1.知恵を求める者は幸いを得る
・箴言は古代イスラエルの知恵であり、そこには、「神の戒めを守る者には神の祝福が与えられる」という思想が一貫して流れている。
-箴言3:1-4「わが子よ、私の教えを忘れるな。私の戒めを心に納めよ。そうすれば、命の年月、生涯の日々は増し、平和が与えられるであろう。慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ。それらを首に結び、心の中の板に書き記すがよい。そうすれば、神と人の目に好意を得、成功するであろう」。
・主の道を歩む者を主は祝福される。その祝福とは「豊かな実りと収穫」である。また「自分を見て知恵ある者と思うな」と諭されている。自分を賢いと思う者は過ちを犯しやすい。
-箴言3:6-10「常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり、あなたの骨は潤されるであろう。それぞれの収穫物の初物をささげ、豊かに持っている中からささげて主を敬え。そうすれば、主はあなたの倉に穀物を満たし、搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる」。
・しかし著者は人生が波瀾万丈であることを知っている。人生には困難も苦痛もある。彼は、苦難は人間を鍛錬するための神の知恵と考えている。
-箴言3:11-12「わが子よ、主の諭しを拒むな。主の懲らしめを避けるな。かわいい息子を懲らしめる父のように、主は愛する者を懲らしめられる」。
・ヨブ記に登場するエリパズはこの知恵の立場から、ヨブに「与えられた苦難を受け入れよ」と求める。
-ヨブ記5:17-18「見よ、幸いなのは神の懲らしめを受ける人。全能者の戒めを拒んではならない。彼は傷つけても、包み、打っても、その御手で癒してくださる」。
・この言葉はまた新約・へブル書にも継承される。
-ヘブル12:4-7「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。『わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。』あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか」。
・しかし、苦難の意味がわからない時、苦難の出口が見えない時、知恵の言葉は何の救済力もない。ヨブはただ死を願う。
-ヨブ記6:4-9「全能者の矢に射抜かれ、私の霊はその毒を吸う。神は私に対して脅迫の陣を敷かれた。青草があるのに野ろばが鳴くだろうか。飼葉があるのに牛がうなるだろうか・・・神よ、私の願いをかなえ、望みのとおりにしてください。神よ、どうか私を打ち砕き、御手を下し、滅ぼしてください」。
・ヨブの救済はヨブが神と出会うことによって為された(42:5-6)。苦難は、苦難を通して神に出会う。そして苦難の意味が分かった時に、はじめて苦難ではなくなるのだ。ヨブ記36:15-17は黄金の言葉だ。
-ヨブ記36:15-17「神は貧しい人をその貧苦を通して救い出し、苦悩の中で耳を開いてくださる。神はあなたにも苦難の中から出ようとする気持を与え、苦難に代えて広い所でくつろがせ、あなたのために食卓を整え、豊かな食べ物を備えてくださるのだ。あなたが罪人の受ける刑に服するなら、裁きの正しさが保たれるだろう」。
- 貧しい隣人に手を閉じるな
・13節から知恵賛美が始まる。著者は「知恵を得た者は右手に長寿を、左手には富と名誉を持つ」と語る。
-箴言3:13-16「いかに幸いなことか、知恵に到達した人、英知を獲得した人は。知恵によって得るものは銀によって得るものにまさり、彼女によって収穫するものは金にまさる。真珠よりも貴く、どのような財宝も比べることはできない。右の手には長寿を、左の手には富と名誉を持っている」。
・主と共にある時、主はあなたを見守ってくださると教えられる。
-箴言3:21-26「わが子よ、力と慎重さを保って、見失うことのないようにせよ。そうすれば、あなたは魂に命を得、首には優雅な飾りを得るであろう。あなたは確かな道を行き、足はつまずくことがない。横たわるとき、恐れることはなく、横たわれば、快い眠りが訪れる。突然襲う恐怖、神に逆らう者を見舞う破滅に、おびえてはならない。主があなたの傍らにいまし、足が罠にかからないように守ってくださる」。
