2016年3月20日説教「ヨハネ19:16-30、イエスの死」
1.十字架につけられる
・ヨハネ福音書を読み続けています。大祭司の法廷で死刑判決を受けたイエスはローマ総督に引き渡され、総督ピラトはイエスの処刑を許可し、部下の兵隊にイエスの身を預けます。こうしてイエスは十字架を負わされ、刑場へ向かいました。ヨハネは記します「こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる『されこうべの場所』すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。またイエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして十字架につけた」(19:16b-18)。この出来事は世の人から見れば恥辱の出来事、信仰の眼で見れば偉大な出来事です。
・十字架にかけられる者の頭の上には罪状書きが掲げられます。ピラトはその罪状書きを「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」とヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かせました。ヘブライ語はユダヤ人の言語であり、ラテン語はロ-マ帝国の公用語、ギリシア語は地中海世界の共通語でしたから、刑場の前を通るすべての人々に、この罪状書きは読めました。ピラトは悪ふざけで罪状書きを書きましたが、結果的には全世界にイエスが王であることを告げ知らせたとヨハネは記します(19:19‐22)。イエスは王ですが、無力さの中にあって自らを与える王です。ヨハネは十字架の苦難の中にこそ王の本領があると理解しています。だから彼はイエスの十字架死を「栄光を受ける」と表現し (17:1他)、十字架に「挙げられた」(3:14)方こそが救い主であると主張します。
・ヨハネはイエスの受難を、詩編22編を引用して記述します。「兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、『これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう』と話しあった。それは、『彼らは、私の服を分けあい、私の衣服のことでくじを引いた』という聖書の言葉が実現するためであった」(19:23‐24)。ヨハネはイエスの十字架死に旧約聖書の預言=義人の苦難の成就を見ています(詩篇22:17-19『犬どもが私を取り囲み、さいなむ者が群がって私を囲み、獅子のように私の手足を砕く。骨が数えられる程になった私の体を、彼らはさらしものにして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」』)。聖書の預言が成就する、神の御心が刑場を支配しているとヨハネは感じているのです。
・十字架にかけられたイエスを、最後まで見守ったのは女性たちでした。弟子たちは逃げていません。その刑場でイエスは母マリアを弟子ヨハネに託したと福音書は描きます(19:25-27)。使徒言行録ではイエスの復活後、母マリアは自分の子供たち(イエスの兄弟たち)と一緒に、弟子たちと同じ家で祈っています(使徒1:14)。やがてイエスの兄弟たちは「主の兄弟ヤコブ」を中心にエルサレム教会指導部を形成し、母マリアも多分そこにいたのでしょう。ただ紀元62年、教会の柱であったヤコブが殉教し、信徒たちはエルサレムを脱出し、この時、「愛弟子」が母マリアを連れて安全な場所にかくまったと伝承は伝えます。古代の伝承では、その避難先はトルコのエフェソです。エフェソにはマリアが晩年を過ごしたと伝えられる家を記念して小さい教会堂が残されています。
2.イエスの死
・十字架刑は古代地中海世界における最も残酷な刑の一つです。為政者は罪人を十字形の木に釘付けにして曝し、反逆する者を処罰する絶対権力を持つことを示威しました。受刑者は死に至るまでの苦痛を与えられ、人間としての尊厳と生への執着のすべてを奪われました。為政者が受刑者に与えたのは、息絶えるまでの苦痛でした。この苦痛の中でイエスは「渇く」と言われました(19:28)。ヨハネは、イエスの「渇く」という言葉もまた、聖書の預言の成就だと見ています。詩編22:16は義人の死を歌います「口は渇いて素焼きのかけらとなり、舌は上顎にはり付く。あなたは私を塵と死の中に打ち捨てられる」。父なる神に捨てられたイエスの苦悶の言葉です。
・「渇く」というイエスの声を聞いた兵士たちが、酸いぶどう酒を含ませた海綿を、ヒソプの先に付け差し出します。ヒソプは葦に似た草で、酸いぶどう酒は気を失った受刑者の気付け薬でした(19:29)。イエスはこのぶどう酒を受けると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れ、息を引き取られた」(19:30)とヨハネは記述します。30節「頭を垂れ、息を引き取られた」を新改訳聖書は「頭をたれて、霊をお渡しになった」と訳します。人に引き渡されたイエスが今、神に引き渡された、父なる神のもとに帰られたとヨハネは語ります。神のもとに帰ることを通して人間的な可能性はすべて終わり、そこから神の可能性が始まり、それがイエスの復活として出現したとヨハネは暗示します。かつてイエスが語られたように「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(12:24)のです。
