2016年4月17日説教(ヨハネ黙示録5:1-14、地の混乱と天上の礼拝)
1.玉座にある巻物
・ヨハネ黙示録を読んでいます。著者ヨハネの住んでいたアジア州はローマ帝国の支配下にあり、キリスト教徒は皇帝礼拝を強制され、逆らう者は処罰されていました。ヨハネも皇帝礼拝を拒否し、エーゲ海のパトモス等に島流しをされています。そのヨハネに天から「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう」(4:1)との声があり、ヨハネは霊に導かれて天に上りました。彼がそこで見たのは、玉座に座る神であり、その手には、これから起こることを記した巻物が握られていました。それは七つの封印で封じられていました。ヨハネは記します「私は、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた」(5:1)。
・ヨハネは「この迫害はいつまで続くのか」を知りたいと願っていますが、これから起こる出来事を記す巻物を解く人はいず、苦難がいつ終わるのか、見えません。そのためヨハネは泣きます「一人の力強い天使が『封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか』と大声で告げるのを見た。しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった・・・ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、私は激しく泣いていた」(5:2-4)。将来が見えない時、人は不安に閉ざされ、途方にくれます。しかし泣くヨハネに長老の一人が声をかけます「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえ(若枝)が勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる」(5:5)。ヨハネはそこに十字架に死に、復活されたキリストがおられるのを見ました。「私はまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった」(5:6)。「屠られた子羊」、十字架で犠牲となって死なれたイエス・キリストです。
・その子羊が復活して今は天におられ、玉座におられる方から巻物を受け取りました(5:7)。地上においては神の支配はまだ見えません。しかし、天上においては、世界史を記した書がキリストの手に渡され、キリストが王として即位される旨の宣言が為されます。それを見た長老たちは新しい歌を歌います「あなたは、巻物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らを私たちの神に仕える王、また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します」(5:9-10)。天では喜びの声が上がりました。
2.小羊キリストの即位と巻物の啓示
・小羊イエスが王として即位し、イエスに従った者が地上を統治すると歌われます。神の国が地上に来る日が近いとの讃美です。キリストの即位を祝い、最初は24人の長老たちが、次には全ての天使たちが、最後には全ての被造物が歓呼の声を上げます。「天使たちは大声でこう言った『屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です』。また、私は、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた『玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように』」(5:12-13)。この黙示録5:12-13は1724年に初演されたヘンデル・メサイヤの最終曲「アーメン・コーラス」として有名な箇所です。「メサイア」はクリスマスに演奏されることが多いのですが、もともとは受難週に歌うように書かれたオラトリオです。第1部はイエスキリストの生誕を描き、第2部では受難と復活(44曲目がハレルヤコーラス)、第3部ではイエスの復活によって人類にもたらされた永遠の生命を賛美する(53曲目がアーメンコーラス)内容になっています。
・黙示録5章が私たちに示しますことは、「人間は現在の延長線上でしか将来を見通せないが、天上では常に新しい出来事が起こって、未来は変えられていく」ということです。現在の地上の支配者は、ローマ皇帝かもしれませんが、天上では既にイエスに世界史を記した書が渡されています。ローマ皇帝の支配が永遠に続くのではないことに、ヨハネは希望を見ました。続く6章では子羊により封印が開かれ、未来の出来事が明らかになってきます。
・神の手にあった巻物が子羊に渡され、子羊が最初の封印を解くと、弓を持つ白い馬が現れました。「見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った」(6: 2)。この白い馬は侵略者パルテイア軍を指します。紀元62年、無敵を誇ったローマ軍がパルテイアの騎兵隊に敗北し、ローマ帝国といえども永遠ではないという幻が与えられます。第二の封印を開くと赤い馬が現れました。「小羊が第二の封印を開いた時・・・火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた」(6:3-4)。赤は流血を示します。帝国内に内乱や反逆が続き、帝国が内部から崩壊していくことが予言されています。現にローマ皇帝ドミティアヌスはヨハネ黙示録が書かれた翌年96年には宮廷内の争いの中で暗殺されています。第三の封印が開かれると黒い馬が現れます。