1.寄留者イサク
・今日は8月15日の敗戦記念日を覚えて平和と戦争について考えます。人間の歴史は戦争の歴史であり、私たちの国も繰り返し戦争を行ってきました。私たち日本人信仰者は8月15日を「神の審きの日」と受け止め、戦争放棄を掲げる憲法を制定し、「もう戦争はしない」と決意しました。8月15日を敗戦記念日と呼ぶ時、そこには自分たちの罪に対して「神の審きが下された」という悔い改めがあります。私たちは中国や韓国やその他の国で取り返しのつかない罪を犯した、済まなかったという気持ちが「敗戦記念日」という言葉の中にはあります。ところが時代が移り、8月15日の「敗戦記念日」が、いつの間にか「終戦記念日」に変わります。終戦記念日と呼び変えた時、「苦しい戦争がやっと終わった」というニュアンスに変り、「私たち日本人もまた戦争で苦しめられた。原爆では大勢の人が死に、空襲でこんなに被害を受けた」という被害者意識が出てきます。
・そのような時、私たちは創世記26章、イサクの記事を読みます。創世記はアブラハム、イサク、ヤコブ、三人の父祖たちの物語を記しますが、この内アブラハムには12章から25章までの13章が当てられ、ヤコブには27章から50章までの大きな部分が割かれています。一方、イサクについて書かれているのはこの26章のみで、イサクは、アブラハム、ヤコブに比べて、影が薄い存在です。しかしイサクにはアブラハム、ヤコブにない信仰の実、「柔和と寛容」があるように思います。今日はイサクの生涯を通して、平和とは何かを学んでいきます。
・アブラハムが死んだ後、イサクは二代目族長として牧羊民である一族郎党を率います。彼はカナン南部の山岳地帯ネゲブ地方に住んでいましたが、その地方に飢饉があったため、水と食料を求めてエジプトに避難しようとします。乾燥地帯のパレスチナでは度々干ばつが起き、水が枯れ、遊牧民は水と食べ物を求めて放浪します。かつてアブラハムも食料を求めてエジプトに向かいました(12:10-20)。エジプトに行くためには通常は「海の道」を通り、その途上のゲラル(現在のガザ地域)を通過します。ところが、ゲラルに着いた時、イサクは「エジプトに下るな」という主の命令を受けます。「エジプトへ下って行ってはならない。私が命じる土地に滞在しなさい。あなたがこの土地に寄留するならば、私はあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓った私の誓いを成就する」(26:2-3)。
・イサク一族は遊牧民ですが、この寄留の地ゲラルでは耕作にも従事します。ゲラルには父アブラハムが掘った井戸があり、そこから水を得て、家畜に飲ませ、また畑を耕しました。主の祝福がイサクと共にあったので、収穫は多く、イサクは「豊かになり、ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになった」と創世記は記します(26:13-14)。すると土地の人々はよそ者の繁栄を見てイサクを妬みます。その妬みはイサクが用いていた水源である井戸を土で埋めて使えなくするという行為として現れてきます。
2.柔和な人イサク
・創世記は記します「ペリシテ人は、昔、イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めた。アビメレクはイサクに言った『あなたは我々と比べてあまりに強くなった。どうか、ここから出て行っていただきたい』」(26:15-16)。乾燥地帯のパレスチナにおいて水の確保は死活問題であり、ゲラルの人々は、イサクの井戸から豊かな水が出ることによって、自分たちの水源が枯渇する懸念を持ったのでしょう。あるいは豊かな収穫が可能な土地をよそ者に渡したくないと思ったのでしょうか。いずれにせよ、ゲラルの王まで乗り出して退去命令を出す騒ぎになりました。イサクにとって、それは承服できかねる圧力だったと思います。土地を明け渡すことは、ゲラルに定住して得た多くの富を失うことであり、また神からいただいた約束「これらの土地をすべてあなたとその子孫に与える」(26:3)が反故にされることでした。イサクは反論出来たはずですが、彼は何も言わずにそこを去り、ゲラルの谷に移動します(26:17)。