・箴言の基本は隣人との共生である。「貧しい隣人に手を閉じるな」と語られる。
-箴言3:27-30「施すべき相手に善行を拒むな。あなたの手にその力があるなら。出直してくれ、明日あげよう、と友に言うな。あなたが今持っているなら。友に対して悪意を耕すな。彼は安心してあなたのもとに住んでいるのだ。理由もなく他人と争うな。あなたに悪事を働いていないなら」。
・「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7:12)とイエスは言われたが、ラビ文献にも同じような言葉がある。イエスの言葉も知恵文学を基本にしているのだ。
-ラビ・ヒルレル「あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな」。
-トビト記4:15「自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない」。
・信仰は良い行為をもたらす。その結果、人生は安泰になる。たとえ、そうでない場合があったとしても、神は見ておられる。それが知恵文学の立場だ。
-箴言3:31-35「不法を行う者をうらやむな、その道を選ぶな。主は曲がった者をいとい、まっすぐな人と交わってくださる。主に逆らう者の家には主の呪いが、主に従う人の住みかには祝福がある。主は不遜な者を嘲り、へりくだる人に恵みを賜る。知恵ある人は名誉を嗣業として受け、愚か者は軽蔑を受ける」。
3.箴言3章の黙想
・箴言3章16節は語る「知恵を得た者は右手に長寿を、左手には富と名誉を持つ」。知恵文学も繁栄の神学を求めるのだろうか。現代人が求めるものも長寿と富と名誉である。米国や韓国では「繁栄の神学、あるいは成功の神学」を掲げる教会には多くの人が集う。
-森本あんり「宗教国家アメリカのふしぎな論理」から「前アメリカ大統領ドナルド・トランプは破天荒な大統領だが、同時に熱心なクリスチャンとして知られる。彼が信奉するキリスト教は『成功の神学』である。聖書では神と人間の関係を、神は人間が不服従な時にも一方的に恵みを与えるという「片務契約」で理解するが、ピューリタニズムがアメリカに移植される過程で、「片務契約」は「双務契約」へと転移していく。双務ということは、人間は神に従い、神は人間に恵みを与える義務があるというものだ。これは信賞必罰、ギブ・アンド・テイクの論理である。『自分は成功した。大金持ちになった。それは人びとが自分を認めてくれただけではなく、神もまた自分を認めてくれたからだ。たしかに自分も努力した。だが、それだけでここまで来られたわけではない。神の祝福が伴わなければ、こんな幸運を得ることはできなかったはずだ。神が祝福してくれているのだから、自分は正しいのだ』」。
・このような時流にのる教会群がメガチャーチ(Megachurch)と呼ばれる。毎週の礼拝者が2,000人以上のプロテスタント(ペンテコステ派)のキリスト教会である。メガ・チャーチは世界で最も成長しているキリスト教会の伝道スタイルであり、世界的に発展を遂げている。特に宗教に無関心な若年層から多く支持されており、伝道において重要な役割を担っている。カリスマ牧師により運営され米国では過去20年間で4倍に増加し、全米でおよそ1300以上のメガ・チャーチが存在し、上位50の教会の平均出席信徒数は1万人を超える。実に米国のクリスチャンの10人に約1人、約500万人がメガ・チャーチで礼拝に出席している。また、大規模なライブ仕立ての礼拝(ワーシップ)が行われることでも有名であり、さながらコンサートホール並みの音響設備と照明設備を備えている。一部のメガ・チャーチとその牧師は、「繁栄の福音」を推進しているとの批評家から非難されている。これにより牧師の富が増し、デザイナーの服を着て高級車を所有していることが明らかになった教会もある。(ウィキペディアから)。
・しかし、イエスが示すものは繁栄の神学ではなく、十字架の神学だ。
-第一ペテロ2:21-25「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。この方は・・・十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担ってくださいました。私たちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです」。