1.拘留されたエレミヤ
・エレミヤ書は国を滅ぼされ、絶望の中にあった捕囚の人々を立ち上がらせた書です。イスラエルは紀元前597年にバビロンに国を占領され、主だった人々は捕囚として首都バビロンに連行されました。エレミヤはそのバビロンで捕囚になっている人々へ手紙を書きました。捕囚から4年たった紀元前594年です「捕囚は主があなた方の罪のために与えた鞭であり、それは70年続く。だからその地で家を建て、園に果樹を植えて自立できるようにしなさい。また、帰還はあなた方の子や孫の時代になるから、妻をめとり、子を生み、その子たちにも子を生ませ、民を増やして故国への帰還に備えよ」(エレミヤ29:4-8)。エレミヤの手紙は当時の捕囚民には慰めにならなかったようです。捕囚民は祖国に残った人たちと手を組んで、バビロンに反乱を起こし、その結果、7年後の前587年にはエレサレムは再度占領されて、今度は徹底的に破壊され、国は完全に滅ぼされました。帰還の道を断たれた民は、バビロンで生きることを受け入れ、神が何故自分たちを滅ぼされたのかを求めて、父祖からの伝承を集め、編集していきました。その結果、神を離れ、奢り高ぶった罪が罰せられたことが捕囚であることを知り、悔改めました。
・エレミヤ32-33章は滅亡前夜のエレミヤの預言を伝えます。その時エレミヤは獄舎につながれていました(32:1-3)。エレミヤが王を批判する預言をしたからです「主はこう言われる。見よ、私はこの都をバビロンの王の手に渡す。彼はこの町を占領する。ユダの王ゼデキヤはカルデヤ人の手から逃げることはできない・・・お前たちはカルデヤ人と戦っても、決して勝つことはできない」(32:3-5)。エレミヤは権力者に向かって「あなたは戦争に負けて奴隷にされるだろう」と言っています。王は当然に怒ってエレミヤを拘留します。「王にこれだけのことをはっきり言える」、そこにエレミヤの預言者たるゆえんがあります。
・エレミヤは預言者に選ばれた時、語りました「主なる神よ。私は語るべき言葉を知りません。私は若者にすぎませんから」(1:6)。彼は弱音を吐きましたが、神は彼を預言者として召しました。神からみれば、預言者は若くて純粋で、神の言葉を曲げたり削ったりせず、真っ直ぐに伝える者でなくてはならないのです。その点、エレミヤは若くて純真で自ら語る言葉を持っていないので、彼は預言者として最適だったのでしょう。
2.エレミヤの滅亡預言
・エレミヤは30年にわたって、災いの預言を語り、人々に悔い改めを迫りました。しかしイスラエルの人々は空しいものの後を追い、神を嘆かせるほどの不信仰を続けます「ヤコブの家よ。イスラエルのすべての部族よ、主の言葉を聞け。主はこう言われる。お前たちの先祖は私にどんな落ち度があったので、遠く離れて行ったのか。彼らは空しいものの後を追い。空しいものとなってしまった」(2:4-5)。災いの預言は30年にわたって語り続けられました。神は人々の回心を求めて30年間も待っていたのです。しかし、それはエレミヤにとっては、預言が成就しないことを意味し、エレミヤは「うそつき」、「偽預言者」と罵られます。
・エレミヤは苦闘します「正しいのは、主よ、あなたです。それでも、私はあなたと争い、裁きについて論じたい。なぜ、神に逆らう者の道は栄え、欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか」(12:1)。ヨシヤ王の宗教改革に賛成したエレミヤはエルサレムへの礼拝集中に賛成し、地方聖所を持つ郷里アナトトの利益を害したとして命を狙われます。彼は神に反問します「世では悪が栄え、善人が虐げられています。この世に悪が存在するにもかかわらず、神は正しく正義であると言いうるのですか」(エレミヤ11:20)。
