1.主の僕の歌(第二の歌)
・今、私たちは月に一回、旧約聖書のイザヤ書を読んでいる。このイザヤ書は預言書である。預言とは、神が預言者を通して、特定の時に、特定の人々に語られた言葉である。後代の人々は、それを自分たちの置かれた状況の中で、自分たちに語られた言葉として聞く。私たちも、イスラエルが裁かれ、捕囚となり、やがて解放されていく様を、私たちの教会の歴史と重ね合わせながら、聞いていく。
・今、この教会は、苦難の時は終わり、解放の時にあると私たちは理解し、40章から始まるイザヤ書第二部を、この教会に与えられた言葉として聞き始めている。今日はイザヤ49章から言葉を聞く。
2.主の僕は応答する
・イスラエルはバビロニヤに占領され、国は滅び、その民は捕囚としてバビロンに連れて行かれた。紀元前587年のことである。それから50年の時が経ち、バビロニヤはペルシャに征服されて滅び、イスラエルの民は故郷に帰還することが許される。その帰還の指導者として、主の僕が立てられた。主の僕は歌う(イザヤ49:1)。
「海沿いの国々よ、わたしに聞け。遠いところのもろもろの民よ、耳を傾けよ。」
・私たちは今から、故郷のエルサレムに戻る。主は私たちをご自分の民として選ばれた。主はかって言われた。「あなたがたを愛し、あなたがたを選んだのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった」(申命記7:7)。
・私たちはそれを知った。私たちの国イスラエルは小さな弱い国であり、バビロニヤやエジプトという世界帝国の狭間の中で生きる。私たちの国がバビロニヤに滅ぼされた時、私たちは疑った「私たちの神がバビロニヤの神に打ち負かされたのではないか」と。しかし、主はバビロニヤを滅ぼし、私たちを解放されることにより、世界を支配される神であることを示された。今、新しい支配者ペルシャが立ち、彼らは強大な剣と矢で国々を制圧している。彼等もまた、神の器としての役割を持つであろう。しかし、私たちにはそれに勝る武器、主の言葉が与えられている。「主は我が口を鋭利な剣とし、研ぎ澄ました矢とされた」(イザヤ49:2)。「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。」(詩篇20:7)
・私たちは主の言葉により頼んで国を再建する。そして主は祝福される「あなたはわが僕、わが栄光をあらわすべきイスラエルである」(49:3)と。捕囚は50年もの長きにわたった。私たちは何度も思った「主はわたしを捨て、主はわたしを忘れられた」(49:14)のではないかと。また思った「わたしはいたずらに働き、益なく、むなしく力を費した」(49:4)のではないかと。私たちもいろいろな挫折を経験する時、疑う時がある「私はいたずらに働き、益なく、空しく力を費やしたのではないか」と。
3.捕囚は特殊な体験ではない。
・私たちは2500年前に起こったバビロン捕囚の出来事から学んでいるが、この捕囚は私たちに無縁の出来事ではない。日本では、戦後、70万人の人がシベリヤに抑留されて苦しんだ。現代の捕囚である。その中には、満州開拓移民だった人も多く含まれている。井出孫六「残留孤児―その歴史と現在」と言う本がある。旧満州開拓移民の戦後を取り扱った本である。戦前、満州開拓移民として大陸に渡った人々は27万人いるが、多くの人達は敗戦とそれに続く混乱の中で死んだ。井出孫六は長野県の出身であるが、開拓移民の出身者は長野県が圧倒的に多いことからこの問題に関心を持つようになった。調べているうちに「長野県満州開拓史」と言う資料に出会った。その中には長野県が送り出した33千人の名簿があり、いろいろの家族の消息が載っている。
