1.クリスマスの後で
・20年前の2004年12月26日、クリスマスの翌日、スマトラ島沖でM9を超える大地震が起き、地震とその後の津波で22万人を超える人たちが亡くなりました。インドネシアでは多くの子供たちが命を落とし、子を無くした母親の嘆きの声がテレビで放映されました。信仰者は「すべての出来事は神の権限のもとにある。神が許されなければ、地震も津波も起きなかったであろう」と考えます。そうであれば、神は何故このような災害が起こることを許され、22万人を超える命が失われることを許容されたのでしょうか。しかも、クリスマスの喜びの時に。聖書は、イエスが誕生された時、2004年のクリスマスの時と同じような悲しい出来事が起こったと告げます。それがマタイ2章の出来事です。
・イエスが生まれられた時、東方にしるしの星が現われ、星に導かれた三人の占星術師たちが、救い主に会うために、エルサレムに来て、王宮のヘロデ王を訪ねました「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(マタイ2:2)。「ユダヤ人の王が生まれた」、との知らせは地上の王であるヘロデに不安をもたらしました。ヘロデはユダヤ人ではなく外国人であり、王としての支持基盤は弱かった。彼は自分を脅かす者が生まれたとの知らせに、猜疑心を強め、王位を守るために新しく生まれた王を殺そうとします。彼は兵士に命令を出し、ベツレヘムとその一帯の2歳以下の男の子たちをすべて殺させ、子供たちを殺された母親の嘆きの声がベツレヘムにとどろいたとマタイは記します「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから」(マタイ2:18)。
・ベツレヘムで殺された幼子たちの親や家族は、何が起きたのか、何故こんなことをされねばならないのか、わからなかったでしょう。彼らはメシアが生まれた事も、そのことに危惧を感じたヘロデが、可能性のあるすべての幼子を殺そうとしたことも知りません。何も知らないうちに、家族は突然に悲しみのどん底に突き落とされてしまった。彼らは思ったでしょう「神は何をしておられるのか」、「神は何故このようなことを許されるのか」。スマトラ島沖で大地震が起き、多くの子供たちが命を落とし、子を無くした母親たちは大声を出して嘆きました。同じことが2000年前に起こったのです。
・マタイは「生まれたばかりのイエスは父ヨセフに連れられてエジプトに逃れられた。クリスマスとは、生まれたばかりのイエスが、ヘロデにより命を狙われて避難され、ベツレヘムに残った他の子供たちは無残にも殺されていった出来事だ」と語ります。夢でヘロデの陰謀を知らされたヨセフは直ちに、幼子とその母を連れて、エジプトに逃れ、ヘロデが死ぬまでそこにいた。イエスが生まれられたのは紀元前6年、ヘロデが死んだのは紀元前4年ですから、イエスは2年間エジプトに滞在されたことになります。その間にどのようなことがあったのか、聖書は何も語りません。異邦の土地での難民生活は楽ではなかったでしょう。今も、この地球上には数千万人の難民がいます。彼らの暮らしが楽でないように、イエス一家のエジプトでの暮らしも苦労の連続であったであろうと思われます。
・やがて、ヘロデ王は死に、ヨセフは夢で迫害者の死を知らされ、ユダヤに帰ってきました。そしてガリラヤのナザレの町に住んだとマタイは記します。イザヤは預言します「エッサイの株から一つの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」(イザヤ11:1-2)。この若枝がヘブル語のナザレ(新しい芽)です。マタイはイザヤのメシア預言が、イエスがナザレに住まれることで成就したと考えています。神はイエスと共にいて、イエスを守っておられたとマタイはイザヤの預言を通して主張しています。
2.何故イエスは難民となられたのだろうか
・イエス誕生の出来事の中に闇があったとマタイは証言します。メシアの誕生を喜ばず、不安を抱いたヘロデにより、幼児虐殺が起こされた。しかし、マタイはこの恐ろしい出来事の中に、一つの意味を見出しています。そのことを知る言葉がマタイ2:18です。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから」。この言葉はエレミヤ書からの引用です。今日の招詞にエレミヤ31:16-17を選びました。次のような言葉です。「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る」。
・エレミヤの預言の前半をマタイは引用して、ベツレヘムの悲しみを述べました。そして彼は後半の言葉を思い起こせと私たちに告げます。「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる」。ラマはイスラエルの民がバビロンに連行された時、捕囚民が集合を命じられた場所です。子供たちが捕虜として敵地に連れて行かれる、その光景を見て、イスラエルの母親たちは泣きました。その時、神は言われます「この悲しみはいつまでも続かない。この悲しみは終わる。あなたが流したその涙は報われる。あなたの息子たちは帰って来る」。
・イエスがヘロデの陰謀から逃れられた時、残されたベツレヘムの息子たちは殺され、母親たちは涙を流しました。しかし、その涙は報われます。キリストの苦難はその出生と共に始まり、苦難は十字架で完成されます。エレミヤは預言します「見よ、私がイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る。私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」(エレミヤ31:33)。イエスは十字架にかかられる前日の木曜日に弟子たちと最後の晩餐をとられ、言われました「この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である」(ルカ22:20)。イエスが十字架で流された血により、エレミヤの預言した新しい契約が調印された、神はイエスを十字架につけるために生まれたばかりのイエスの命を、ヘロデから助けられたとマタイは証しします。私たちはベツレヘムの幼子たちが無残にも殺されたことに納得しないし、地震で多くの子供たちが死んだことも理解できません。ただ聖書は語ります「何故ベツレヘムで多くの子供たちが殺されたのか。人間の心の中にある闇のためではないか。この闇をどうすれば取り除けるのか、それを求めよ」と。