・移動した所にも、かつてアブラハムが掘った井戸がありましたが、それらの井戸もゲラルの人々がふさいでしまっていました。イサクは埋められた井戸を掘り直し、その一つから豊かな水が湧き出てきました。するとゲラルの羊飼いたちは「その水は我々のものだ」として、イサクの羊飼いと争いました(26:20)。イサクはその井戸をエセク(争い)と名づけて譲渡し、自分たちは場所を移動します。イサクはやがてもう一つの井戸も掘り当てますが、それについてもゲラルの人々は所有権を主張してきました。イサクはその井戸をシトナ(敵意)と名づけ、また場所を移動して新しい井戸を掘ります。
・掘った井戸をあきらめることは大変な労苦でした。乾燥地帯ですので、どこでも水が出るわけではなく、また僅かな道具を用いて岩山を掘り崩す行為は大変な労力を要したでしょう。しかしイサクは井戸を掘り続け、今度は、争いは起きませんでした。ゲラルから相当離れた場所まで来たからでしょうか。イサクはその井戸を「レホドト」と名づけます。「今や、主は我々の繁栄のために広い場所(レホドト)をお与えになった」(26:22)。イサクはやがてその場所も離れ、かつて父アブラハムが住んだベエル・シェバに移り、そこに祭壇を築いて主の名を呼びました。その夜、主がイサクに現れ彼を祝福します「私は、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。私はあなたと共にいる。私はあなたを祝福し、子孫を増やす、わが僕アブラハムのゆえに」(26:24)。イサクはベエル・シェバでも井戸を掘り、やがてそこからも水が出て、その井戸の名を「シブア(誓い)」と名づけます(26:33)。主の誓いをいただいた場所だからです。祝福がイサクにあり続けたのです。
・このイサクの井戸掘り物語を読んで、ペシャワール会の中村哲さんを思い起こしました。バプテスト教会の先達、中村哲さんは1984年に日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から、アフガニスタン国境の町ペシャワールの診療所に、ハンセン病治療のために派遣された医師でした。しかし、いくら治療しても患者は減らず、逆に増えて行く現実の中で、今必要なことは医療よりも、病気の原因である飢餓と不衛生な水の摂取を減らすことだと知りました。彼はまず井戸を掘って衛生的な水を供給し、次に水路建設を行って砂漠を農地にすることを自らの使命とし、以来25年開拓を実行してきました。彼は1000に近い数の井戸を掘り、さらに10年間をかけてインダス川支流から水路を引き、かつて「死の谷」と呼ばれた砂漠が、今では緑の地に変っています。中村哲さんの働きに現代のイサクが見えるのではないでしょうか。
・やがてアフガニスタンはアメリカとの戦争に巻き込まれ、水路工事を行う中村哲さんの上空を武装ヘリコプターが飛び交います。彼は語りました「彼らは殺すために空を飛び、我々は生きるために地面を掘る」。人間はミサイルや爆薬を用いて町や村を破壊し、無数の人びとを不幸のどん底に落とすことができます。一方で、砂漠に水を引き、緑をよみがえらせ、無数の人々に幸福をもたらすこともできます。すべては私たちの選択にかかっています。中村哲さんは亡くなりましたが、多くの人々が意思を継いで活動しています。私たちもペシャワール会への献金を通して、中村哲さんの意思をつなぎたいと願います。
3.平和を創り出す人
・今日の招詞に詩編37:11を選びました。次のような言葉です「柔和な人は地を継ぎ、豊かな平和に自らをゆだねるであろう」(口語訳)。イエスは山上の説教の中で、「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐであろう」(マタイ5:5)と祝福されました。新共同訳では37:11を「貧しい人」と訳しますが、口語訳は「柔和な者」と訳します。「柔和な人々は地を受け継ぐであろう」。柔和な者とは、神に身を委ねた者であり、決して温和な、おとなしい者という意味ではありません。暴力的な悪人たちからの抑圧に耐え、怒りを抑制し、神の救いを待ち望む者です。そこには強い意思が必要であり、おとなしいだけでは務まりません。おとなしいだけでは、「地を継ぐ」ことは出来ないのです。