・例えば宮本賢平さん一家がいる。宮本さん一家は昭和15年12月に一家6人(夫婦、父、3人の子)で満州にわたり、ソ連国境に近い村で開拓を始めた。苦労はあった。同行した父親は慣れない異国で病死したが、やがて新しい子も与えられ、生活はそれなりに安定する。しかし戦争は敗色が強くなる。賢平さんは20年6月に現地で軍隊に招集され二ヶ月で敗戦、捕虜として捕えられ、収容所を経て、帰国している。妻と二人の子供は敗戦時に開拓地で殺され、5歳と1歳の子供は行方不明になった。1年後の昭和21年夏、宮本賢平さんは故郷の長野に帰って来たが、郷里で彼を待っていたのは、一家全滅の知らせだった。その知らせを告げられた時、宮本さんは思ったのではないか。「私はいたずらに働き、益なく空しく力を費やした」(49:4)と。私は何のために開拓地で苦労を重ねたのか、与えられたものは妻と子供たちの無残な死だけではなかったか。
・先日、前に勤めていた会社の上司が自殺した。彼は社内で順調に出世し専務にまでなったが、会社の業績悪化の中で心労が重なり、死を選んだ。自殺を聞いた時、やりきれない思いがした。何故死ななければならないのか、何故苦難はやがて終るという希望を持てなかったのか。
・クリスチャンの人生とそうでない人の人生は何が違うのか。共に、人生の中で苦難を受ける。そのとき、神を知らない人は、その苦難を克服するために自分で自分を助けようとするか、他人の助けを求める。それでも苦難が去らない時、人はその苦難を忘れるために享楽的になり「わたしたちは飲み食いしようではないか。明日もわからぬ命なのだ」(〓コリント15:32)と言うか、あるいは悲観的になり苦難に飲み込まれて死ぬ。神を知る人は、苦難は神が与え給う試練であり、この試練を通して神が祝福されると信じる。そして言う「わが正しきは主と共にあり、わが報いはわが神と共にある」(イザヤ49:4)。
・主の僕は何故、この苦難は無意味ではないと言いうるのか。それは捕囚を通して神が祝福された事実を知るからである。旧約聖書が書物としてまとめられたのは、捕囚の時代であったと言われている。神は何故「私の子」と呼ばれたイスラエルを滅ぼされたのか、「私の都」と呼ばれたエルサレムを廃墟にされたのか、それを知るために捕囚の民は父祖の伝承を整理・編集し、それを文書化していった。それが旧約聖書の創世記になり、出エジプト記となっていく。創世記1章を少し見て見たい。
・創世記1:2「地は形なく空しく、闇が淵の表にあった」。形なく空しく=トーフー・ワボーフーと言う言葉は旧約聖書に3回(他の個所はエレミヤ4:23、イザヤ34:11)しか使われていない。
―エレミヤ4:23「わたしは地を見たが、それは形がなく、またむなしかった。天をあおいだが、そこには光がなかった。・・・すべての町は、主の前に、その激しい怒りの前に、破壊されていた。」
―イザヤ34:11「主はその上に荒廃をきたらせる測りなわを張り、尊い人々の上に混乱を起す下げ振りをさげられる。」
・この「形なく空しく」という言葉の用例から、私たちは創世記の著者が置かれた状況を知ることが出来る。即ち戦争に敗れ、エルサレムの町は廃墟とされ、王や祭司はバビロンに捕えられている。地は神の裁きの下に荒廃し、全くの闇の中にあり、光は見えない。「地は形なく空しく、闇が淵の表にあった」。しかし、著者はそこに神が共におられることを確信する。そして言う「神の霊が水の面を覆っていた」(創世記1:2b)。神は私たちを捨てられたのではなく、共におられる。そして闇の中に神の言葉が響き渡る「光あれ」(創世記1:3)。国を滅ぼされ闇しか見えなかったイスラエルが苦難の中に希望を見出していった、その信仰の戦いとして創世記が生まれた。
・バビロン捕囚と言う苦しみがなければ旧約聖書は編集されなかったし、旧約がなければ新約聖書も生まれなかったであろう。国を滅ぼされたイスラエルは、捕囚を通して信仰共同体として育てられていった。この事実を知るから、主の僕は言い切る「わが正しきは主と共にあり、わが報いはわが神と共にある」(イザヤ49:4)。捕囚は祝福であったと。
4.主の僕に使命が与えられる。
