江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年4月5日礼拝説教「ヨハネ19:17-28、君もそこにいたのか」

投稿日:2020年4月4日 更新日:

1、罪なきイエスを裁く者の罪

 

・私たちは今、受難節の中にあります。一週間後の4月10日金曜日は受難日です。イエスはピラトの法廷で死刑の判決を受け、刑場まで連れて行かれました。ヨハネ福音書は記します「イエスは、自ら十字架を背負い、『されこうべの場所』、ヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。」(19:17)。十字架刑の宣告をうけた罪人は自分が架けられる十字架を背負わされ、刑場へ向かうことになっていました。十字架は縦木と横木を組み合わせたもので、相当な重さです。刑場へ向かう道はでこぼこの悪路でした。そこを罪人が十字架を背負わされ、道の両側には物見高い群衆が押し寄せ、衆人環視の中を、重い十字架を背負わされて刑場へ向かう、十字架刑はその最初からすでに恥と苦しみの残酷な刑罰でした。

・アウグスティヌスは十字架を背負って歩むイエスの姿を次のように描写します。「何という偉大な光景か。だが不敬虔な者が見れば大いなる戯れである。敬虔な者が見れば、偉大な秘儀である。だが不敬虔な者が見れば、大いなる恥辱の見本である。敬虔な者が見れば大いなる信仰の砦である。だが不敬虔な者が見れば、王杖の代わりに自分の罪の木を運ぶ道化である。敬虔な者が見れば、自分を貼り付けにするための木を運ぶ主を見るであろう」(アウグスティヌス著作集25巻)。肉の目で見るか、信仰の目で見るかによって、十字架を背負って歩かれるイエスの姿はまるで異なってきます。私たちはどちらの側に立つのでしょうか。

・ヨハネは記します「(されこうべの場所で)彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒に他の二人をも、イエスを真ん中にして、両側に、十字架につけた。」(19: 18)。「されこうべ」という名称はヘブライ語「ゴルゴタ」ですが、ラテン語では「カルバリ」となり、カルバリの方が讃美歌等では、広く通用しています。十字架刑はローマが政治犯に適用する極刑で、両手両足を木に釘づけにしました。そのため、釘づけにされた両の手と足に体重がかかり、手と足はだんだん引き裂けて、焼けるような痛みが起こり、貧血と痛みによる気絶と蘇生を繰り返し、数日間生死の間をさまよい、力つきて死を迎える刑でした。十字架の刑は人間に極限の苦痛と、辱めを与える刑罰です。それは、「権力に背いた者はこうなる」という見せしめの刑でもありました。

・十字架の上には、罪人の処刑理由を記した「罪状書き」を掲げるのが慣わしになっていました。ピラトは「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と罪状書きに書きました。祭司長たちは、ピラトに「ユダヤ人の王」と書かずに、「この男はユダヤ人の王を自称していた」と書いてほしいと訴えましたが、ピラトは彼らの要求には応じませんでした。こうしてイエスは「ユダヤ人の王」として、十字架にかけられることとなります。その罪状書きがヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれたという記事は象徴的です。それはイエスがユダヤ人のみならず、ギリシャ人にもローマ人にも主であることを主張しています。

・ヨハネ福音書は十字架につけられたイエスの衣服を、兵士たちが分け合い、下着については「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めようと話しあった」と記述します(19:24)。ヨハネはそれを「彼らは私の服を分け合い、私の衣服のことでくじを引いたという聖書の言葉が実現するためであった」(19:24)と記します。「衣服のことでくじを引く」、詩編22:19の引用です。ヨハネが「兵士たちがイエスの服をわけ合った」と書いたのは、旧約の預言が成就したことを語るためです。預言の成就とは、十字架が神の意志によって起こったことを指します。イエスは、世を愛し、人を愛し、福音を伝え、癒しの業を行い、人々を救いました。それなのに、最後の最後には身に着けた下着まで奪われ、全てのものを与えたすえに、十字架の辱めをうけ、命まで奪われました。しかしそれは神の御心だったとヨハネは詩篇を引用して述べます。ヨハネが私たちに伝えますのは、「イエスは王であった」、「しかし十字架につけられた王であった」ということです。キリスト教は4世紀にローマの国教になった後、体制宗教になり、大聖堂やパイプオルガンが備えられ、栄光のキリストが讃美されていきますが、これは聖書の語るキリストではありません。聖書の語るキリストは、「一粒の麦として死んで行かれた」(ヨハネ12:24)方です。

 

2.君もそこにいたのか

 

・聖歌400番「君もそこにいたのか」は、黒人霊歌「Were You There」を中田羽後が訳詞したものです。見事な訳詞だと思います。十字架の下には大勢の人々がいました。イエスを十字架につけた祭司長や律法学者、イエスを処刑するために集められたローマ軍の兵士、イエスの十字架刑に心を引き裂かれている婦人たち、弟子たちも遠くからこの処刑を見守っていた。その時、私たちはどこにいたのでしょうか。2000年前に、遠いユダヤの地で、ナザレのイエスと呼ばれる男が処刑された、それは私たちとは何の関係もない出来事だと考えるならば、私たちは今日、この教会堂にはいない。この物語は私たちの出来事と考えるゆえに、私たちは今ここに集っているのです。

