- イエスの使信にヨハネがつまずく
・今日の宣教箇所マタイ11章前半は、洗礼者ヨハネがイエスにつまずいた記事です。洗礼者ヨハネはイエスに洗礼を授けたイエスの師でした。ヘロデ大王の死後、後継者アルケラオは罷免され、彼の支配していたユダ地方はローマ総督が治める属州になりました(紀元6年)。民衆はローマの植民地化に不満を持ち、反乱が続出し、世情は騒然としていました。そのような中、洗礼者ヨハネが現れ、「神の国は近づいた」、「終末の裁きの時が近づいた」と宣言し、人々に悔改めを迫りました。人々はヨハネの宣教に心動かされました。故郷ナザレにおられたイエスも、ヨハネが「世の終わりが来た」として宣教を始めたのを聞かれ、「内なる声」に導かれて、ユダに来られ、彼からバプテスマを受けられました(3:13)。イエスは受洗後も、故郷には戻られず、ヨハネの下で学びを深められました。
・しかし、イエスは次第にヨハネの言動に違和感を持たれるようになります。ヨハネのように「罪びとを断罪し、悔い改めに至らせる」ことが、果たして「神の国の知らせなのか」という疑問を持たれたのです。やがてヨハネはガリラヤ領主ヘロデ・アンテイパスを批判して捕えられ、死海のほとりのマケロス要塞に幽閉されます。イエスはそれを契機にヨハネ教団から独立して、宣教を始められます。マタイは記します「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた・・・その時から、イエスは『悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた』」(4:12-17)。
・イエスの評判が獄中のヨハネに届きます。ヨハネの使信は、「裁きの時は近づいた、悔改めなければおまえたちは滅ぼされる」というものでした。ヨハネが期待したメシアは、不信仰者たちを一掃し、新しい世を来たらせる裁き主でした(3:11-12)。しかし、イエスは罪びとと交わり、貧しい人を憐れみ、病人を癒されている。裁きの時に罪びとは滅ぼされる運命にあるのに、イエスは罪びとの救いのために尽力されている。だからヨハネはイエスに尋ねます。「イザヤの預言した、来るべき方はあなたなのですか。あなたは本当にメシアなのですか」(11:3)。「来るべき方」とは終末に期待されたメシアのことです。
・そのヨハネにイエスはイザヤ35:5-6を引用してお答えになります。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(11:4-5)。イエスは人々に天の父が彼らを愛し、養い、導いて下さることを告げ知らせました。その喜ばしい知らせのしるしとして、病や悪霊に苦しんでいる者を癒されました。しかし、人々は理解しなかったし、ヨハネもわかりません。人々は自分の期待を込めた勝手なメシア像を作るのです。民衆は「貧しい暮らしから解放するメシア」を求め、支配者は「ローマから解放してくれるメシア」を求め、ヨハネは「悪に満ちた社会を裁き、正義と公平を実現されるメシア」を求めていました。
2.私につまずかない者は幸いである
・イエス自身もそのことを知っておられた故に言われます「私につまずかない人は幸いである」(11:6)。「つまずく」の原語は「スカンダロン」、鳥や獣をとらえるための「わな」を指し、この言葉から英語「スキャンダル」が生まれています。イエスはユダヤ人にとって不浄とみなされた取税人や罪びとと食事を共にされました。触れてはいけないと禁止されていたらい病人に触れて彼を癒されました。当時の人々が「罪びと」として排斥し、「不快だ」と思っていた人々にこそ、救いが必要だと判断され、行動されました。人々はそのようなイエスにつまずきました。それは「スキャンダル」だと人々は思ったのです。
・イエスが期待したような方でないことがわかると、民衆はイエスに失望し、離れて行きます。それをイエスは次のように言われました「笛を吹いたのに踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに悲しんでくれなかった」(11:17)。ヨハネが来て「罪を悔い改めよ」と言うと、「ヨハネは人間の罪ばかりを見て、悔い改めよとしか言わない。彼は悪霊につかれている」と批判し(11:18)、イエスが来て「喜べ」と言うと、「断食もせず、罪びとと交わっている。大食漢の大酒飲みで、徴税人や罪びとの仲間だ」と受入れません(11:19)。イエスにつまずいた人々は、やがて「イエスを十字架につけろ」と叫び始めます(27:22)。
・弟子たちもまたイエスにつまずきました。イスカリオテのユダはイエスを裏切った弟子として嫌われていますが、彼はイエス共同体の財政責任を担っていた人物です。他の弟子たちと違って、イエスと同じユダ族の出身であり、学識もあり、おそらくイエスから最も信頼されていた人物です。その人物がイエスにつまずきました。ユダは解放者メシアを求め、イエスが無力であることを見て、失望し、つまずいたのです。人々は自分の期待を込めたメシア像を抱きます。人々にとってメシアとは、自分たちの願いをかなえてくれる人のことでした。イエスがそうでないことを知った時、ユダはつまずいた。ほかの弟子たちもつまずいた。だからイエスの十字架時には、弟子たちは皆逃げ去りました。
