1.土地を買えとの主の命令
・紀元前597年、エレミヤの預言通り、北のバビロニヤ帝国の軍隊がユダ王国を占領し、王や指導者1万人人がバビロニヤに捕囚とされました。第一次バビロン捕囚です。しかしこの時には、ダビデ王家はゼデキヤにより継承が許され、またエルサレム神殿も無傷で残されました。王と神殿がある限り、人々は国の回復と神の保護を期待することが出来ます。従ってこの時、ユダの人々は本気では悔い改めず、エジプトを頼って反乱を起こし、そのユダ王国に再度バビロニヤ軍が押し寄せます(10年後の前589年です)。バビロン軍は大軍をもってエルサレムを包囲していましたが、その中でエレミヤは王宮の獄舎に捕えられていました。彼がバビロニヤ軍の勝利を預言し、ゼデキヤ王は捕囚とされると預言したからです。
・「ユダの王ゼデキヤの第十年・・・その時、バビロンの王の軍隊がエルサレムを包囲していた。預言者エレミヤは、ユダの王の宮殿にある獄舎に拘留されていた。ユダの王ゼデキヤが『なぜ、お前はこんなことを預言するのか』と言って、彼を拘留したのである。エレミヤの預言はこうである『主はこう言われる。見よ、私はこの都をバビロンの王の手に渡す。彼はこの町を占領する。ユダの王ゼデキヤはカルデア人の手から逃げることはできない。彼は必ずバビロンの王の手に渡され・・・お前たちはカルデア人と戦っても、決して勝つことはできない』」(32:1-5)。
・捕えられているエレミヤの所に、故郷アナトトからいとこのハナムエルが訪ねます。「伯父シャルムが土地を売るので買い戻してほしい」との要件です。ユダでは土地は神のものであり、親族以外には売ることができませんでした(レビ記25:25)。ハナムエルの用件は、土地を買ってほしいとの依頼です。敵が既に占領し、廃墟になっている土地は、値段もつかない地、当然誰も買おうとはしない。他の親族はみな断り、最後にエレミヤの所に話が来のでしょう。しかしエレミヤは主の言葉に従い、土地の買い取りを承諾します。「エレミヤは言った『主の言葉が私に臨んだ。見よ、お前の伯父シャルムの子ハナムエルが、お前のところに来て、“アナトトにある私の畑を買い取ってください。あなたが、親族として買い取り、所有する権利があるのです”と言うであろう』。主の言葉どおり、いとこのハナムエルが獄舎にいる私のところに来て言った『ベニヤミン族の所領に属する、アナトトの畑を買い取ってください。あなたに親族として相続し所有する権利があるのですから、どうか買い取ってください』。私は、これが主の言葉によることを知っていた」(32:6-8)。
・アナトトは今バビロニヤ軍の占領下にあり、現在の土地は無価値です。国が滅亡する時、将来はどうなるかわからない。エレミヤの生存も保証されていません。しかし、エレミヤはそれが主の命令であると知るゆえに無価値の土地を銀17シュケルで買います(1シュケルは銀10グラム、17シュケルは100万円くらいか)。「私はいとこのハナムエルからアナトトにある畑を買い取り、銀十七シェケルを量って支払った。私は、証書を作成して、封印し、証人を立て、銀を秤で量った・・・そして、彼らの見ている前でバルクに命じた 『・・・これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。イスラエルの神、万軍の主が、“この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る”と言われるからだ』」(32:9-15)。
2.土地を買えとの命令に従うエレミヤ
・主の命令は不条理です。敵が包囲する中で誰も荒廃した土地を買いたいとは思いません。バビロニヤ軍は明日にも城壁を破って突入し、国は滅びるかもしれない。国が滅びるまさにその時に、「あなたは私に土地を買えと言われるのですか」とエレミヤは主に抗議します。しかしエレミヤは祈ります「購入証書をネリヤの子バルクに渡したあとで、主に祈った。ああ、主なる神よ、あなたは大いなる力を振るい、腕を伸ばして天と地を造られました。あなたの御力の及ばない事は何一つありません」(32:16-17)。主は言われた「この地は廃墟となろう。しかしその廃墟を私は再び蘇らせる。人々が再び土地を売買する平和をこの地に与える」と。「この国で、人々はまた畑を買うようになる。それは今、カルデア人の手に渡って人も獣も住まない荒れ地になる、とお前たちが言っているこの国においてである。人々は銀を支払い、証書を作成して、封印をし、証人を立てて、ベニヤミン族の所領や、エルサレムの周辺、ユダの町々、山あいの町々、シェフェラの町々、ネゲブの町々で畑を買うようになる。私が彼らの繁栄を回復するからである、と主は言われる」(32:43-44)。廃墟となった都を私は立て直す、だからそれを信じて土地を買えと主は言われ、エレミヤは主の言葉に従ったのです。
3.信仰とは未来を信じることだ
・イスラエルの預言者たちは神の言葉を既に現実の事実であるように語ります。預言者的完了形と言われます。私たちはまだ実現していない「神の国」を完了形で語れるでしょうか。「神などいない」、「神の国があるならば見せと見よ」という不信と嘲笑の中で、「神の国はここにある」と語れるでしょうか。語れると思います。エレミヤはエルサレムがバビロニヤ軍に占領され、廃墟となるであろうと預言します「主はこう言われる。この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、出てカルデア軍に投降する者は生き残る。命だけは助かって生き残る。主はこう言われる。この都は必ずバビロンの王の軍隊の手に落ち、占領される」(38:2-3)。その時何が起きるのか「攻城の土塁が築かれた後、剣を帯びた敵の侵入を防ぐために、破壊されたこの都の家屋とユダの王の宮殿について、イスラエルの神、主はこう言われる。彼らはカルデア人と戦うが、都は死体に溢れるであろう。私が怒りと憤りをもって彼らを打ち殺し、そのあらゆる悪行のゆえに、この都から顔を背けたからだ」(33:4-5)。しかし壊されたものはやがて再建されます。その再建を信じよと命じられているのです。