・イスラエルは何故、捕囚としての苦しみを味わったのか。イスラエルは神にそむくと言う罪を犯した。その罪は贖われなければならない。彼らは50年間苦しんだ。そして、苦しむことを通して、他者の苦しみを知るものに変えられていった。また、異国に捕らわれることを通して、救いが他の民族にも及ぶことを知らされた。故にイスラエルに使命が与えられる。「わたしはあなたを、もろもろの国びとの光となして、わが救を地の果にまでいたらせよう」(49:6b)。
・世界史の上では何の重要性も持たない小さな国の挫折と回復の歴史が旧約聖書としてまとめられ、その旧約聖書がやがて世界史を動かす影響をもつようになる。故に預言者は確信を持って言う。「人に侮られる者、民に忌み嫌われる者、司たちの僕」(49:7a)、人間的に見れば、戦争に破れて捕虜とされた民が帰還するに過ぎないイスラエルが、「諸々の王が立ち上がり、諸々の君が拝する」(49:7b)者となる。預言者は、神の救済の訪れを諸国民に宣べ伝える使命を抱いてエルサレムに帰るという確信にあふれている。
・この確信を私たちも持ちたい。私たちの教会は大きくもなく、立派でもないかも知れない。それ故に、苦しむ者の声を聞ける。私たちは、信仰に優れた者でないかも知れない。それ故に、信じることのできない人たちに福音を伝えることが出来る。イスラエルと同じく、私たちも主がいかに恵まれたかを証するために立たされ、そのために必要な苦しみを受けた。この苦しみを通して、教会が何故立てられているかを学んだ。今、解放の時を迎え、新しい使命を与えられる。「主は恵みの時に私に答え、救いの日に、私を助けられた」(49:8)ことを知る者こそ、福音の伝達者に相応しい。
・パウロはイザヤ49章8節の言葉をコリント教会への手紙の中に引用した。当時のコリントの教会には多くの争いがあり、教会が分裂しかけていた。その教会に書かれた手紙の一節が今日の招詞の言葉である。
「わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる、/『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、/救の日にあなたを助けた』。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」(〓コリント6:1−2、新約聖書283頁)。苦役の時は過ぎ、救いの時が始まったことをパウロは伝える。
・帰還したイスラエルを主は恵み、彼等を増やされる。「あなたの目をあげて見まわせ。彼らは皆集まって、あなたのもとに来る」(イザヤ49:18)。散らされたものがまた集められ、そして大きな民に成長する。その時イスラエルの子らは言う「この所はわたしには狭すぎる、わたしのために住むべき所を得させよ」(49:20)と。
・行方不明になっていた宮本賢平さんの5歳と1歳の子は、やがて中国人に養われて無事であることがわかり、昭和53年、敗戦から33年後に帰国した。当時1歳だった末子の実さんは中国で結婚し、奥さんと4人の子供を連れての帰国だった。残されたものから新しい家族が生み出されていった。エッサイの株から一つの芽が出、その芽が木として育っていく。このことを知るものはどのような状況の中にあっても希望を失わない。
・この教会も試練の中で、人が散らされて行った。しかし、神が再び、このところに神を賛美する人の群れを集められるとイザヤ書は教える。そして、いつの日か人々は言うであろう「この会堂は狭すぎる。賛美するためにもっと、広い教会堂を与えよ」と。その日は来る。その日が来るまで、多くの出来事があるであろう。また、その日がいつか私たちは知らない。バビロンの捕囚民が捕えられてから解放されるまで50年が必要だった。宮本さんの二人の子が日本に帰ってきたのは敗戦から33年後である。私たちはこの教会の回復に望みを置く。そして聖書は望みを置いても良いと私たちに告げる。