・イエスの最後の言葉はマルコ、マタイ福音書では「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、何故、私をお見捨てになったのですか)」(マルコ15:34,マタイ27:46)です。ルカ福音書では「父よ、私の霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)とあり、ヨハネ福音書では「渇く」(19:28),「成し遂げられた」(19:30)となります。歴史的に何が真正であるかは、分かりません。それぞれの福音書記者の信仰がそこに表現されています。聖書学者E・シュバイツアーは新約聖書注解の中で述べます「マルコ福音書のイエスの叫びの中に、彼が最も深刻な苦難の孤独の中に置かれていることが、異常なまでに鮮明に、要約され、描き出されている。イエスは果たしてこの言葉を口にされたのか、それともルカ、もしくはヨハネが伝えている言葉がそれであるのか、あるいはその全部を語られたのか、それとも一つも口にされなかったのか、ということを詮索するのは、このテキストの提起する問いではない」。
・カトリックの思想家ヘンリー・ナウエンは、「最大の贈り物」という著書の中で、サーカスの空中ブランコを行う人から聞いた話を書いています。それによれば、「一人がブランコから空中に飛び出し、もう一人の反対側のブランコに乗った人が空中でキャッチする時、飛び出した側の人は、腕を動かさずに、完全にキャッチする側の人に自分を委ねるのだそうです。両方の人が腕を動かすと、位置がずれて上手くキャッチできない。だから空中に飛び出した側の人は、腕を動かさない」。この言葉を聞いたナウエンは一つの啓示を受けます。「恐れなくてもよいのだ。私たちは神の子どもであり、神は暗闇に向かってジャンプするあなたを闇の向こうでしっかり受けとめてくださる。あなたは神の手をつかもうとしてはいけない。ただ両手を拡げ信じて飛べばよい」のだと。ルカによれば、イエスは「父よ、私の霊を御手に委ねます」(ルカ23:46)と、今後を父に委ねて死んでいかれました。「両手を拡げて信じて飛びこんで行かれた」のです。
3.私は渇く
・今日の招詞にヨハネ19:28を選びました。次のような言葉です「この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した」。「私は渇く」というイエスの言葉を聞き、人生を変えられた人がマザー・テレサです。彼女は18歳でロレット修道会に入り、インドのコルコタ(カルカッタ)に派遣され、修道会運営の女学校で教師として働き始めます。1946年9月、36歳の時、黙想会に参加するため汽車でダージリンに向かう時、彼女はイエスの「私は渇く」(ヨハネ19:28)という十字架上の声を突然聴きます。彼女はその声に促されて、修道会を退会し、コルカタのスラムに入って働き始めました。彼女は、「神は貧しい人の中におり、人間と共にこの世の苦難を担い、貧しい人の姿で現れ、人間の愛を待ち望み、渇いている」ことに気づき、その「渇きを癒すために私は召された」と信じ、活動を始めたのです。
・マザー・テレサは路傍で死ぬ人々を、「死を待つ人の家」に運び込む活動をしましたが、彼女は語ります「私は彼女の病気を救いたいのではありません。彼女が最後を迎える時に“自分は愛された。大切にされた”という思いで天国に帰ってもらいたいのです」(「マザー・テレサ、愛の贈り物」から)。このマザー・テレサの活動について説教者・岸本羊一氏は語ります「マザー・テレサがカルカッタの町の中で、たくさんの死にかけている人々を拾うように連れてきて、その人たちの最後を看取る時に、多くの人たちは笑みを浮かべながら『ありがとう』と言って死んでいくそうです。これは一体どういうことなのか、と考えさせられます。孤独の死ではなく、死まで一緒にいてくれる人がいることを通して、死にゆく人たちは死を克服するという体験をしているのです。私たちにとって神というのは・・・彼方の存在ではありません。私たちは神の御業を通して愛に出会うのです」(岸本羊一「葬りを超えて」)。
・先に紹介したシュバイツアーは語りました「イエスは果たして“わが神、わが神、何故、私をお見捨てになったのですか”との言葉を口にされたのか、それともルカ、もしくはヨハネが伝えている言葉がそれであるのか、あるいはその全部を語られたのか、それとも一つも口にされなかったのか、ということを詮索するのは、このテキストの提起する問いではない」。イエスの言葉の中に、私たちが何を聞き取るのかが問題なのです。マザー・テレサはイエスの最後の言葉の中に、人々の愛を求めて渇いたイエスの苦しみを聞きました。そしてイエスの渇きを癒し、苦しみを取り除きたいという思いが、マザーの中に燃え上がっていきました。
・イエスは語られました「私の兄弟であるこの最も小さい者の1人にしたのは、私にしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)。この言葉を手がかりとして、マザーの中でイエスの渇きを癒したいという思いは、貧しい人たちの渇きを癒したいという思いに直結していきました。こうしてマザーは、スラム街で生きる貧しい人々のために働くことになったのです。マザー・テレサは遺言の中で記しています「イエスの渇きこそは、神の愛の宣教者会の存在目的です。私たちはイエスの渇きを潤し、キリストの愛、イエスの人々への渇きを宣言するために存在しているのです」。このような願いを私たち一人一人が持てばこの世は神の国になって行きます。そして教会こそはその神の国の小さな出城なのです。