・今日の招詞にエレミヤ33:10-11を選びました。次のような言葉です。「主はこう言われる。この場所に、すなわちお前たちが、ここは廃虚で人も住まず、獣もいないと言っているこのユダの町々とエルサレムの広場に、再び声が聞こえるようになる。そこは荒れ果てて、今は人も、住民も、獣もいない。しかし、やがて喜び祝う声、花婿と花嫁の声、感謝の供え物を主の神殿に携えて来る者が、『万軍の主をほめたたえよ。主は恵み深く、その慈しみはとこしえに』と歌う声が聞こえるようになる。それは私が、この国の繁栄を初めのときのように回復するからである」。それを信じるのが信仰です。
・人は罪の代価を買い取る必要があります。エルサレムの住民は殺され、生き残った者はバビロンの地に捕囚されました。しかしその敗北の中から新しい命が生まれます。捕囚の民にエレミヤは大胆な預言を行います。「捕囚は短期間ではなく、70年間続く。それに対応した生活をせよ」と。70年、今の世代は完全に死滅し、子や孫たちしか帰国できないという預言です。「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。(29:10-11)。
・捕囚民はエレミヤの言葉を「災い」と受け取ったでしょう。しかしエレミヤはそうではないと書き送ります。「そのとき、あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるならば見いだし、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう、と主は言われる。私は捕囚の民を帰らせる」。(29:12-14)。70年後にエルサレムに帰還できる、私たちの世代は死ぬが、子や孫たちは帰国の喜びを味わう。神の業は私たちの人生を越えて為されます。
・廃墟となる土地を買う、そのことに何の意味があるのかと人は言うでしょう。しかし神は「そのことに意味がある」と語られます。旧約学者の左近豊氏は語ります「預言者の土地購入の事実が素焼きの器だけでなく、このエレミヤ書に書き記され、共同体の正典として保管されることになったことは重要です。それは預言者個人の売買そのもの、またその生涯を越えます。聖書の民にとって、捕囚による土地喪失も永遠の遺棄ではなく、旅の途上にあることとして、さらには捕囚期をはるかに超えて続く地上の旅路を導いておられる方を仰ぎ見る信仰へと導くものなのです(左近豊、エレミヤ書を読もう、p100)。私たちの生涯は70年か80年ですが、私たちは人生を超える出来事を行うことが可能なのです。
4.私たちも未来を信じて会堂建設を行った
・篠崎の地で伝道が開始されたのは1969年、55年前です。会堂が建てられたのが1973年でした。旧会堂は1992年に増築されましたが、耐震補強等の問題が解決されませんでした。建物の老朽化が進み、耐震補強をしても地震対応は難しいことが明らかになってきました。そのため新会堂の建築が必要と判断し、2008年に建築委員会が発足し、会堂建築の模索が始まりました。当初は5千万円位あれば建つのかなとの大まかな計画でしたが、設計士をお呼びして教会建築の勉強会を進めた段階では、6千万円は必要として討議を進めました。その過程で芝浦工大の畑惣一先生が参加され、2010年3月教会総会で新会堂建築の決議が為され、最終的な建築資金を7千5百万円として設計がつめられ、2011年2月から工事が始まりました。最後には必要資金が9千万円にまで膨らんでいきました。
・当時の教会は現在会員38名、礼拝出席30名、年間の経常献金額は7百万円にすぎませんでした。また建築のための積立資金もありませんでした。最初から経常献金の10倍を超える9千万円の総工費が提示されたら、「とても無理だ」と計画は頓挫したと思います。しかし建築費用が5千万円、6千万円、7千5百万円と次第に大きくなった時、私たちは繰り返し、特別献金と教会債のお願いをし、その都度、必要な資金が備えられました。最後の段階で総工費が9千万円に跳ね上がった時も、連盟の借入金2千万円も許可され、必要資金の調達が出来ました。そして旧会堂の取り壊しが始まったのは、2011年2月でした。その直後の2011年3月に東北大震災が起こりましたが、既に旧会堂の取り壊しが終わっていたため、何の被害もありませんでした。もし旧会堂が残っていたら、一部は倒壊していた可能性がありました。不思議な神の導きを私たちは見ました。
・エレミヤはバビロンの捕囚民に手紙を書きました「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。(エレミヤ29:10-11)。あなたたちは故郷エルサレムに帰れなくとも、あなたたちの子や孫は帰れる。それを信じて今を励むのだ」と。私たちも子や孫のために、過大な負担を負いながら、教会建築を行ったのです。
・神の偉大な業が、100年会堂という形で残りました。私たちの多くは10年か20年、あるいは30年後にはいなくなるでしょう。しかしこの会堂は残り、次世代の人々の集まる場所になるでしょう。設計者の畑惣一先生は言われました。「この会堂は最初の50年間は何の補修も不要だ。そして100年後にも会堂は残り、さらに良い木の地合いになるだろう」と。この会堂がある限り、多くの人が教会に集まることが可能になったのです。私たちは、私たち自身の人生期間を超える出来事として神の会堂を建てたのです。私たちもまた、エレミヤと同じく「未来を信じて、廃墟となる土地を買う」行為をしました。神が導いて下さることを信じてです。「信仰とは神が導かれる未来を信じること」なのです。