・人々はイエスに、キリストにつまずきました。キリストが来ても何も変わらない。生活は良くならないし、ローマは相変わらずユダヤを支配し、世の不正や悪は治らない。「本当にこの人はメシアなのか」というつぶやきが生まれます。このつまずきは私たちにもあります。信じてバプテスマを受けても、病気が治るわけではないし、苦しい生活が楽になるわけでもない。私たちも心のどこかで疑っています「この人は本当にメシア、救い主なのだろうか」、「この人に自分の人生を委ねても良いのだろうか」と。
3.つまずきを超えて
・今日、私たちは招詞として、マタイ11:28-30を選びました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである」。私たちは、この招きが、人々の心がイエスから離れ、最大の理解者であったはずのヨハネさえもイエスにつまずいた後でなされたことに注目すべきです。人間的にみれば、四面楚歌の中で、なおもイエスは人々のために、「重荷を負おう」と申し出られています。イエスがここに言われる「重荷」とは直接的には、「ファリサイ派の人々が課した律法の重荷」でしょう。彼らはこまごまとした律法の解釈を人々に押し付け、守れない人を罪びとして世から排除していました。福音書を書いたマタイも徴税人として世から疎外されていました。その徴税人の自分にイエスは声をかけてくれた。マタイにとり、イエスは恩人です。しかしマタイを含めた弟子たちも、彼らを招かれたイエスを見捨てて逃げます。
・十字架に照らされて、初めて、私たちは自分たちの罪が見えます。人を愛そうとしても出来ないし、他者に尽くそうとしても出来ない。他者の痛みを理解することさえ出来ない。十字架を通して罪を知った弟子たちは、復活を通して赦しを知りました。逃げ去った彼らの許に復活のイエスが来られ、彼らに宣教の業を委ねられました。弟子たちは悔い改め、赦しに涙しました。弟子たちの生活は変えられていきます。イエスの死後、弟子たちは「イエスは復活された。イエスこそメシアである。私たちはその証人だ。だから、あなたたちも悔い改めて、イエスの招きを受入れなさい」と説きました。ユダヤ当局者は彼ら捕らえ、鞭打ちますが、弟子たちは宣教を続けました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい」という言葉をイエス亡き後、弟子たちが代わりに担って行ったのです。
・「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい」というイエスの言葉を刻んだ建物が、ニューヨーク港の入り口に建てられている「自由の女神像」です。その台座にはエマ・ラザラスの14行詩が刻まれています「疲れし者、貧しき者を我に与えよ。自由の空気を吸わんと熱望する人たちよ・・身を寄せ合う哀れな人たちよ。住む家なく、嵐にもまれし者を我に送りたまえ。我は、黄金の扉にて灯を揚げん」。アメリカはピルグリム(巡礼者)と呼ばれたイエスの弟子たちの理想をもって建国されました。そして各国からの移民を受け入れ、「疲れし者、貧しき者は私たちの国に来なさい」というイエスの言葉を移民が到着する港の入り口に掲げたのです。もちろん、アメリカ国内に様々な人種差別があり、移民排斥運動があるのも事実です。しかし現実に彼らは毎年数百万人を超える移民や難民を受け入れています。それが社会を活性化しています。他方日本では労働力不足を補うための外国人技能研修性は受け入れますが移民、難民は一切拒否しています。どちらが「イエスのみ旨に近い生き方か」は明らかです。
・カトリック司祭英(はなふさ)隆一郎氏は語ります「現代日本社会においては絶えず勝ち続けなければならない。子どもたちは偏差値で評価され、高校は東大に何人入ったかで評価される。企業は絶えず売り上げを伸ばし、株価を上げることが至上命令である。大企業も業績が悪化してしまうともう身売りをせざるを得ない。勝ち組は少数で膨大な負け組を生み出し続けている。街からは競争に敗れた個人商店や小売業は見かけなくなった。雇用も増えているのは非正規雇用者のみである。このような競争レースから降りることの方が人間的な生き方に戻る道ではないか」(英隆一郎「黙示録から現代を読み解く」)。内向きに自分たちのことばかりを考えている社会はこの様に閉塞的になります。「疲れた者、重荷を負う者は来なさい」として他者に門戸を開くことで、日本のゆがんだ社会を変えることができると思います。日本の教会は社会の中ではまことに小さな存在であり、まさに一粒の種にすぎません。それでも私たちは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい」と言われたイエスの言葉を繰り返し、胸に刻み、伝えていきたいと願います。