1.エレミヤの手紙
・エレミヤはバビロンで捕囚になっている人々へ手紙を書いた。その手紙がエレミヤ書29章である。
・イスラエルは前597年にバビロニアに国を占領され、主だった人々が捕囚として首都バビロンに連行された。王や貴族、祭司、軍人、技術者等1万人に上る人が捕囚されたと列王記下24章14―17節は伝えている。私たちの状況に翻訳して考えれば、昭和20年8月にアメリカではなくソ連が占領軍として日本に侵攻し、天皇を始め政官財の主要な人々をシベリヤに抑留したと考えればわかりやすい。これはありえないことではない。日本は戦時中に数十万の韓国人、中国人を強制労働のために国内に連れてきた。また、ソ連は終戦後70万人をシベリヤで強制労働させた。捕囚は歴史上繰り返されている現在の出来事である。
・捕囚から3年たった前594年頃にこの手紙は書かれたと言われている。当時、捕囚をめぐっていろいろの動きが出ていた。故国エレサレムにおいてはバビロニアの支配から逃れるためにエジプトに頼って国を救おうという動きが活発化していた。他方、捕囚地バビロンでは、早期に帰還できるのではないかという楽観論と、前途に希望はないという悲観論の双方が対立していた。
・その人々に対しエレミヤは手紙を書いた(29章5−6節)。
「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。 妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。」
捕囚はあなた方の不服従のために主が与えた鞭である。それは2年や3年で終らず、70年続くと主は言われる(10節)。だからその地に家を建て、園に果樹を植えて自立できるようにせよ。また、帰還はあなた方の子や孫の時代になるから、妻をめとり子を生み、その子たちにも子を生ませ、民を増やして帰還に備えよと。
・状況を考えればこの手紙は驚くべき内容を伝えている。もし私たちがシベリヤ抑留の人々に、この抑留は2年や3年で終らない、だからあなた方はその地で家を建て、ロシヤの婦人を妻に迎え、子を作り、その子達も結婚させよと手紙を送ったら、抑留されている人々はそれを慰めの手紙と思うだろうか。捕囚ないし抑留が70年続くということは、手紙の受信人たちは生きて故郷に帰る事はないと告げている。人々はそれを呪いと受け取るだろう。
・捕囚地の人々はどのような状況だったのだろうか。ある人々は速やかな祖国帰還を熱狂的に確信し、エルサレムに残った人々と反バビロニアの画策をしていたであろう。他の人々は前途を諦め、何の気力もなくなり、絶望的になっていたであろう。その人々にエレミヤは勧める。自分たちの置かれた状況を冷静に見つめよ。あなたたちはすぐには帰れないから、その地で日常生活を営め。絶望や熱狂に陥っていては仕事が手につかない。日常与えられた仕事を着実に果たしえないようでは、正しく神を信じているとは言えないではないか。しかしまた捕囚は永遠に続くものではなく、試練の時が終れば祖国に帰ることを主は許される。故にその地で子を設け、子供たちにあなた方の信仰を伝えよ。
・人間は時間の限界内に置かれたとき、絶望的になるか熱狂的になる。人間の時間は70―80年に過ぎない。しかし、その人間の時間が神の時間の中に置かれており、意味があることを知る者のみが、かかる絶望からもまた熱狂からも自由になる。
2.エレミヤ29章と私
・ある時、聖書の言葉がその人間を捕え、一生を変えてしまう出来事になることが起きる。私にとってエレミヤ29章はそのような言葉である。私は大学を卒業して東京本社の会社に入社し、大半を本社で過ごしてきた。4年前、福岡支社駐在課長への転勤を言い渡された。当時は本社の財務部で資産運用の仕事をしており、部下も20人いた。本社の課長から支社駐在への転任は異例であり、聞いた時は目の前が真っ暗になった。また、子供たちの学校の関係で家族は動けないため、単身赴任で福岡に転任した。正直、都落ち的な、惨めな気持ちの中で赴任した。赴任後、支社の仕事には身が入らず、東京本社への早期帰還だけを考えていた。教会は福岡バプテスト教会に行き始めたがなじめず、籍は前の中野教会に置いたままであった。当時、神学校は東京バプテスト神学校で2年を終えていたが、福岡の九州バプテスト神学校に転校した。しかし、勉強にも熱が入らなかった。福岡は仮の地、やがて東京に帰る時までの短期滞在の地と考えていた。
・その時、教会学校の学びを通して、このエレミヤ29章に出会った。1998年の11月8日のことである。この言葉を読んだ時、これは今の自分に語られている主の言葉だと思った。東京に帰ることのみ考えて現在の仕事や学びに上の空だった私に対して、「福岡の地に根を下ろせ、私はあなたを訓練し育てるためにあなたを福岡に送った」と主は言われた。この言葉に接して福岡での生活が一変した。仕事は九州管内企業への財務営業であったが、取引のない地場企業への接触を活発に始め、それなりの成果も出てきた。教会も福岡バプテスト教会に転籍し、成人科の教師として毎週の教会学校のためのテキストを作り始め、大勢の人が出席し始めた。神学校の学びも本格化し、東京では持てなかったような先生たちとの個人的交わりも持てるようになった。
・福岡に行って最初の半年間は地獄だった。エレミヤ29章の言葉に出会った残りの1年半は充実した時であった。そして2年の時が過ぎ、神学校を卒業するという時に、会社がリストラ策として希望退職者を募り始めた。その時まで家族の生活や子供の学資を考えれば牧師になることは考えられなかった。しかし、この希望退職は割増退職金が付加されていたため、子供の学資と数年分の生活費の目処もつくようになり、会社を辞め、牧師になった。災いとしか思えなかった福岡への転任と会社の業績悪化が牧師になる道を開き、エレミヤ29章がその道を導いた。
3.捕囚とイスラエルの民
・この手紙は当時の捕囚民には慰めにならなかった。彼らはエレミヤの勧めを無視し、バビロニヤに反乱を起こし、その結果、前587年にはエレサレムの町は破壊され、イスラエルは最終的に滅んだ。捕囚民が帰還を許されたのはバビロニアがペルシャに滅ぼされた前538年であった。最初の捕囚(前597年)から60年後のことである。エレミヤの預言どうりになった。
・国を滅ぼされ、帰還の道を断たれた民は、神は何故イスラエルを滅ぼされたのかを求めて父祖からの伝承を集め、編集していった。その結果、創造主を忘れ奢り高ぶった罪が罰せられたことがこの捕囚であることを知り、悔改めた。創世記や出エジプト記が最終的に編集されたのは捕囚期であると考えられている。イスラエルの民は捕囚により、ダビデ王家とエルサレム神殿を中心とする国民共同体から、神の言葉、即ち聖書を中心にする信仰共同体に変えられて行った。彼らはエレサレムが滅ぼされ全ての望みが断たれた時、改めてエレミヤの手紙を読み直す。
・エレミヤはこの手紙の中でバビロニアのために祈ることを勧めている(7節)。
「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」
当時の事情を考えた時、これもまた驚くべきことである。エレサレムを滅ぼし、自分たちを捕囚の運命に遭わせ、異教の神を奉じる、憎むべきバビロニアのために祈れとという。敵のための祈りは旧約聖書でここだけしかないと言われているが、これが新約聖書の「敵を愛せ」というイエスの言葉に通じていることは明らかであろう。捕囚を通してイスラエルの信仰は狭い民族宗教から、世界の諸民族の救いのためのものに変えられて行く。神の救いは審きを通して為される。捕囚の民の歴史を自分の出来事として経験することによって、人はエレミヤ29章にアーメン、その通りですと唱和できるのではないか。