1.バルテマイの物語
・イエスはエルサレムを目指して急いでおられた。途上のエリコの町を出られた時、一人の盲人がイエスに叫ぶ、「主よ、憐れみたまえ」。弟子たちは盲人の叫びを止めさせようとするが、彼は叫び続ける。イエスは足を止めて彼に聞かれる、「何をして欲しいのか」。盲人は答える、「見えるようになりたいのです」。盲人はいやされ、やがてイエスの後に従ってエルサレムに行き、そこでイエスの十字架と復活を見て、キリストの証人となる。その出来事がエリコで起こった。これが盲人バルテマイのいやしの物語であり、バルテマイが叫んだ「主よ、憐れみたまえ」(マタイ20:30)が後に有名なカトリックの典礼歌「キリエ・エレイソン」(キリエ=主よ、エレイソン=憐れみたまえ)として覚えられた。
・バルテマイは目が見えなかった。しかし、聞くことは出来た。彼はイエスが通られると聞いて、声を限りに求め、その求めが満たされ、見えるようになった。信仰は聞くことから始まり(ローマ10:17)、見ることで完成する(1コリント13:12)。バルテマイは聞いて信じ、見てキリストの弟子になった。バルテマイの物語が今日の私たちに何を語るのかを、今日はご一緒に考えてみたい。
2.イエスを呼ぶバルテマイと妨げる弟子たち
・イエスは3年の間、ガリラヤで数々のいやしと不思議な業を為された。イエスの評判は高まり、イエスがエルサレムを目指して旅立たれた時、多くの群衆が共にエルサレムを目指した。人々の間からは「この人こそメシヤ、救い主、エルサレムで王位に就かれるために今急いでおられる」との声が聞こえてきた。弟子たちの期待も高まる。弟子のヤコブとヨハネが「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください」(マルコ10:37)とイエスに頼んだのもこの時だ。みんなはイエスがエルサレムで王に就かれると思っていた。やがてイエスの一行はエリコの町に着いた。エリコはエルサレムの東北27キロ、歩いて1日分の行程だ。このエリコでイエスは取税人ザーカイの家に泊まられた(ルカ19章)。翌朝、イエスと弟子たちはエルサレムを目指してエリコを出られた。大勢の群衆がイエスを取り囲み、先導していく。この時、道端に座っていた盲人の乞食が「評判のナザレのイエスが今通られる」との群衆の声を聞いて、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんで下さい」と叫び出した(47節)。彼は目が見えないため、乞食をしていた。彼は城壁の中に入ることは出来なかった。当時、障害を持つものは、神に呪われた罪人として町の中、即ち城壁の中には入れなかった。だから、彼はエリコの町ではなく、町を外れた城門の外にいて、城門を出てこられるイエス一行と出会った。
・弟子たちはエルサレム入城を前に興奮状態にある。弟子たちはこの乞食を叱って言う「おまえは乞食ではないか。先生は王としてこれからエルサレムに行かれる。今は大事な時、おまえにかまっている時間などない」。弟子たちは先にイエスの元に来ようとした幼な子を妨げた。今また、イエスの元に来ようとしているバルテマイを妨げる。しかし、バルテマイは諦めない。イエスの為された多くのいやしの業を彼は人から聞いて知っている。この人ならば彼の病気をいやしてくれるかも知れない、この時を逃したらもういやされる機会はないと知っているからだ。「ダビデの子イエスよ、私を憐れんで下さい」と彼は叫び続ける。
・バルテマイの叫びがイエスに届いた。叫びは祈りだ、母親が幼な子の叫びに耳をふさぐことが出来ないように、イエスもまた、人々の叫びに耳をふさぐことは出来ない。彼はバルテマイを呼び、聞かれた「私に何をして欲しいのか」。バルテマイは言った「先生、見えるようになることです」。ここでバルテマイはイエスをラボニと呼んだ。単なる先生ではなく、ラビ=先生の尊敬語ラボニ、私の先生というニュアンスを含む。マグダラのマリヤが復活の朝、園でイエスに出会った時言った呼称がこのラボニ=私の先生である(ヨハネ20:16)。バルテマイはイエスのことをよく知らない、それなのにラボニと呼ぶ、この人こそはとの思いがこの言葉に表れている。
・イエスは言われた「行け、あなたの信仰があなたを救った」(52節)。バルテマイは見えるようになった。彼はイエスに従ってエルサレムに行く。エルサレムで彼が見たのはイエスを歓呼して迎える人々の群れだった。マルコはイエスのエルサレム入城の様子を次のように描く「前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、『ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ』」(マルコ11:9-10)。「ダビデの子にホサナ」、ホサナ=救いたまえ、「ダビデの子よ、今救ってください」と群衆は叫んだ。日曜日のことである。木曜日にはイエスは捕えられ、裁判を受け、金曜日には十字架につけられた。イエスを歓呼して迎えた群衆が、イエスが彼らの考えるようなメシヤ、王ではなかったとして、5日後にはイエスを「十字架につけよ」と叫ぶ。見えるようになったバルテマイはこの十字架をも見た。