・創世記26章のイサクは譲歩を繰り返しました。信仰の目から見れば、イサクの行為こそが、「柔和な人」の有り様です。イサクは神が「この地をあなたとあなたの子孫に与える」と言われたその約束を信じ、周りの人たちと争いなく生活出来る場が与えられるはずだと思いました。争いが起こる間はまだそこは神が用意された場所ではない、だから譲歩して新しい井戸を掘りました。そして誰からも異議が出なくなった時、そこを自分のものとしました。信仰が本物になる時、これは自分が切り開いた畑だ、これは自分が掘った井戸だという思いから解放されるのです。これが「柔和な人」の生き方です。
・イサクはアブラハムのように自分の道を切り開いていった創業者ではなく、ヤコブのように多くの子どもたちを与えられ、民族を形成して行った人でもありません。しかし彼は神の祝福を継承し、それを他者に与える人になりました。神から祝福を受けるとは、「幸せな生涯」を送る事ではありません。そうではなく、「祝福を持ち運ぶ」人になることです。自分の生涯に意味を見出した者は、神の平和(祝福)の下にあるのです。イサクの子孫である現代のイスラエル人がイサクの「柔和さ」を学んだ時、戦後70年以上も解決しない「パレスチナ紛争」は収まる可能性を持ちます。平和を構築するためにはお互いが譲り合いを行うことが必須なのです。
・しかし現代のイスラエル人は「ここは神が与えると約束された土地だ」として、武力でパレスチナ人の土地を奪い取ってきました。それに対して、ゲラルの子孫であるパレスチナ人たちは、テロ行為で反撃してきました。それに対してイスラエルは激しく反撃し、居領地の病院や学校に爆弾を落とし、数万人の女性や子供たちが亡くなっています。イサクが寄留したゲラルの地が現代の紛争地帯であるガザ地区にあることの意味を考えるべきです。ガザでの紛争は、3500年前の争いが再現されているのです。イスラエルはアメリカの支援を受けて、パレスチナの民族そのものを抹殺しようとしています。これは自衛権の範囲を大きく逸脱した行為です。戦争を止めるために、国連はもちろん、イスラエルを支援しているアメリカも再度創世記を読むべきです。
・神はイスラエルとパレスチナの共存を願っておられ、一方的な迫害行為を許されない方です。その中で希望の持てる出来事もあります。「アブラハム合意」です。アブラハムはイサクを生み、イサクはユダヤ人の祖になりますが、もう一人の子、イシマエルはアラブ民族の祖になって行きます。つまり、ユダヤ人とアラブ人は共にアブラハムの子であり、この「アブラハム合意」により、2020年にはイスラエルとUAEが国交を正常化し、2023年にはイスラエルとサウジアラビアとの「アブラハム合意」の交渉が為され、今回のガザ紛争がなければ、イスラエルとパレスチナとの二国家承認が為されるはずでした。一日でも早く、ガザの問題が解決され、両国の平和共存に道が開かれることを祈って行きましょう。
・28節以下にかつてイサクを迫害したゲラル王がイサクを訪問する記事がありますが、ゲラル王は「主があなたと共におられることがわかった」ので、お互いに侵略しないという不可侵条約を結ぼうと提案してきます(26:28)。自分だけの権利を主張せず相手に譲りながら、それでも所期の目的を忘れず井戸を掘り続け、掘った井戸全てから豊かに水が与えられるのを見て、異邦人の王はそこに「神の業」を感じたのです。イサクはこの異教徒にも祝福を与えて送り出しました。ここに教会の業があります。イサクの業を現代に祈っていくのです。パレスチナの戦争においても、共に譲歩し、共存する可能性を私たちは訴えるべきです。近隣の方々が礼拝に集まる私たちを見て、「主があなたがたと共におられることがわかった」と感動し、仲間にして下さいと語る、そのような教会形成をしたい。「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐであろう」。この言葉を平和礼拝の今日、改めて覚えたいと思います。