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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

聖書教育の学び

2022年10月9日聖書教育の学び(2014年4月3日祈祷会、エズラ記3章、礼拝の開始と神殿基礎の建設)

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1.礼拝の開始

 

・前538年バビロニヤ帝国を滅ぼしたペルシア王クロスは捕囚民の帰国命令を出す。帰国したのは大祭司ヨシュア、総督ゼルバブルに率いられた42,360人であった(2:64)。彼らは帰国後すぐに壊された神殿に仮の祭壇を築き、礼拝を始めた。前537年第7の月(太陽暦9~10月)のことであった。しかし、人々は先住民に妨害されることを畏れたとエズラ書は書く。

-エズラ記3:1-3「第七の月になって、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、民はエルサレムに集まって一人の人のようになった。祭司たち、すなわちヨツァダクの子イエシュアとその兄弟たちは、シェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちと共に立ち上がり、イスラエルの神の祭壇を築き、神の人モーセの律法に書き記されているとおり、焼き尽くす献げ物をその上にささげようとした。彼らはその地の住民に恐れを抱きながら、その昔の土台の上に祭壇を築き、その上に焼き尽くす献げ物、朝と夕の焼き尽くす献げ物を主にささげた」。

・彼らの生活の中心は礼拝であったから、帰国した彼らは最初に礼拝を持って新しい生活を始めた。しかしやがて先住のサマリヤ人たちとの間に争いが起こる。帰国した人々は自分たちこそ正統のイスラエルであり、捕囚にならなかった人々や異邦人との混血の人々を「あなたたちはイスラエルではない」と排除した。

-エズラ記4:1-3「ユダとベニヤミンの敵は、捕囚の子らがイスラエルの神、主のために聖所を建てていることを聞いて、ゼルバベルと家長たちのもとに来て言った『建築を手伝わせてください。私たちも同じようにあなたがたの神を尋ね求める者です。アッシリアの王エサル・ハドンによってここに連れて来られたときから、私たちはこの神にいけにえを捧げています』。しかし、ゼルバベルとイエシュア、他のイスラエルの家長たちは言った『私たちの神のために神殿を建てるのは、あなたたちにではなく、私たちに託された仕事です・・・私たちだけでイスラエルの神、主のために神殿を建てます』」。

・帰還民は約束の地への復帰を第二の出エジプトとして祝って仮庵の祭りを行った。仮庵の祭りこそ、エジプトを出た後、荒野で40年間放浪したこと記念する祭りであった(レビ記23:42-43).

-エズラ記3:4-5「書き記されている通り仮庵祭を行い、定めに従って日ごとに決められた数を守って日ごとの焼き尽くす献げ物を捧げた。その後、絶やすことなく捧ぐべき焼き尽くす献げ物、新月祭、主のすべての聖なる祝祭、主に随意の献げ物をするすべての人のために献げ物を捧げた」。

 

2.神殿基礎の建築

 

・帰還民は神殿再建のために、破壊された神殿の跡地に新しい神殿の基礎を据えた。紀元前536年の第二の月(太陽暦4~5月)、帰還後半年が経過していた。

-エズラ3:6-9「第七の月の一日に、彼らは主に焼き尽くす献げ物をささげ始めた。しかし、主の神殿の基礎はまだ据えられていなかった。彼らは石工と大工に銀貨を支払い、シドン人とティルス人に食べ物と飲み物と油を与え、ペルシア王キュロスの許しを得て、レバノンから海路ヤッファに杉材を運ばせていた。エルサレムの神殿に帰った翌年の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは彼らの他の兄弟たち、祭司とレビ人、および捕らわれの地からエルサレムに帰って来たすべての人と共に仕事に取りかかり、二十歳以上のレビ人を主の神殿の工事の指揮に当たらせた。イエシュアもその子らと兄弟たち、カドミエルとその子ら、ホダウヤの子らと一緒になって、神殿の工事に携わる者を指揮することとなった。ヘナダドの子ら、およびその子らと兄弟たち、レビ人も同様であった」。

