になり、生命が与えられた。

・世の国であるローマ王の代弁者ピラトは神の国の代表者イエスを裁き、彼を十字架につけた。この世の王が神の国の王に勝った。しかし、ローマはやがて外敵の侵入と内部の腐敗によって滅ぶ。しかし、イエスの国は幾多の困難と迫害にもかかわらず、その後も成長を続け、今日では世界中に教会がある。力による支配は永続しない。バラバは滅び、ローマも滅んだ。この世の国は遅かれ早かれ滅びるのだ。しかし、真理による支配は永続する。私たちは今そのことを目の前に見ているのだ。神の国は架空の、あるかないかわからない国ではない。それはここにある。王であるイエスが死んでくださることによって出来た国なのだ。神の国は架空の国ではないし、教会は来ても来なくとも良い場所ではないのだ。世の国から逃れて神の国に生きなさいと言われているのだ。

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