・イエスは多くの人々をいやされたが、福音書に名前が記されている人は少ない。バルテマイがその後どのような生涯を送ったのか、私たちは知らない。しかし彼が初代教会でイエスの弟子として知られていたのは事実である。そのため、彼の名前が残り、彼の叫び「主よ、憐れみたまえ」がキリエ・エレイソンとして記憶されるようになる。イエスはこれまでバルテマイがどのように苦しんできたかを理解された。障害者は目が見えないという不自由だけでなく、社会から受け入れられないという不自由、二重の不自由に苦しめられている。現に彼はエリコの町の中に入ることは出来ず、物乞いとして屈辱の中で生きてきた。バルテマイはエリコの町の外、道の端に座っていた(英語聖書ではby the way)。そのバルテマイがイエスの憐れみを受け、道の上(英語聖書ではin the way)を歩くものになった。今までは障害者として道の端に座っていたものが、キリストの弟子として道の真中を歩けるものになった。このような憐れみを受けたことのあるものはキリストを証しせざるを得ない。
3.私たちにとってバルテマイとは誰か
・バルテマイは乞食、物乞いだった。物乞いとは必要なものを願い求めることによって生きている人である。幼な子と同じく受けることによってしか生きていくことが出来ない。人は言うかも知れない「私は自分一人で生きていくことが出来る。私は満ち足りており、何一つ不自由なものはない」。しかし、私たちの生活は危ういバランスのもとにある。祝福されて結婚をし、子が与えられても、仮にその子が障害者であれば家族の幸せはこの世的には崩壊する。良い大学に入り、良い勤め先に就職しても、病気になり闘病生活が長引けば誰も振り返ってくれない。誰かに起こる不幸が私たちに起こっても不思議ではないのだ。私たちは主の恵みの中にあるからこそ平安であることがある時、その恵みを取られてわかる。その時、私たちは「自分が惨めなもの、哀れなもの、貧しいもの、裸のもの」であることを知る。そして、私たちこそバルテマイであることが、苦しみを通して明らかにされる、その時私たちは叫ぶ「主よ、憐れんで下さい」。そして叫びは聞かれる。私たちは、みなそのような経験をしているか、これからする。
・一つの例として星野富広さんの生涯を考えてみたい。星野さんは1946年に生まれ、大学を出て中学校の体育教師になった。体操部のクラブ活動の指導中に前方宙返りをして見せようとして失敗、頭部から転落して頚椎損傷になり、全身麻痺になった。24歳の時である。全身麻痺であるから自分で食事をすることが出来ず、母親が三度三度の食事を口に入れて食べさせる。ある日、母親の手が震えてスプーンの汁を星野さんの顔にこぼしてしまった。折からイライラが募っていた星野さんは、かっとなって口の中のご飯粒を母親の顔に吐きつけて怒鳴った「ちきしょう、もう食わねー、くそばばあ、俺なんかどうなったっていいんだ、産んでくれなけりゃよかったんだ、ちきしょう」。その星野さんがやがて聖書を読み始め、変えられる。彼はやがて口で絵を書くようになり、その絵の横に短い詩を添える。そのような歌の一つが次の歌である。
「私の首のように、茎が簡単に折れてしまった。しかし、菜の花はそこから芽を出し、花を咲かせた。私もこの花と同じ水を飲んでいる。同じ光を受けている。強い茎になろう」(星野富広「愛、深き淵より」)。今、星野さんが書かれた何冊かの本と詩画集は多くの人の共感を生み、彼の絵を見るために富広美術館(群馬県東村)を訪れる人も多い。
・星野富広さんは、ある時自分がバルテマイのように、他の人の助けなしには生きることの出来ない、惨めなもの、哀れなもの、貧しいもの、裸のものであることを知らされた。そして必死に求め叫び、その叫びをイエスが聞かれた。そしてイエスにより問い直された「私に何をして欲しいのか」。やがて必要なものを与えられた。
・今日の招詞に第一ペテロ2:10を選んだ(新約368頁)。
「あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている」。私たちは目の見えないものであったが、見えないということを知らなかった。ある時自分が見えない、バルテマイと同じであることを知らされ、愕然として求め始めた。そして私たちの叫びはイエスに届き、バルテマイの声に立ち止まって下さったように、私たちのために立ち止まって下さった。そして私たちは憐れみを受け、今は何が大事で何が不要かを見えるようになった。バルテマイは私たちなのだ、だからこそ多くの人々が、バルテマイの叫んだ「キリエ・エレイソンー主よ憐れみたまえ」の叫びを自分の叫びとして歌うのだ。私たちは主の憐れみを受けた、だから神の民として生きていくのだ。バルテマイの生き方は私たちにそうあれと教えている。