・神殿の基礎を据えた人々は集まって感謝の礼拝を持った。彼らは一つになって「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と讃美した。その讃美は400年前のソロモンの神殿奉献時に歌われた讃美であった(歴代誌下7:3)。

-エズラ3:10-11「建築作業に取りかかった者たちが神殿の基礎を据えると、祭服を身に着け、ラッパを持った祭司と、シンバルを持ったアサフの子らであるレビ人が立って、イスラエルの王ダビデの定めに従って主を賛美した。彼らも「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と唱和して、主を賛美し、感謝した。主の神殿の基礎が据えられたので、民も皆、主を賛美し大きな叫び声をあげた」。

・しかし神殿建設は基礎を据えた段階で中断し、再開されたのは15年後の前520年であった。それは帰還民の生活が苦しかったことと同時に、彼らが先住のサマリヤ人たちと協力せず、自分たちだけで神殿を再建しようとしたため、先住民たちからの妨害が入ったためであった。

-エズラ4:4-5「そこで、その地の住民は、建築に取りかかろうとするユダの民の士気を鈍らせ脅かす一方、ペルシアの王キュロスの存命中からダレイオスの治世まで、参議官を買収して建築計画を挫折させようとした」。

・人は何故異なる人たちと共に礼拝を持つことが出来ないのだろうか。初代教会が躓いたのも、ユダヤ人キリスト者の群れに異邦人たちが加わってきた時であった。これは後に教会分裂へとつながっていく。

-使徒11:1-4「使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』と言った。そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた」。

-ガラテヤ2:11-14「ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、私は面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました・・・皆の前でケファに向かってこう言いました『あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか』」。

 

*エズラ3章参考資料:

2014.04.03朝日新聞(社説余滴)考える場を奪うむなしさ~上野千鶴子氏講演会を聞いて 井田香奈子

 

・お年寄りを中心に450人がつどい、立ち見も出る盛況だった。先月、山梨市が開いた社会学者上野千鶴子さんの講演である。テーマは「ひとりでも最期まで在宅で」。担当課が昨年から準備していた。ところが2月に初当選した市長が突然、中止すると言いだした。性の問題に関する上野さんの過去の発言から、ふさわしくないと判断したのだという。これに市民から批判が相次いだ。各地の地方議員たちも開催を申し入れた。直前になって市長は中止を撤回した。

・特別な感慨をもってここにいる。上野さんが聴衆にそう話したのももっともだろう。ふだん会えない人の話を直接聞ける講演という場。自治体がはたす役割は大きい。今回のどたばたが、自治体関係者のなかに、無難な人選がいちばん、という空気を生みはしないかが気になる。これまでも男女平等や性を正面から扱おうとすると横やりが入ることがあった。2005年に東京都国分寺市が上野さんを招いた人権講座が中止され、08年には配偶者間の暴力にかんする別の人の講演が取りやめになった。いずれも、げんに深刻な問題を抱えている人がいて、目をそむけてすますわけにはいかないテーマである。今回の講演も実現はしたが、山梨市側は性教育のことは話さぬよう、上野さんに事前に念押ししたそうだ。

・干渉と自粛はときにさりげない。表面化する方が珍しいのだ、という指摘も聞いた。結局、自分とは違う考え方とどう向き合うかという問題にたどりつく。発言の場を奪うのではなく、相手の意見を聞いて、同意できなければ批判や反論をする。いろんな人が社会でともに暮らすなかで、培ってきた知恵のはずだ。講演の日。山梨市長は冒頭、混乱をわびたが、講演が始まる前に退席した。その背中に客席から「市長、聞かなきゃ」という声が飛んだ。聞きに来た人たちは、上野さんの考え方のすべてに同意する人ばかりではなかっただろう。会場からはいろいろな質問や意見が出て、難しさや悩みの共有があった。だれの話を聞きにいくか、聞いてどう感じるかは、一人ひとりが決めることだ。「あの人はこうだから」と分類し、考える場を取り上げようとすることがいかに無用か、痛感させられた。

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