・讃美歌は歌います「君もそこいたのか、主が十字架につく時、ああ、なんだか心が震える、震える、震える、君もそこいたのか」、「君も聞いていたのか、釘を打ち込む音を、ああ、なんだか心が震える、震える、震える、君も聞いていたのか」、「君も眺めていたのか、血潮が流れるのを、ああ、なんだか心が震える、震える、震える、君も眺めていたのか」。讃美歌は、さらに続きます「君も墓に行ったのか、主をば葬るために。ああ、なんだか心が、震える、君も墓に行ったのか」。十字架の出来事はそこで終わらずに、復活の出来事に連続します。十字架はおぞましい、残酷な刑ですが、復活の光の下で、十字架は救いの出来事、新しい命の始まりに変えられていきます。「君もそこにいたのか」は最後に復活の讃美を歌います。「君もそこにいたのか、主がよみがえられた時、ああ、なんだか心がふるえる、君もそこにいたのか」。

・「きみもそこにいたのか」と問われ、私たちが「はい」と答える時、イエスの出来事が私たちの出来事になって行きます。チベットで人々が自由を求めてデモ行進をし、中国の軍隊が発砲し、大勢の人が殺され傷ついた。「きみもそこにいたのか」、私たちは何と答えるでしょうか。フィリッピンでは大学を出て医師の資格を得た人々が、アメリカに行き看護士として働きます。フィリッピンで医者になっても月収は5万円、アメリカで看護士になれば月収が40万円になるからです。そのためフリッピンでは医者も看護士も不足し、人々が治療を受けられずに死んでいきます。「きみもそこにいたのか」、この現実は私たちの出来事になるでしょうか。日本では子どもの臓器移植は許されていないため、心臓に先天性疾患を持つ子どもたちがアメリカに行って臓器移植の手術を受けます。そのために1億円以上の費用がかかりますが、ほとんどは善意の寄付でまかなわれます。同じ時に、南アフリカでは10ドルのエイズ治療薬が買えないために大勢の子どもたちが死んでいます。そこには善意の寄付はなされません。この現実は仕方のないことなのでしょうか、「きみもそこにいたのか」と神は私たちに問われます。

・私たちは反論します「私たちには何の力もありません。現在の生活を守るだけで精一杯なのです。何ができると言うのですか」。イエスは何も言わず、チベットに行って死んだ人を葬られ、フィリッピンに行って治療を受けられないために死んだ人々の墓の前で涙を流し、南アフリカに行かれてエイズで死んだ人々のためにもう一度十字架にかかられます。ドイツの前大統領ヨハネス・ラウは語ります「世は実際に混乱の中にあるが、そこに留まる必要はないのだ」と。

 

4.受難から復活へ

 

・今日の招詞にローマ6:5-6を選びました。「もし、私たちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています」。私たちはバプテスマによって、イエスの死に倣い、イエスの死と復活にあずかる者となるとパウロは語ります。イエスの死と復活は、今ここに居る私たちの救いにつながっているゆえに、人々はイエスが十字架に架けられた金曜日を、「Good Friday」、「良い金曜日」と名付けました。イエスの死によって、私たちが罪を赦された、その感謝を込めての命名です。

・十字架の出来事は復活の出来事に連続します。十字架はおぞましい、残酷な刑です。しかし、復活の光の下で、十字架は、救いの出来事に変えられていきます。イエスの十字架刑の時、弟子たちはそこにいず、ただ婦人たちが立ち会ったとマルコは記しています(マルコ15:40、ヨハネ19:26では愛弟子がそこにいたと伝えるが真偽は不明)。いずれにしてもイエスに従った弟子たちは逃げ去っていたのです。彼等は捕えられるのが怖かったし、十字架上で無力に死ぬ人間が救い主であると信じることが出来なかった。人は強い者、優れた者を崇めますが、弱い者、無力な者はこれを捨てます。弟子たちはイエスを捨てました。

・しかし、その弟子たちがやがて「十字架で死なれたイエスこそ、私たちの救い主である」と宣教を始めます。何が起こったのかでしょうか。復活のイエスに出会うことにより、弟子たちが変えられていったとしか思えません。イエスの十字架から100年もしないうちに、ローマ帝国の到る所に、イエスを救い主とするキリスト教会が立てられていきました。何故ナザレのイエスの死が、人々の魂を揺さぶったのでしょうか。十字架とそれに続く復活こそが、多くの人々を「信じない者から信じる者に変えていった」(ヨハネ20:27)のです。私たちも十字架に立ち会った。その時は何もしない傍観者として、出来事を眺めているばかりだった。しかし、人生における苦しみの中で、復活のイエスに出会った。だから、今日ここにいる。もう傍観者であることをやめよう。イエスに従う者として生きよう。その時、私たちの人生は意味あるものに変えられていくのです。

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