・エレミヤは30年間も預言活動をしましたが、人々は悔い改めず、北からの災いが現実となります。紀元前597年、バビロニア帝国が南ユダ王国を占領し、王と重臣たちが捕囚としてバビロニアに連れ去られました。第一次バビロン捕囚です。この時は、ダビデ王家はゼデキヤ王に継承されていたので、神殿も無事でした。王がいて神殿があるかぎり、国威と神の守護を期待することが可能だったので、人々は真剣に悔い改めようとはしませんでした。そして彼らはバビロンに反逆し、紀元前587年に、バビロン軍が攻め込んできて、エルサレムは徹底的に破壊され、ユダ王国は滅ぼされます(第二次捕囚)。
3.絶望から希望へ
・エレミヤ書はユダの荒廃で終わりますが、その中で33章は、絶望から希望への間奏曲となっています。エルサレム陥落後にエレミヤは預言します。「主はこう言われる。この場所に、すなわちお前たちが、ここは廃墟で人も住まず、獣もいないと言っているこのユダの町々とエルサレムの広場に、再び声が聞こえるようになる・・・私が、この国の繁栄を初めのときのように回復するからである」(33:10-11)。エレミヤは預言を続けます「万軍の主はこう言われる。人も住まず、獣もいない、荒れ果てた、この場所でまたまたすべての町々で再び羊飼いが牧場を持ち羊の群れを憩わせるようになる」(33:12)。
・羊飼いが町々に戻り、婚礼の列がまた戻ってくる。破壊の後に復興が来るとエレミヤは預言します。「見よ、私が、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる、その日、その時私はダビデの為に正義の若枝を生え出させる。彼は公平と正義をもって国を治める。その日にユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう」(33:14-16)。「正義の若枝の約束」とは、たとえダビデ王家は滅びても、「主は我らの救い」という方が来られるという希望があると語っています。このエレミヤの預言を初代教会の人々は、救い主イエスの降誕預言だと理解しました。マタイ福音書は1章21節でマリアの夫ヨセフへの受胎告知の中で、天使は「生まれてくる子の名前をイエスと名づけなさい」と命じています。イエスとはヘブル語「ヨシュア」のギリシャ語名です。そしてヨシュアとは「主は救い」という意味なのです。
4.希望から回復へ
・今日の招詞に創世記1章1-3節を選びました。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた『光あれ』。こうして、光があった」。神が天地を創造する前は、「地は混沌であって、闇が全地を覆っていた」と書かれています。そこに「光あれ」という神の言葉が響きます。すると、光が生まれ、闇が光によって切り裂かれました。「混沌、形なく虚しい」という言葉は、ヘブル語で「トーフ・ワボーフー」です。この言葉は聖書の中に2箇所出てきます。創世記1章とエレミヤ書4章です。なぜ「形なく、虚しい」という特殊な言葉が後代のエレミヤ書にあるのか。文献学的研究によれば、創世記1章は紀元前6世紀の捕囚時代に書かれた祭司資料からなるといわれています。イスラエルはバビロン王ネブカドネザルによって紀元前597年に征服されて、王を始めとする指導的な民は、捕虜として敵地バビロニアに連れていかれました。この捕囚の地での新年の祭りにバビロンの創造神話が演じられ、イスラエルの民は屈辱の中でそれを見ました。イスラエルの民は、「なぜ神は、選ばれた民である私たちイスラエルを滅ぼされ、敵地バビロンへ流されたのか」と神に訴えました。
・その時、預言者エレミヤは歌いました「私は見た。見よ、大地は混沌(トーフー・ワボーフー)とし、空には光がなかった」(4:23)。自分たちは滅ぼされた、神に捨てられた、絶望の闇がイスラエル民族を覆っていたのです。しかし、神が「光あれ」と言われると光が生じ、闇が裂かれた。ここにイスラエル人の信仰告白があります。現実の世界がどんなに闇に覆われ、絶望的に見えようとも、神はそこに光を造り、闇を克服して下さるという告白です。そのような祈りが創世記1章の記述の中に込められています。