3.闇をなくすために
・人は言うでしょう、「スマトラ大地震は自然災害ではないか。人の罪、人の闇がどう関係するのか」。津波で、被害が大きかったのは貧しい国々でした。スリランカでは27,000人が死にました。しかし、その隣にあるモルディブでは死者は60人しか出ていません。桁違いに少ない。毎日新聞2004年12月28日夕刊は伝えます「モルディブの人口の約3分の1が住む首都マレでは、日本からの公的支援で建設された防波壁が、島を津波の大惨事から守ってくれたとの見方が広がっている。海抜1メートルしかない1200の島々から成る同国は地球温暖化の進行で国全体が沈みかねないとの不安を抱え、常に海面上昇への恐怖と隣り合わせで生きてきたが、88年以降、進めてきた首都の護岸工事が壊滅的な被害を回避するのに貢献したと、島民は口々に語った」。大津波の被害がここまで広がったのも、必要な防衛策を為さなかった人災の面が強いとされます。2011年3月に起こった大津波による福島原発事故も同じです。福島原発で大津波を想定して電源をより高い所に置いていたらあの被害はなかった。しかし費用を惜しんで敷地のかさ上げを怠った。隣接する東北電力・女川原発では事故は起きませんでした。電源のある敷地がかさ上げされ、津波から電源を守ったためです。人災、闇は人間の罪から広がるのです。
・マタイはヘロデ王の罪を示すために、彼の受けた伝承に基づいてクリスマス物語を書きました。マタイはヘロデ王を残酷な王として描きますが、彼は特別の悪人ではありません。私たちの中にも小ヘロデがいます。ロシアのプーチン大統領やイスラエルのネタニエフ首相も小ヘロデだと思います。自分たちの命を守るために、他の人々の命を抹殺することに何のためらいもない。戦争は多くの命を奪います。そして人間は戦争を止めることができない。他者より自分のことが大事だからです。その戦争で傷ついた心の癒しは十字架以外にはありません。クリスマスでは人を救えないのです。
・人の心の闇をなくすためにイエスは生まれられ、難民となられ、十字架に死なれたとマタイは語ります。私たちもまた、苦しみの十字架に出会って、変えられていきます。十字架を見て、人は自分の罪を知り、悔い改めます。聖歌400番「君もそこにいたのか」は、黒人霊歌「Were You There」を中田羽後が訳詞したものです。十字架の下には大勢の人々がいました。イエスを十字架につけた祭司長や律法学者、イエスを処刑するために集められたローマ軍の兵士、イエスの十字架刑に涙する婦人たち、弟子たちも遠くからこの処刑を見守っていました。その時、私たちはどこにいたのでしょうか。2000年前に、遠いユダヤの地で、ナザレのイエスと呼ばれる男が処刑された、それは私たちとは何の関係もない出来事だと考えるならば、私たちは今日、この教会堂にはいない。
・聖歌は歌います「君もそこいたのか、主が十字架につく時、ああ、なんだか心が震える、震える、震える、君もそこいたのか」、「君も聞いていたのか、釘を打ち込む音を、ああ、なんだか心が震える、震える、震える、君も聞いていたのか」、「君も眺めていたのか、血潮が流れるのを、ああ、なんだか心が震える、震える、震える、君も眺めていたのか」。讃美歌は、さらに続きます「君も墓に行ったのか、主をば葬るために。ああ、なんだか心が、震える、君も墓に行ったのか」。十字架の出来事はそこで終わらずに、復活の出来事に連続します。十字架はおぞましい、残酷な刑ですが、復活の光の下で、十字架は救いの出来事、新しい命の始まりに変えられていきます。「君もそこにいたのか」は最後に復活の讃美を歌います。「君もそこにいたのか、主がよみがえられた時、ああ、なんだか心がふるえる、君もそこにいたのか」。「きみもそこにいたのか」と問われ、私たちが「はい」と答える時、イエスの出来事が私たちの出来事になって行きます。その悔い改めを通して、心の中の闇が解け始めます。
・教会はクリスマスを祝うために設立されたのではなく、イースターを祝うために設立されました。だから初代教会はイエスが復活された日曜日を礼拝の日と定め、ユダヤ教の安息日である土曜日を廃して、日曜日に礼拝を行いました。クリスマスが祝われるようになったのは紀元4世紀以降に古代ローマの冬至を祝う祭りがキリスト降誕祭として受け入れられ、やがて収穫感謝祭と合体し、家族や親族が集まって食事を共にする習慣が生まれてきました。それらの歴史を否定する必要はありませんが、私たちは、クリスマスは初代教会の最優先事ではなく、イースターこそ最優先の出来事であったことを想起すべきです。
・パウロは語ります「この私には、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世は私に対し、私は世に対してはりつけにされているのです・・・大切なのは、新しく創造されることです」(ガラテヤ6:14-15)。クリスマスが終わった今、教会は最も大事なイースター準備に入ります(2025年度イースターは2025年4月20日)。年の初めに、人々は今年1年が無事でありますように、災いが来ませんようにと祈ります。しかし、キリストに出会った者は別の祈りをします「今年もまた、苦しみや悲しみがあるでしょう。それは人の罪が作るものです。その闇を取り除くために、私たちに何が出来るか、教えて下さい」。