「小羊が第三の封印を開いたとき・・・見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた・・・『小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな』」(6:5-6)。黒い馬=飢饉による穀物の不作を示します。飢饉で食料価格が高騰し、一日働いても小麦一枡しか買えないほどの飢饉が帝国を襲うことが預言されています。第四の封印を開くと、青白い馬が現れました。「小羊が第四の封印を開いた時・・・見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は『死』といい、これに陰府が従っていた」(6:7-8)。青白い=死者の顔色で、疫病により、人口の1/4が死ぬことが示されます。古代ローマでは繰り返し、ペストや天然痘が流行し、多くの命が奪われています。四つの馬は戦争や内乱、飢饉や疫病を指しており、ヨハネは世界史で既に起きた出来事が、これからローマ帝国の上に深刻化し、帝国が滅びることを示されるのです。
3.なぜ私たちはヨハネ黙示録を読むのか
・今日の招詞にヨハネ黙示録6:10-11を選びました。次のような言葉です「彼らは大声でこう叫んだ『真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか』。すると、その一人一人に白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた」。第五の封印が開かれると、殺された殉教者たちの声が響きます「いつまで不正が続くのですか。早くローマを滅ぼしてあなたの正義を見せて下さい」。彼らは「血の復讐」を叫んでいます。それに対して「数が満ちるまで待て」と言う声が聞こえます。「今しばらくは迫害により殺される者が出る、それが神のご計画だ」とヨハネは告げられるのです。
・歴史を記した巻物がキリストに渡され、封印が解かれ、歴史はキリストの手に委ねられました。しかし、混乱は続いています。黙示録が書かれた紀元95年当時、ローマの権勢はかげりを見せ始め、各地での暴動が頻発し、飢饉や疫病により大勢の人が死んで行きました。ポンペイの町は地震によって廃墟となり、エルサレムは滅ぼされ、教会に対する迫害が続いています。その迫害の中で大勢の人が死に、人々は「主よ、いつまでこの苦しみが続くのですか」と叫んでいます。歴史の行く先が見えないヨハネに幻が示され、その幻を通して神の国が地上に来つつあることを知らされました。当時の人々にとってヨハネ黙示録は幻想ではなく、真実なものでした。
・黙示録の著者ヨハネは紀元70年のエルサレム崩壊を機に、小アジアに逃れたユダヤ人キリスト者とみられています。ユダヤ戦争では100万人が死に、エルサレムは炎に燃やされました。ヨハネは焼け野原になったエルサレムと、そこに死ぬ大勢の人を見ています。そして20年後の小アジアにおいて同じ混乱が生じているのを見て、世の終わりを実感しています。昭和20年8月、米軍の空襲で焼け野原になった東京に立ったキリスト信徒たちは、目の前の光景に神の裁きを思ったことでしょう。死者であふれた広島や長崎の原爆を体験した人にとってもヨハネ黙示録は幻想の書簡ではありません。今、私たちがヨハネ黙示録を見て、それを自分の出来事と感じることが出来ないとしたら、それは「私たちが見るべきものを見ていないからではないか」と思われます。ヨハネはラオディキアの教会に書き送りました「あなたは、『私は金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。そこで、あなたに勧める・・・見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい」(3:17-18)。
・世界では今現在も悲惨な出来事が果てしなく生起しています。アフガニスタン、イラクから始まった「テロとの戦い」はシリアを内戦に陥れ、数百万人が難民としてヨーロッパに流入しましたが、欧州はこれ以上の受け入れは難しいとして難民を送り返しています。パレスチナではユダヤ人とパレスチナ人が争い、絶望したパレスチナ人たちは自爆テロを繰り返しています。アフリカでは飢餓と疫病が頻発し、南アフリカでは、8人に1人がエイズウイルス感染者で、その数は国を滅ぼしかねないほどの勢いです。人々は今日でも戦争によって殺され、飢饉で飢え死にし、疫病に苦しんでいます。人の罪が人を苦しめ、黙示録の世界は続いています。その中で人々は叫びます「主よ、いつまでですか」。
・ヨセル・ラコーバーという人がいます。1943年にドイツ軍によって殺されたユダヤ人です。1939年ドイツ軍はポーランドに侵攻し、ワルシャワ市内にいたユダヤ人50万人はユダヤ人居住区に押し込められ、周囲と隔離されました。最初はユダヤ人の隔離と強制労働が中心でしたが、やがて民族絶滅に方針が変わり、ゲットーから大勢の住人が絶滅収容所に移送されて行きます。「このまま死を待つよりは戦おう」としてゲットーのユダヤ人たちは1943年叛乱を企てますが、ドイツ軍に制圧され、住民は次々に殺されていきます。その中の一人がヨセル・ラコーバーです。彼の妻と子どもたちは既に死に、ヨセルだけが残されました。彼は戦火の中で手記を書き、それをガラス瓶の中に入れ、レンガ石の裏に隠しました。戦後、その手記が発見され、出版されます。その中で彼は書きます「神は彼の顔を世界から隠した。彼は私たちを見捨てた。神はもう私たちが信じることができないようなあらゆることを為された。しかし私は神を信じる」(Yosl Rakover Talks to God by Zvi Kolitz)。「希望を未来に託して現在を生きる」、「自分たちの苦難と信仰を紙に書き残し、将来の読者に届ける」、この信仰こそヨハネ黙示録の信仰です。この希望が神の国を招くのです。