・創世記は1章27節から人間の創造を語ります。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」(創世記1:27-28)。すべての人々は神の祝福の中に生まれてきます。罪を犯したイスラエルもまた神の祝福の中にあります。親が望まない形で生まれてきた人もまた、神の祝福の中にあります。私たちがどのような状況にあっても、神は私たちの存在を肯定しておられます。ですから私たちも自己を肯定することが出来る。男も女も、大人も子供も、健康な人も、身体の不自由な人も、みんな神の肯定の中にある。しかし、現代社会では多くの人が自分を肯定する事ができなくなり、日本では年間3万人が自ら命を断っています。1日100人の人が自分を肯定できずに自らの命を断っています。しかし、創世記は私たちに、たとえ現在が希望のない闇のように見えても、その闇は神の「光あれ」という言葉で切り裂かれるということを伝えています。創世記は捕囚の苦しみの中で生まれたのです。
5.聖書の言葉は現在の私たちへの言葉である
・神はご自分の形に私たちを創造されました。神の形とは「人格を持つ存在」として人が創造されたことを意味します。人は神が語りかけられ、それに応える存在として造られました。神と私たちの間には、「私とあなた」という人格関係が成立しています。イスラエルの人々は捕囚の地で、「あなた」ではなく、「それ」という奴隷の状態にありました。敗残者として、モノとして、卑しめられていました。その中で、神は自分たちを「あなた」と呼んで下さる。現実の「それ」という関係が、やがて「あなた」という関係に変えられる望みを、イスラエルは見たのです。
・現代日本では、非正規労働者と呼ばれる人たちは、人ではなく、モノとして扱われています。秋葉原で無差別殺傷事件が起きたのは2008年6月でしたが、犯人は派遣労働者として「モノのような扱いを受けていた」と告白しています。自動車工場で正社員の人事を行うのは人事部ですが、派遣労働者は調達部が担当していました。人事部ではなかった。同じ労働をしても、正社員と派遣労働者では給与も待遇も大きく異なります。学校を出ても大企業や役所に勤めることの出来なかった人は、派遣やアルバイトで働くしかなく、そのような非正規労働では家族を養うだけの所得を得ることが不可能な仕組みになっています。18歳あるいは22歳で有利な選択が出来なかった人、あるいは
正社員という身分から脱落した人は、生涯そのマイナスを背負って生きる、その人たちが今は働く人の半数にまでなっている。これはおかしいとみんなが感じています。捕囚になったイスラエルの人々は、「あなた」ではなく、「それ」という奴隷の状態にありました。しかし、その闇は神の「光あれ」という言葉で切り裂かれました。その言葉は現代の非正規労働者の苦難さえも切り裂く力を持っています。
・捕囚民が帰還を許されたのは、70年後でした。捕囚を通して、イスラエルの民は、『神の言葉=聖書』を中心とする信仰共同体に変えられていきました。その共同体の信仰告白を私たちは今、創世記という形で与えられています。創世記は国を滅ぼされ、絶望した人々によって、希望の書として書かれたものなのです。暗い闇の中にあっても、私たちが神の名を呼び求めれば、神は聞いて下さる。そのイスラエル人の信仰が創世記の1章2〜3節「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ』こうして光があった」。という記述の中に息づいています。
・創世記は天地がどのようにしてできたかを問う科学書ではありません。創世記に書かれていることをもとに、進化論やその他の科学的真理を否定するのは愚かな行為です。しかしまた、それは単なるに民族の起源の神話、非科学的な記述として無視するのも同じように愚かです。創世記は、捕囚という苦難の中に置かれた民が、人とは何か、神とはどなたかを追い求めた信仰の書です。捕囚という苦難中で聖書が生まれました。苦難は私たちを救うために与えられている、これが8回にわたるエレミヤ書の学びを通して与えられた結論です。